すとう功の周回遅れ

元駅伝選手の「いろんなことに走り続けます」

無償のボランティアと

2011年04月29日 | 市政・市制・市勢

 河北新報に「震災後7万人離職」とある。宮城・岩手・福島は津波に加え原発の影響により7万人もの離職票や休業票の交付をしていると報じられています。津波や直接被災がなくても雇用における被災者は大勢いる。

 昨日の記事で被災地の公務員には多額の残業代が支給されていたことが判りました。名取市職員は3月の残業代だけで1億6000万円になったため、市長が半額カットしたところ労働組合から反発に遭い、県から是正指導になりました。(この記事がないと残業代の事実は判りませんでした)

 被災地の職員は直接被災された我が家を振り返ることもなく、昼夜を通し避難所のお世話や担当する仕事をこなしてきました。また、避難所開設に上司の指示で現地に向ったが、その後津波で買ったばかりの新車(自家用車)は流されてしまう職員もいる。ですから、残業代で残ったローンを、、、ある程度は理解できます。労働基準法に照らせば残業代の支給は当たり前なのです。

 今日はがんばろう!!岩沼に、横浜から駆けつけたボランティアの6人が支援物資を届けに来ました。全員が10~30才代で近所や友人・知人から物資を集めワゴン車一杯に持参いただきました。

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 これからボランティアセンターに登録し、岩沼のためにと笑顔を残し車で元気に向っていきました。そこに手紙と義援金が入っていました。中身を紹介します。

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 「負けるな東北!みんなが応援しています愛LOVE!東北」、「しばらく大変な日々が続くと思いますが、少しずつ前に進んでいけることを祈っています」、「心から1日も早い余震が終息に向い、安心して夜も眠れ不安なく朝を迎え1日を普通に過ごせる日が来るようにお祈り申し上げます」

 ボランティアは自費で炊事睡眠を賄い、無償で懸命な作業に来ていただいている。また、復興支援のため遠く見知らぬ方からも貴重な物資とお金が届いています。その行為に深く感謝、感謝、感謝です。

 そう思うと公務員の残業代をカットした名取市長の想いは、多くの人が職を失っている市民目線から見れば共感できます。一方で何もしない首長もいたということです。

 イグチ市長はどちらですか、市民派?職員組合派?

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震災からの復興には

2011年04月28日 | 災害

 震災後、天皇陛下と皇后様が宮城県をご訪問されました。有り難いことです。私達が被災者に「がんばろう!!岩沼」で物的支援だけでは、傷ついた心のケアを癒すのは難しいと思います。

 行政やボランティアのハード的協力もあるが、癒しのためのソフト面も相まって復興に向けた第一歩が始まると考えます。(決して我々のことがどうのこうのと言うことではありません)

 両陛下がご訪問されたことをテレビで見ることが出来ました。両陛下の暖かい言葉やお気遣いが、長期にわたる避難所生活に心のゆとりをもたらしてくれると思いました。

 両陛下が被災された方に接する様子は、親子ような話し方ではなかったかと思いました。膝をつき一人一人にゆっくりと接する仕草がそのように感じたのかもしれません。

 両陛下が阪神淡路大震災十年後に詠まれた句があります。天皇陛下は「嘆かひし後の眼の冴えざえと澄みゐし人ら何方に住む」。また皇后様は「笑み交はしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ

 詠まれた歌からは災害から十年経ても国民への暖かい感情が伝わってきます。私達も出来る事を出来る限りで「がんばろう!!岩沼」したいと考えています。支援物資は続々と集まっています。

 10年後に澄みきった眼で、賑わいを取り戻そう!

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県汚水処理施設を視察

2011年04月26日 | 災害

 議員全員協議会で大震災の東部地区への視察がありました。市所有のマイクロバスに乗り込み10時から2時間の予定で新浜~仙台空港までの視察です。

 主にバスからの視察でしたが途中1ヶ所だけ下車したのは、宮城県阿武隈川下流流域下水道事務所です。県南の汚水と仙台市の一部を集め処理しています。

 職員の方から説明を聞きましたが地震の後、避難指示が出ても施設に残ったそうです。建物はコンクリート造りでしたから倒壊することはなかったのですが、周りの道路がふさがれ2日間施設に閉じ込められたそうです。

 津波が発生してからわずか数分で、周りが完全に海水で飲み込まれ施設が壊れていく様子を職員が撮影していました。写真は左上から右に進めて見て下さい。

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 幸い死者は無かったそうですが、想像以上の津波に早く避難すればと反省していました。

 施設は壊滅的な被害になり今は仮設の沈殿池を作り、汚水を塩素滅菌処理するだけで海に放流しています。150mm~250mmのポンプを10数台稼働して流入量に対し幾分間に合うようになったそうです。復旧当初は200mm1台しか無く、とても足りなかったとのことです。

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 海水は2階の人間の腰の部分あたりまで浸水しました。綺麗に掃除されていましたがここまで復旧するまでは大変だったでしょう。臭いも気になりませんでした。

 大きなポンプが稼働できないのは地下に設置してあった電気品が全滅したからです。電気品は約半年間後に復旧する予定ですが、大きなポンプは7月くらいには仮設で運転できそうとのこと。

 天災に人知を尽くし復旧は想像以上に進んでいます。

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支援の家具も届けよう

2011年04月24日 | 災害

 「がんばろう!!岩沼」が始まって2週間が経ちました。延べ1000人以上の方から支援物資の提供を頂きました。同時に励ましの声とボランティアまで申し出て頂きました。その上義援金、、、有り難いです。

 支援物資は市内から持ち込まれるのではありません。東京で知人に呼びかけ物資を集め9時前に岩沼に着いた岩沼出身の武藤さん。(写真下)

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 また、栃木県の空手道場が集めた支援物資も岩沼に届けて頂きました。栃木の支援物資は県内のみならず大阪や沖縄から届いた物もあります。(写真下)本当に有り難いです。また、市内の方からは家具の提供もあり組織もてんやわんや状態で、引き取りに四苦八苦でした。

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  物資を受け入れている場所(旧,角田胃腸科内科医院)には、今日も70人以上の方が物資を持参して頂いています。施設の中では10人くらいのボランティアがお手伝いを頂いています。また、品物を陳列する駅前事務所はボランティアが20人位になっていました。

 だけど、ここまで組織がスムーズに作られたわけでなく、場当たり的に行動を起したと言えば会に失礼だが、全体像や詳細は後から決定したような気がします。

 ボランティアの協力など全くと言って良いほど考えていなかったような気がします。会を発足した仲間で助け合えば何とかなると安易に考えていたのです。

 そのため運営中には意見の違いから衝突することもしばしばあり、その都度解決策を講じ乗り越えてきました。荷物の引き取り場所や大量の荷物の整理方法など、そして、整理した荷物の保管場所が徐々に見えてきました。

 最後はJRからお借りした店舗の活用方法です。実はこの駅前店舗が大切な役割を果たすことになります。今月末から仮設住宅は入居可能ですが、店舗に家具などの写真も掲示することにしてあります。

 本来はインフォメーションセンターとして主に「大震災」と「がんばろう!!岩沼」の広報的な役割を担当する場所でした。それと家具提供者との総合案内です。被災者に家具を提供したいと、市民の思いがあります。

 仮設住宅はもうすぐ入居、早く駅前を立ち上げたい。

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議員のこだ~ばがめら

2011年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 人は自己中心になりがちなものです。19日付ブログ「大友健の雑記帳」に書かれた〈残念です、誤解と曲解〉は、私達が被災者支援に活動していることが、あるブログから批判されたことについて思いを書いてます。

 様々な意見として賛同するものがあれば、批判に同調する意見もあると思います。人はそれぞれ考え方が違いますから、言い方や書き方で相手に違う受け取り方や考え方が生じてくる。(コメントもたくさんあります)

 しかし人は自分中心にものを見られなくなる。例えば、我が家の庭に小さな畑があり、野菜を植えようとすると狭いなと思うし、草取りをしようと思えば広いなと感じる。

 長年付き添った夫婦でさえ考え方が違うと思いませんか。お互いを理解することもあれば、些細なことで批判し大げんかになることさえあるのです。

 でも、これは残念ですと言うしかない出来事があったことをお聞きした。今回の大震災で避難者ある議員からこだ~、ばがめらいっからわがんねんだ

 地震で家具が倒れ停電し復旧することも出来ず、津波のため避難指示が出た地区の方に浴びせられた言葉です。避難指示の通り総合体育館に避難した一週間後です。

 夜は避難所で過ごし日中は自宅で家の後片付けをしていたら、ある議員が訪ねてきて「避難所に避難しているのか」と質問されたあと「こだ~、ばがめらいっからわがんねんだ

 確かに家は津波の被害がなく、浸水することもなかったそうです。しかし、電気も水道もなく余震で不安な毎日を過ごし、市からは避難指示の後、避難解除の連絡も来ていない状況でした。

 ある議員が震災に対し自分中心に考えれば、避難所には水や食糧があり被害が少ないのに避難していることが我慢できなかったのか。被災者から反論され、ある議員はそこそこに帰って行ったとのこと。

 部分的にしか見られない議員、私は理解できない。

コメント (3)
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