すとう功の周回遅れ

元駅伝選手の「いろんなことに走り続けます」

県中学校駅伝で4人が

2011年10月06日 | スポーツ

 昨日行われた県中学校駅伝競走大会(角田、34校参加)で、岩沼中学校は女子の部で惜しくも2位でした。全国大会(1位のみ)への出場は叶いませんでしたが11月に行われる東北大会(3位迄)に向けて頑張っていただきたい。

 また、岩沼西中学校も男子の部で惜敗の4位でした。東北大会出場はなりませんでしたが、岩沼市から男女共6位入賞はどちらも立派な成績です。

 市内4中学校の内、岩中と西中には陸上部があり土曜日などは陸上競技場で練習しています。市内の小中学校生には公共施設の減免措置があり事前に申し込めば無料で使用することが出来ます。

 我々『岩沼ジュニアランニングクラブ』(以下、Jr・R・C)も小学生が対象ですから減免されています。今では県内で数少ない使用可能な全天候型の誇れる競技場ですが、残念なことに3種公認から外れています。

 そもそも岩沼で陸上競技場が出来た背景には、いろいろな経緯が聞こえてきます。当初は野球場だとかサッカー場だったなどの諸説があったみたいです。

 当時の渡邊健一郎市長は押分の土地(田畑)を買い上げ東部公共ゾーンとして活用することにしましたが、住宅居住地の他に市民会館や体育館などの公共施設を建設を計画していました。

 また、救急病院の誘致を勧めることで、まちなかを中心とする病院関係者などから多くの反対運動もありました。その後、小野市長に代わり渡邊市長の政策を受け継ぎ、今では欠かせない施設になりました。

 岩沼市政の重大プロジェクトは?というと、古内町長時代からの工場誘致・工業団地(現、日本製紙)の造成と、この東部公共ゾーンではなかったかと思います。

 渡邊市長や小野市長の思いは岩沼の発展に寄与するために、今は何の犠牲を払い、どのような行政を司っていくかではなかったかと思います。陸上競技場の建設計画もかなりの抵抗があったようです。

 競技場建設後9年後にはJr・R・Cを設立しました。それから12年が経ち、昨日の駅伝大会ではJr・R・Cから4人の子供達がそれぞれ区間(2位、3位、4位、8位)で活躍してくれました。

 立派な競技場があっても競技者が育たなければ宝の持ち腐れではないでしょうか。公認を復活し有効利用をしなければ、渡邊市長が草葉の陰で泣いている。

 競技場を大いに利用し、岩沼から全国大会出場へ。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする