すとう功の周回遅れ

元駅伝選手の「いろんなことに走り続けます」

青東駅伝の時期は今頃

2011年10月30日 | スポーツ

 頭の中では覚えていなくても、体が忘れないでいる時期がある。この時期は『東日本縦断駅伝競走』いわゆる青東(アオトウ)駅伝が始まっている時期でした。アオトウが無くなってから9年が経ちます。

 10月28日は青東駅伝の出発日で、東京へは11月3日にゴールします。北海道、東北、関東などの各県対抗駅伝で、私が小学生の頃は岩沼小学校が中継地点でした。旗を振って応援した記憶があります。

 高校1年(74年)の時に県の予選会はありましたが、その後しばらく休止されていました。東北新幹線の開業(82年)を記念し岩手からの暫定出発でした。この年は岩手県が優勝したと記憶しています。

 私は社会人になって現役を退いていましたが、大学の後輩達が駅伝で活躍していることを羨ましく思っていました。それに奮起されたのか現役に復帰して、「青東を走りたい」と思う気持ちは強かったです。

 翌年から宮城の代表として2年間(83,84年)走りましたが、1週間の期間中3回まで走ることが出来ます。最初の年は2日目の岩手、5日目が地元の岩沼、そして最終日が栃木で3回走ることが出来ました。翌2年目も最終日が埼玉で、この年も3回走りました。

 選手の調子はいつも同じ状況ではありませんから、たまに腹痛や調子が悪いときがあります。俗に言う「ブレーキ」です。一度ブレーキをすると2日目以降の日程に予定されても変更される場合があるのです。

 2年間で大きなブレーキはありませんでしたが、現役引退後はこの時期になるとよく夢を見ました。悪夢というか大ブレーキをする夢は、青東駅伝が始まる今頃見るのです。(今は見ませんけどね!)

 九州一周駅伝が今日長崎を出発しました。本来なら10日間の日程でしたが、九州新幹線の開業を記念し8日間に短縮されルールも大幅に改訂されています。

 本来のコースはゴールしたところから翌朝走るのですが、今回はそうではありません。ゴールしたところとは違う場所から走るのです。駅伝の醍醐味が失われつつあるのかなと思うのですが、スポンサーや交通事情も考慮すると仕方のないことかもしれません。

 日本文化の青東駅伝も、継続して欲しいものです。


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山元町は対応が早いよ

2011年10月28日 | 市政・市制・市勢

 今朝の新聞に仙台市が被災したほ場整備の復興費用の内、農家負担分(1%)を全額仙台市が受け持つという記事がありました。農機具まで失い農業が出来るかなどと危惧されていましたが、これで一つの目安が出来そうで弾みになると思います。

 今日のブログはそのことではありません。記事の隣に山元町議会の臨時議会のことで記載があり、集団移転で揉めていたみたいなので議会傍聴をしてきました。

 記事には集団移転への道筋である「山元町災害危険区域に関する条例」の議決を巡って、公表から3日目で議決とは性急すぎると住民や議会が反発しています。

 最初の案件でしたが「公表からわずか3日では検討期間が短すぎる」「もっと良い方法があれば変更するのか」など、午前中は裁決に入れないほど質疑が多く紛糾していました。傍聴は地元よりマスコミ各社が多かったです。

Photo

 結局、午後から全員協議会を開議するなどして決着しました。決着方法は執行部側が折れて議案を修正することにしたのです。54号議案を取り下げ条例内容を一部修正の上、60号議案として再提出したのです。これって議会の意見を聞き入れたのです。

 修正した内容は「効果について検討を加え、必要である場合は見直しを行うものとする」と言う一文を付け加えただけです。(我市は将軍様が折れることなど、絶対皆無ですね!今までに見たことがない)採決の結果14人中9人が賛成し可決しました。

 町がこの条例を急ぐ理由は6月末に2地区を対象に県による建築制限をかけたのです。しかし期間があり来月10日に失効する前に条例化し復興をスムーズにしようと臨時議会にかけたのです。

 山元町は震災規模が大きすぎて、行政対応が追いつかない状態でした。そこで県の職員だった町長は行政の応援を依頼し、県や他の自治体などから職員が応援に来ている。震災復興推進課の職員はほとんどが出向職員だそうです。

 町長自ら災害危険区域条例制定の住民説明会に出かけるほど熱心で、説明資料には「住宅再建のモデルケースでの試算」などがあり対応がとても早いです。(資料は山元町のホームページにあります)

 費用的な検討は国の方針が定まっていませんから概算ですが、具体的に数字を記載されると一定の効果があるというか説得力があると思います。他所から来ている職員のせいか、それともトップの質の差か、

 岩沼はいつになったら危険区域に指定するのやら。


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河川敷の放射能は高い

2011年10月27日 | ブログ

 今月初めに知人の農家から「新米が取れたので食べてみて下さい」と、袋に約2kgほど頂戴しました。米びつには昨年の米がありやっと食べることが出来ました。ちなみに岩沼産です。これがおいしかった。

 今年の新米は放射能の関係で「新米は要らない」とか「昨年の米を買うから譲って下さい」とか聞きました。いつもは古米が余る現象と真逆のことが収穫前に起きていました。しかし、食べると新米は旨かったです。

 大友健さんのブログに阿武隈川河川敷から高濃度の放射線量が出たとあります。阿武隈川のことは水道水のことばかり考えて、河川敷の放射線量が高いことについては盲点でした。

 台風などで河川敷の上まで水位が上がると、放射能を含んだ水は周辺の土砂に含まれ残ってしまいます。(河川水も放射能の計測をした方が良いのでは?)

 浄水場の浄水過程に発生する水道汚泥には、高濃度の放射線量が計測されています。汚泥が乾燥すればするほど放射線量は高くなります。

 阿武隈川には福島県からの排水と丸森や白石など山間部からの排水が流れ込みますから、必然的に放射能を含んだ水が流れてきます。(下流の宿命ですかね)

 線量計は乾燥した物質と水分を含んだ物質では数値が異なります。雨が降れば数値が下がるはずなのですが、計測地点のモニタリングポストはどうなっているのですかね。

 大きな疑問は除染された土砂がどこに保管されているかです。福島県の除染された土砂などをどこの中間処理施設に廃棄するのか決まっていないと思うのです。岩沼(宮城)もどこに廃棄するか決まっていないのに除染はないだろうね。でもこのままで良いわけではない。

 阿武隈川は放射能が蓄積されて、さて、どうする。

コメント (1)
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今岩沼に足りないもの

2011年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 「2~3日したら大丈夫でしょう」とお医者さんからいわれました。体調もすっかり良くなり元気に走り回っていたが、昨日ブログにコメント頂いたことが気になっています。

 『今岩沼に足りないものは何か』この文章に引っかかっています。我々議員はこのようなことを言われたら即座に答えなければと思います。デモ、、、なんだろう。

 私が敢えて言えるといえば、「この街に足りないものは熱意」ではないでしょうか。熱くなっているものが行政に見出されず、なにか冷めているように思えるのです。

 市民と行政が一体となって何か行動することが、岩沼にはあったのか。。。夏まつり、ほろ酔いウォークラリーなどの行事は市職員も全面的に支援しているが。市長杯、文化芸術祭など市民の関心は今ひとつ。

 昨年は国の施策をまねた岩沼版事業仕分けも茶番で終わった。廃止と見なされたハナトピアは現在でも廃止の「は」の字すら出てきません。仕分け委員の決定を見下しているのでしょうか、バカにしています。

 行政がお金を掛けて開催した会議であり、行政が市民の決定した事項をやり遂げる熱意は全く感じられない。こういう所に熱くなるものを失っている気がする。

 間違ってても良いから決めたことはやりますよって、本当にこれで良いですかという姿勢がないのです。市民だって間違っていれば黙っているわけにいきません。

 そこに市民を巻き込んだ論争が生まれてくるように思うのです。だけど市民は時間がありません。仕事をほったらかして行政側に付き合うほど暇ではありません。

 だから議会があると思うのです。高額と揶揄される報酬を頂き市政を質す議会は市民のためにを御旗に、、、だけど議場で出てくる言葉はお決まりの「お金が無い」

 市民が直接職員に要望を言っても、市長が言う「お金が無い」と言う決まり文句を職員が言ってしまう始末です。市長に掛け合えばと思うのですが、それがこの街の行政は出来ないようです。

 熱意は市民のため、お金が無いでは話にならない。


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初めての救急搬送です

2011年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 生まれて初めて119番に電話し、救急車のお世話になりました。

 昨日[10月23日(日)]の昼、陸上競技場に用事がありいつもの自転車で帰宅。途中、たけくま町内会で会館祭りに立ち寄り、渡辺邦信町内会長(議員)と会いかき氷を食べ柿を購入して普通に帰宅。

 12時~ 自宅に着いて洗濯物の乱れを直している内に、突然の『めまい』が発生。昔、真夏のランニング練習中に『めまい』だけしたことはあります。

 急いで室内に入ったときは建物がグラグラ左右に大きく揺れる現象に見舞われ、猛烈な吐き気を催しトイレに駆け込み嘔吐が2度。(何か食あたりかな!)

 下着が一瞬でズブズブになるほど汗を掻いて体が寒く感じる。目を開けているとめまいが収まらず目を閉じ横になるがるが、頭痛もしてきて呼吸も激しくなり不安がよぎる。(これは食あたりではないなと思う)

 家族は仕事などで出かけて自分一人。でも、市議会議員という身分でありながら救急車を呼ぶのは恥ずかしい。もう少し待とうと思いましたが、どうにもならない。

 12時20分ころ~ 119番に電話し、救急車のサイレンが遠くから聞こえてくる。これで助かるかな、ありがとう救急車、いや消防職員。猛烈な吐き気や頭痛は収まらないまま救急車の中に搬送されました。

 搬送されている救急車の乗り心地は最悪です。(運転方法が悪いのではありません)車が揺れる度に気持ち悪くなり嘔吐が2度ありました。搬送先が地元の南東北病院でしたから近くて助かった。(遠いと大変です)

 病院で心電図、MRI、CT(他にも)検査を受けて、、、診断は「異常なし」お医者さん曰く、『頭の風邪』だそうです。なんということかしばらく判りません???

 頭の病気と思われる救急搬送の内、5人に4人の割合が異常なしで帰れるとのことです。内1人は頭部に異常があるとのことです。つまり、原因不明のめまいみたいです。しかし、気持ち悪くしばらく寝てました。

 16時過ぎ~ カミさんが迎えに来てくれて退院です。帰宅後も具合は悪く寝てばかり。

 21時~ 腹減って目が覚めプリンを食べてたが、その後横になりまた吐いてしまう。

 翌朝(24日)は情報化対策特別委員会(議会だより作成)がありましたが、欠席です。起き上がるとめまいがしました。これで仕事は2度目の欠席です。

 14時過ぎ~ 腹減った~、昨日の朝食べたものは吐いてしまいその後何も食べていないからです。ご飯を普通に食べることが出来ました。薬も飲んで休んでいると気分も良くなりやっとPCに触れる。

 「健康って、素晴らしい」休み休みキーボードを叩く

コメント (2)
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