♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して70年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書-105 正しさ=愛? / 大嶋重徳

2023年01月13日 | Weblog

2022/7/15放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
ルカ福音書を今週は順番に読んでいます。5章に入りました。イエス様のガリラヤ伝道の様子を読み進めています。

 中風という脳梗塞になった男性に、イエス様は「友よ、あなたの罪は赦されました」と言われたのです。「友よ」と呼びかけ、赦しの宣言をされました。友情に溢れた瞬間がこの家に訪れたのです。

 しかし、そこに同じ部屋にいながらにしてある人々には友情がありませんでした。律法学者、パリサイ人と呼ばれる宗教指導者たちでした。恐らくずっと腕組みをして聞いていたでしょう。そして、「あなたの罪は赦された」というイエス様のことばを聞いた時、「この男は自分を何者だと思っているのか、神お一人の他に人間の罪を赦すことができる者などいない。神にしかできないことを自分がするかのように宣言するなんて、イエスは神を冒涜している。」と理屈を言ったんです。

 しかし、これまでのこの時の光景を見て彼らの心は動かなかったのかなあと思います。感動しなかったのか、と。パリサイ人、律法学者の親戚や家族、親しい者の中には、身動きのできない病気の人がいなかったんでしょうか? 天井が剥がれてきたときに、その友情と愛に出会ったとき、自分にも連れて行きたいと思う人が思い浮かばなかったのか?と思うのです。

 「罪が赦された」ということばを聞いて、一緒に喜ぶ気持ちがなかったんだろうか? 当然、律法学者、パリサイ人の方が「罪とは何か」ということを聖書を調べて知っています。そして律法学者、パリサイ人も、自分もまた一人の罪人にすぎないわけです。教会がこうなってしまうなら悲しいことです。言っていることは確かに正しい。しかし、教会に行きたくても来ることができない人の悩み、そう簡単には信じることのできない人の気持ち、その思いを知らぬままに不信仰をなじるならば、イエス様の友情からは程遠くなるでしょう。いつの間にか上に立って正しいかのような理屈を言う。教会は固い固い天井を作ってしまっている。教会に入ってこれないような固い固い天井があるとき、イエス様の「友よ」ということばが空しく、響いていかないのです。

 私たちも理屈を言うときはいつも正しいことを言っていると思います。しかし、正しいことが愛とは限りません。私たちはイエス様のように愛に生きていきたい。誰かの罪の赦しを心から喜ぶ、愛に生きる者になりたいと思います。

 

    ( PBA制作「世の光」 2022.7.15放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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