お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
イエス・キリストの時代に宗教家たちのことを聖書はパリサイ人や律法学者と呼んで いたんですね。律法学者というのはモーセの十戒を中心に数多くの律法を研究している人々です。パリサイ人というのはその律法を人々に教えます。いずれも当時の権威ある人々だったんですね。その人々にイエス・キリストは偽善者呼ばわりしたんですからまあ彼らの反感を買い、ついには十字架刑へと追いやられて行く訳ですねえ。
キリストは言われました。「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。」 つまり、神様への敬虔深さも信心深さも、口先・格好だけ、実際は神様からは遠く離れているんだって言うんですねえ。
新約聖書マタイによる福音書の15章の11節には、こんなようなキリストのことばがあります。「口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」宗教家たちへのキリストの痛烈なことばなんです。それを聞いた弟子たちは、そのことばの意味が分らなくてですね、キリストに尋ねる訳です。すると答えられました。「口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。」
余分なことですが、この当時も水洗トイレがあったんですよ。ま、確かに口から入るもの、つまり、もし傷んでいたり悪いものを食べると、ひどい下痢や腹痛を催しますが、出てしまえば回復に向かいますよね。しかし口から出てくるものは人の心を傷つけ傷め、苦しめます。宗教家たちはこのキリストのことばを聞いて、自分たちへのあてつけのことばだと受けとめ、ま、さらに人々の前で恥をさらされたと思ったんでしょうか、まあ腹を立てたと聖書は記述しているんですねえ。
よく相手にとんでもないことを言ってしまった時、「ごめん。腹に無かったんだよ。思ってもないようなことを言ってしまって。」なんて弁解するようなことがありますが、時には気づかないうちに相手を傷つけるようなことばを言ってしまう配慮のなさも感じる時があります。でも、どうでしょうか、本当に腹に無かったことでしょうか。思ってもみなかったことでしょうか。相手に対してあまりいい感情を持っていない場合、やはり内から出てくるもんですよねえ。ましてや、相手の憎しみや怒り、妬みや嫉妬などは口から出て相手を傷めつけます。同時に、こういうものというのは両刃の剣なんですね。自分も傷めつけるんですね。聖書では私たちの内にキリストを住まわせなさいと強調しています。キリストがお住みになると、あなたから出てくるものは素晴らしいものに違いありませんよ。
(PBA制作「世の光」2005.11.17放送でのお話しより )
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