♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■善悪の知識の木

2008年04月18日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄(いわい・もとお)です。

 私は東京のあるミッション・スクールで聖書を教えています。そして毎年中学生たちに一つの質問をします。「『エデンの園』って、どこにあったでしょう?」って。あなたはどう答えますか?

 聖書には、エデンの園に流れていた四つの川の名が記されています。そのうちの二つの川は現在確認されていませんが、残る二つはティグリス川とユーフラテス川です。中学生たちもその名前を聞くと叫びます。「あっ、聞いたことがある! メソポタミア文明だ。」って。

 メソポトポスというギリシャ語には、「複数の川の間」という意味がありますから、おもしろいですね。確かにエデンの園はこの地上にあったのです。聖書は空想の世界の話しをしているのではなく、現実の私たちの人間の歩みを語っているのですね。

 ところで、このエデンの園の中央には二本の木があったとあります。一本は「いのちの木」であり、もう一本が「善悪の知識の木」でした。神様は最初の人アダムとエバに、「この善悪の知識の木からその実を取って食べてはならない」(創世記2章17節参照)と命じられました。他のものがすべて食べても良かったのに、それだけは駄目だったのです。

 神様はなぜそんな木を造られ、しかもその園の中央に置かれたのでしょうか。ただ人間を試すだけだったのでしょうか。

 いいえ、愛である神様はあなたを愛し、あなたを信頼し、心から自ら正しい道を選びとっていくようにと、私たちに自由意志を与えてくださったのです。神様に従うことも背くこともできる存在として私たちは創造されたのです。

 私たちには従うべきお方、従うべき基準があるのです。あの善悪の知識の木は、そのお方の存在をはっきりと示しています。

 しかし人はそのお方を無視し、まるで自分が神であるかのように、自分が善悪の判断ができるかのように考え、その命令を破ってしまったのです。私たちの方が神様から離れてしまったのですね。

 聖書はこう語ります。

 「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一 1章9節)

 神様はあなたが自分の罪を認め告白するのを待っていてくださるのです。

 (PBA制作「世の光」2008.4.18放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。





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■心の奥底から新しくされる

2008年04月17日 | Weblog

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。

今日は聖書の中のヨハネの福音書7章37節から39節までを読んでみましょう。

 「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。

 17世紀の政治家ウィリアム・テンプルという人がこんなことを言っています。「私の所にハムレットやリヤ王の物語のような劇の脚本を持ってきて同じような作品を書くように言っても無駄です。シェークスピアにはできても私にはそれはできません。また私にイエスのような生涯を送りなさいと言ってもそれは無駄です。イエスにはできても私にはそれはできません。しかし、もしシェークスピアの才能が私の内に宿るなら彼のような脚本を私も書けなくはないでしょう。それと同じように、もしイエスの霊が私の内に宿るなら彼のような生き方を私もできなくはないでしょう。」

 確かに考えてみれば、気難しい人間が簡単に朗らかになれる訳ではないでしょう。意地の悪い人間がことば優しい思いやりのある人間にすぐ変われるとも思えません。人間の性質はそんなに簡単に変わるものではないのですねえ。ですからウィリアム・テンプルが言っているように、自分以外の自分を生きるなんてことはできない、ということになります。

 しかし聖書は言います。私たちがイエスを信じる時に私たちの心には聖霊が与えられる、と。その聖霊は私たちの内にあって生ける水の川の流れとなるものです。これは私たちの心や行動が内側から新しくされることを例えているものです。つまり、気難しい人も神の広い心に満たされるようになります。意地の悪い人も神の慈しみに溢れた人となるのです。

 あなたもイエスを信じるなら聖霊によって心の底から変えられる人となるのです。

 ( PBA制作「世の光」2008.4.17放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10
         自由ケ丘キリスト教会内
 電話052-762-2196 へ

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■祝福の神

2008年04月16日 | Weblog


世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の私のバイブル・メッセージのテーマは「祝福の神」、そして聖書は新約聖書テモテへの手紙第一 6章15節後半です。お読みしましょう。

 「神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、

 パウロはここで私たちが信じる神とはどんなお方かと言っています。続きを聴いてください。

 「(神は・・・)ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。」(16節)と言っております。このように表わされると近寄り難い、恐ろしいように感じさえいたします。

 しかし、始めにお読みしたまっ先に書かれていたのは「祝福に満ちた」神ということです。父なる神は実にその独り子をお与えになり、それほどに世を、人間を愛し祝福されるお方なのです。父なる神は天地万有ことに人間を創造され、これを良しと言い、「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」( 創世記1章28節参照)と祝福されました。

 それにもかかわらず人間は神に背き罪を犯したために、神を恐れ、神から離れた生活をするようなってしまい、のろいを恐れ、裁きを恐れ、死を恐れる者となってしまいました。

 しかし神は、こんな罪人を愛し、祝福したいと望まれ、背きの罪を赦すために何と神はその独り子を罪のために贖(あがな)いとして私たちに与えてくださったのです。

 信じ難いこの神の御心を感謝し、信じるならば、神は霊的にもまた物質的にも私たちを祝福してくたさるのです。たとえどんなに踏み外した者でも自分て悪いと分かっていながら正しく歩めない者でも、信じる者を祝福し、きよめ、神の子の特権を与えてくださる、祝福の神なのです。

 聖書のことば

 「彼らの父・・・は彼らを祝福したとき、おのおのにふさわしい祝福を与えた・・・」 創世記49章の28節

 「神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
 テモテへの手紙第一 6章15節です。

 (PBA制作「世の光」2008.4.16放送でのお話しより)

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■いのちに至る告白

2008年04月15日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 聖書を読んでいくと、私たちが語ることばについて、よく書かれています。例えば聖書の箴言(しんげん)の中には「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。 」箴言15章1節 こんなことばが出てきます。まったくその通りですよねえ。売り言葉に買いことば。まあ火に油を注ぐ結果になることはよくあります。でも柔らかな冷静な答えを用意することは本当に静めていきます。大切なことですね。

 また箴言の18章の21節には、「死と生 --いのちですね--  は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。 」 こう記されています。私たちが何を語るのか、何を告白するかによってそのことばの語る実を食べるのだ、というのですね。

 もう何をやっても無駄、駄目さと語り、人生に生きる意味も目的も無いさ、と語り続けるならどうでしょうか。それは空しさという実を食べることになるでしょう。いつも不平不満を言い、悪いのは自分ではなく相手のせい。愚痴をこぼして生きていくとするなら、やはりその実は好ましいはずはありません。

 しかし聖書は逆に、約束に裏打ちされた希望があると教えます。その希望を告白するならば、その希望が与える永遠の真実の実を食べることになるのだと教えるのです。

 新約聖書の後半の手紙の多くを書いたパウロは、ローマ人への手紙の10章9節(、10節)の所でこう言っています。
 「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 」 こう書かれています。

 人が何を語り告白するかによってその実を食べるとあるように、聖書は、イエス・キリストを人生の主として告白していく時に、「イエス・キリストを死者の中からよみがえらせてくださった神を信じて生きます」と告白していく時に、それは救いという実を得るのだと約束しているんです。人生には空しさをもたらす告白もあれば、永遠の変わることのない命に至る告白もある、ということを教えています。

 「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。

 もう一度考えたいことばですね。

 (PBA制作「世の光」2008.4.15放送でのお話しより)

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■主のアフターケアー

2008年04月14日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、イエス様は復活されてからすぐに天にお昇りになったのではないんですねえ。40日の間この地上におられて、何回か弟子たちに会われました。その訳は大切なお仕事と言いましょうかね、一つは、キリストは確かに復活したということを弟子たちに証明するということがあったと思いますね。

 で、二つめのことは、聖書のことをよく彼らに分からせると言いましょうか、聖書は何を書いているのかということについて(弟子たちに)悟らせるということがあったと思います。

 で、三つめのことは、まだまだ弟子たちの間にですね、このままやっていけるかどうかという不安がいっぱいありまして、その弟子たちをフォローすると言いましょうかアフター・ケアですね、そのことのためにイエス様はこの地上に残っておいでになる必要がおありになった。そういうふうに考えることができると思うんですね。

 で、弟子たちの中でも、なかなかキリストの復活を信じられないという人もいましたし、その人についてもちゃんと、トマスなんかですね、(イエス様は彼に)現れて確認してくださいました。

 それとペテロなんかはキリストを3回も「私は知らない」なんていうふうに裏切ったというその傷はその心の中に深くあった訳ですし、私はもうイエス様のお役に立つような者ではないという失意の中に落ち込んでいたというふうに言うことができると思うんですよね。ですからキリストは確かに復活されたかもしれないけど私なんかもう駄目なんだって、もとの漁師の仕事に帰るしかないんじゃないかっていうので仲間と一緒にある時、漁をしていた。一晩中やっても一匹も捕れなかったというようなそういう所にイエス様が現れてくださって「舟の右側に網を降ろしてごらんなさい」というふうに言われてですね、そしたらたくさんの魚が捕れた、というふうなことがあった訳ですが。そうしてその失意の中にあったペテロに対して「あなたは本当にわたしのことを愛しているか?」っていうふうに3回も尋ねられた。3回否んだペテロに3回お尋ねになったんですけれども、そして本当にイエス様のことを愛しているならば私の大切にしている人たちのことをケアしてください、っていうふうに(イエス様はペテロに)委託した。そのことによってですねペテロは本当に感激して、もうイエス様のために命を賭けてお従いするようになっていった訳ですね。

 イエス様っていうお方は、失意のどん底にある者をフォローしてくださる、アフター・ケアを考えてくださる、そういう方なんだということですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2008.4.14放送でのお話しより)

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■人生の時(2)<私の時は神の御手の中にある>

2008年04月12日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 原田憲夫(はらだ・のりお)です。

 さて旧約聖書の伝道者の書3章1節、2節にこう書かれています。
 
 「・・・すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。・・・」

 生まれる時・死ぬ時と言えば、私たちの人生の最初の時と最後の時です。人生で最大の時です。ところがそれにも関わらず、私たちは誕生の死ぬ時を自分では選べないのです。

 あなたは自分が生まれた日がどんな日であったかを御存知ですか? 亡くなった母によると、私は十二月の雷の鳴っている日に生まれたのだそうです。昔のことで思わず笑ってしまいますが、父が母をリヤカーに乗せて御産婆さんの所に駆け付けたんだそうです。でもよくよく考えてみると十二月に雷が鳴るなんて、珍しかった気がします。あなたの生まれた日はどんな日でしたか?

 私たちの人生って、自分で物事すべてを選択しながら歩んでいるように思っているんですが、肝心の事は自分一人で選ぶことができないんですねえ。いかにあなたの能力が豊かで技術が優れていても、巡ってくるチャンスが来なければ実現には至りません。それで、自分で決められない時に対しては私たちはしばしば不安に駆られるものです。

 けれども聖書は、私はこの大きな宇宙の中では本当にちっぽけな存在に過ぎません。それなのに、偉大な神様が私を御心に留め不思議な導きと守りの中を歩ませてくださるのです、と語っているのです。

 そして古(いにしえ)の信仰者は力強くこう告白しました。
  詩篇31篇14節、15節

  主よ(神よ)。私は、あなたに信頼しています。
   私は告白します。「あなたこそ私の神です。」
    私の時は、御手の中にあります。


 あなたは、誕生の時も死ぬ時も、そして自分では選ぶことができない時々も、あなたの人生は永遠の神の御手の中にあるのです。あなたが今日この神に信頼する時、あなたは神の平安を得るのです。

 ( PBA制作「世の光」2008.4.12放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送への協力、
そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会
まで

  ラジオ放送指定とテレビ放送指定の区別を明記してください。
  テレビ放送はただ今資金が溜るまで積立中です。
  ラジオ放送の方が、放送料の値上げにより、一層の協力を必要としております。

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
(自由ケ丘キリスト教会内)

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■主の園

2008年04月11日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄(いわい・もとお)です。

 私は月に一度、埼玉県の川越と東京都の練馬にあるキングス・ガーデンという老人ホームを訪問させていただいています。このキングス・ガーデンは、「主の園」という意味の老人ホームで、聖書にある希望を基盤としています。神様が共にいてくださる園というこの恵みのホームで一緒に神様を賛美したり、聖書からお話しをさせていただくことは、私にとっても大きな喜びです。

 このホームの名前は次の聖書のことばからつけられたそうです。

 「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。」(旧約聖書イザヤ書 51章3節)

 荒野のようなまた砂漠のような場所が主の園として変えられていくのだ、との約束がこの聖書のことばにはあるのですね。

 神様によって最初に創造されたエデンの園・神の世界には確かに喜びと祝福がありました。しかし、その世界が人間の罪によって廃虚のような、砂漠のような所へと変わってしまったというのです。

 確かに私たちの社会には人間どうしが憎み合い、苦しめ合い、殺し合ってしまうような現実があります。しかし、その原因は私たちの心にあるのです。私たちの心の内側にある心の腐れがその悲しみの原因なのだと聖書は語っているのです。

 しかし、それで終わらないのです。そんな廃虚のような、砂漠のような世界が変わるのです。神様は私たちに大いなる希望を、愛を、そして救いを用意してくださっています。

 その老人ホームで聖書のお話しをする時、よく天国の話しをします。死を越えていく永遠のいのちの約束を聖書から何度も確認し、天を見上げて一緒に歩めるその一時は私にとっても大きな慰めと励ましの時です。

 あなたもこの希望を持っていらっしゃいますか? あなたのすべての悲しみや痛みをも、主の園のような祝福へと変えられていくという約束が聖書にあるのです。あなたもこの約束を自分のものとしてみませんか? あなたの人生が主の園のようになるのです。

 (PBA制作「世の光」2008.4.11放送でのお話しより)

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■永遠のいのちにいたる食物

2008年04月10日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日は聖書の中のヨハネの福音書6章27節から読んでみましょう。

 「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。

 人間には二種類の空腹感があるのではないでしょうか。つまり、胃袋の空腹感と心の空腹感です。私たちは朝起きてしばらくすればお腹が空いたと思います。昼が近づけば何か食べたいと思うものです。そして夜になればまた胃袋が空になったと思うものでしょう。いつも胃袋を満たす欲求に駆られる。そして食べる、飲む、着る。こうした必要を満たすために毎日暮らしているような所があります。イエスのことばで言えば、「なくなる食物のため」に日々あくせく働いている所があるものですねえ。そして内面にある心の必要を満たすことには何の注意も払わずに歳を重ねていることがあるのかもしれません。

 これまで私は八年ほど、毎年のようにフィリピンのセブ島を訪問してきました。それは、セブ島の貧しい地域に住む子どもたちがより良い将来を得ることができるように教育支援を行うプロジェクトを進めるためでした。そのように度々スラム地区を訪れて気付かされたことは、貧しさの中にあっても笑顔を絶やすことのない人たちがいるということです。

 一方、豊かな国である日本では、たらふく胃袋が満たされていても、心の奥に痛みや悩みを抱え、心が満たされていないという人がいたりするものです。

 イエスは、「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」と語っています。人間の幸福というのは、胃袋が満たされるかどうかだけではなく、心が満たされているかどうかにかかっています。そして心満たされるのはイエス・キリスト御自身であることを聖書は語っているのです。

 あなたにも、イエス・キリストのことばである聖書を読み、心豊かにされる経験をぜひ味わっていただきたいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2008.4.10放送でのお話しより)

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■信じる者に働く神のすぐれた力

2008年04月09日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 私の今日のバイブル・メッセージは、「信じる者に働く神のすぐれた力」というテーマです。聖書の箇所は新約聖書エペソ人への手紙1章19節です。お読みしましょう。

 「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」 新約聖書エペソ書1章の19節です。

 パウロは、エペソの人たちに書いた手紙の中で、信じるすべてのクリスチャンがどんなに素晴らしい立場にあるかを知ることができるように、と祈っています。

 パウロはローマ人への手紙の中でこう言っています。
 「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」 ローマ人への手紙 5章1節

 第一に、義と認められるのです。私たちは自分が神の前に完全に正しいと言い切れる者は一人もありません。それにも関わらず、イエス・キリストが、私の罪のさばきを受けて十字架の上で死んでくださり、死に打ち勝ってよみがえられたことにより、私の義となってくださったのです。(ローマ人への手紙 4章25節参照) そのことを信じる者を神は、たとえどんな罪を犯した者でも義と認めてくださるのです。

 第二に、神との平和が与えられるのです。私たち人間はすべて罪人です。罪人ですから罪を犯します。殆ど意識せず神に背く、神の敵となっているのです。そんな私たちが平和な生活ができるはずがありません。私たちには神との平和が何より必要なのです。イエス・キリストを信じることによって神の赦しが与えられ、神との平和を持つ者とされるのです。その結果、心に平安が与えられ、人々との争いも消え、平和をつくり出す者とされます。

 聖書のことば

 「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」 新約聖書エペソ人への手紙1章19節のことばです。

 (PBA制作「世の光」2008.4.9放送でのお話しより)

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■主イエスを信じなさい

2008年04月08日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか。関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。

 新約聖書の後半の手紙の多くを書いたパウロがピリピという町に伝道に行った時のことでした。

 その町の中を歩いていると、占いをさせられていた女奴隷がしつこくつきまとってきたんです。するとパウロはその混乱した女性の心を回復させたんですねえ。すると今度は女奴隷の主人が、占いをしなくなってしまった女奴隷を見て、パウロたちを訴えてきたんです。商売の妨害をするな、ということなんでしょうねえ。パウロたちはこのことで逮捕され、背中を鞭で打たれ、足枷(あしかせ)をかけられてしまいました。

 でも真夜中頃です。パウロたちは何と賛美の歌を歌い始めたんですねえ。暗闇の冷たい牢屋の中で神様をほめたたえ賛美し始めたんです。すると突然、大地震が起こり、その地震の揺れで牢屋の扉が開いてしまいました。そして鎖も解けてしまったんです。

 さあ、囚人が逃げてしまったと思った看守は大変です。なぜなら、囚人が逃げてしまったなら囚人の代わりにその罰を受けるからです。看守はもうこれで私の人生もおしまいだと思ったでしょう。剣を抜いて自害しようとしたんですね。

 するとその時パウロが大声で「自害してはいけない!」と看守に叫びました。看守は明りを取り、震えながらパウロたちの前に来て、こう質問したんです。「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」(使徒の働き16章30節) パウロは即座に答えました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き16章31節)と。

 パウロは決して看守に「善行を重ねなさい」「修行を行いなさい」「努力をしなさい」「がんばりなさい」とは言いませんでした。ただ「主イエスを信じなさい。そうすれば救われる」と語ったんです。

 信じるということは、ただ頭で理解するということではありません。思い込むことでもありません。自分の人生をこのイエスという方に委ね、「この方こそ私のまことの救い主」として受け入れ人生を歩むという大切な応答なんです。

 この看守は今迄イエス・キリストのことを殆ど聞いたことがありませんでした。聖書の知識もありませんでした。でも自分の人生はもうだめだ、これで終わりだと考えた時に、パウロから聞いたこのイエス・キリストに自分の人生を賭けてみようと決断したんですね。そしてその決断は間違っていませんでした。この看守がイエス・キリストを救い主として信じた時、その家族も同じようにイエス・キリストを信じ歩む生涯に変えられていったのです。新しい人生の出発がここから始まっていきました。

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東海福音放送協力会への問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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