すとう功の周回遅れ

元駅伝選手の「いろんなことに走り続けます」

突然の大雨に、備えは

2014年09月11日 | 災害
 私が住んでいる地区は毎月第2・4木曜日が、新聞紙や段ボールを捨てる日でした。今日は6週間ぶりに貯まりに溜まった段ボールを捨てることが出来ました。なぜなら前回も、そのまた前々回も雨のため捨てることが出来なかったからです。

 昨日のブログでも一部書きましたが、仙台のコボスタあたりで降っていた雨が、岩沼では降っていませんでした。今朝起きてびっくり、日本各地で『ゲリラ豪雨』どころか『観測史上最多の大雨』との報道がありました。

 石巻管内はJRが不通なるほどの『記録的な短時間大雨』で大変なことになっていました。震災の傷跡からまだ癒えぬのに『土砂災害警戒情報』や『大雨警戒情報』がテレビ画面から字幕で伝えられました。報道では数時間に157mmの雨が降ったとありました。

 床上浸水や床した浸水、そして土砂崩れがテレビを通して伝えられ、今後の雨量に注意することが喚起されました。気象庁から東北地方は大気の状態が非常に不安定だと警戒をうながされる。岩沼は昭和61年と平成6年に甚大な水害を経験しています。

 そのような水害が起こるのではと注意していましたが、、、夕方にかけて仙台市や利府町などに大雨が降ったと報道があった。岩沼市内は、、、杞憂に終わりました。(良かった~) でも今週は油断ができません!

 安易に安心できないことがあります。それは大震災で東部地区は地盤沈下をおこし、排水対策が復興事業で施されようとしている。まだ、完成していない時期に大雨は好ましくありません。水稲の収穫時期を迎え、水害は復興に水を差すことにもなります。

 また西部地区は岩沼市の地形状、山間地区(志賀地区など)から流れ降りてくる水量が、JR線路や国道などで堰き止められると思えてならない。JR線路下の水路は昭和50年代以降改修されていませんが、西部地区は大規模な開発で住宅が増えてます。

 岩沼駅西口の16m道路では、車が複数台水没したところがある。それも一か所だけではありません。私の一般質問後に一部地域では埋設水路を大きくするなど改修してくれたものの、その後に大雨が降っていないので、効果は未知数です。

 予測不可能な激甚化する突然の大雨に、備えあればに!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

爆弾低気圧に支援は?

2012年04月14日 | 災害

 「そのような支援はありません。」今月初めに発生した爆弾低気圧で屋根が吹き飛ばされ、雨で家具などを処分することになった。しかし、災害ごみとしての公費は認められず自ら処理せざるを得ない方が居た。

 今月初めに日本海で急速に発達した爆弾低気圧は、宮城県登米市で女性が倒れた木の下敷きで死亡しました。これで全国の死者は4人になりました。

 気象庁が注意を呼びかけた暴風や高波、そして猛吹雪は各地で様々な爪痕を残しました。仙台市では最大瞬間風速が42,2Mなどと、全国80か所以上で観測史上過去最大の暴風を記録しました。

 警察庁によると重傷者は24都県で56人、軽傷者は39都府県で300人以上。これも大変な被害です。その他に東北電力は停電が19万7000戸。JR各社や航空各社でも運休や欠航を含め、運転を見合わせたところが多い。

 我が家も就寝中に飛び起きるほどの暴風があり、家が飛ばされそうな気配もあったほどです。近所では屋根に設置した温水ソーラー設備が飛ばされ近所にぶつかるなどの被害がありました。

 これだけの被害があったにもかかわらず、公的な補助が無いのが現在の状況です。平時なら議会で大騒ぎするくらいの災害だと思いませんか。

 それだけ東日本大震災の影響はあまりにも大きいことを物語る。しかし、大震災だけが公的な補償対象になるべきではありません。天災により罹災された方が受けられるべき公的支援はどのように決められているのか。

 昨日も午後7時10分頃と9時10分過ぎの2回にわたり、震度4や3を記録する地震が発生し、大震災から一年過ぎても余震は未だ収まる気配がありません。

 大震災で一部損壊と査定された我が家は、余震で増々被害がひどくなっています。コンクリート基礎はいくつものクラックが目立ち、被害のなかった内部でも壁紙がはがれてくるところが出てきました。

 行政は余震に対する補助の範囲と、爆弾低気圧みたいな災害にも対応しなければと思うのです。余震が続けば被害は拡大するし、他の天災もある。

 天災に対する公的補助の範囲は、明確ではない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災復興特別委員会は

2012年04月13日 | 災害

 岩沼市議会は今年1月に新議長が誕生し、2月議会で『岩沼市議会震災復興推進特別委員会』を発足した。しかし、特別委員会の足並みは遅く、発足理由の「目的」以外何も決まっていないの現状です。

 第一回の委員会は4月6日に開催されたが、運営方法や調査内容は何一つ決定されたものはありません。いつ、何を、どのようにやるのかが皆無です。

 そこで各会派に持ち帰り会派の代表で、幹事会を開催し会派の意向を集めることになった。震災復興のたたき台を会派間で決っすることにした。

 被災者の側に立って一早い復興を目指さなければなりません。日程は16日まで会派からの提言を集め、20日に会派代表による幹事会が開催される。その後25日に取りまとめたことを全員で協議し決定する予定です。2月議会が終了してから1か月が経過しようとしているが、委員会は始動していません。

 我が会派「いわぬまアシスト」では大友健議員と協議し、時間との勝負との観点からスピードを持った行動計画にまとめました。全体会議を2分割にグループ化し、各々のグループでテーマを決めて行動研究する仕組みを考えました。

 委員会は最低でも月2回開催を目標とし、グループ間での競争も視野に入れています。民間企業なら当たり前の競争が、市議会内に存在しないからです。

 そもそも震災当初から特別委員会を設置しなければいけなかったのに、前議長は作ろうとはしませんでした。いや、作ることが出来ない議長だったかもしれません。これで自民党の支部長とはカタハライタシ。

 新議長はたった2か月で設置できたのです。市議会は過去に水害や台風で特別委員会を設置してきました。その都度議会が提言してきたのに、千年に一度の災害に何もしないことが、実に情けない状況です。

 そのせいか行政はやりたい放題になっていると思いませんか。被災者の意見が通らない集団移転の例が世情を映し出していると思いませんか。委員会はスピードが大事の観点から、1テーマについて

 9月議会までに答申を出す、我々会派の目標です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年台風15号

2011年09月21日 | 災害

 大型で非常に強い台風15号が通過した。家の廻りで大雨の被害です。岩沼駅西口から100m西側で水没による故障車があります。車の後方にも1台ありました。長靴を履こうとしたが膝上まで水があったのでスリッパで行くことにしました。でも、帰宅後排水溝や下水の臭いは強烈でした。

 浸水に関し皆様からの資料などありましたらお寄せ下さい。E-mailsuto2188@chime.ocn.ne.jpまで

Photo

 ここの水深はもっと深いところもあります。

Photo_3

 ここは土ヶ崎の森川子どもクリニック付近。

Photo_4

 消防車が来て通行止めにしていました。

Photo_5

 通行人は歩道ですが、浅いところです。後方が深い。

Photo_6

 栄町のコンビニ です。水路は満水。

Photo_7

 土ヶ崎の住宅街です。たぶん、床下浸水?

Photo_8

 排水路と道路の区別がありません。(左側が水路)

Photo_9


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

県復興委員と意見交換

2011年09月08日 | 災害

 朝夜はめっきり涼しく清々しい季節となりました。窓を開けての就寝は風邪をひきそうですが、日中の気温は30度近くあり紫外線も強烈で太陽による放射線量も高そうです。しかし、今日は清々しくなかった。

 午後一時から岩沼市役所の全員協議会室で、宮城県議会の畠山議長と大震災対策特別委員会議員や県職員を交えて震災復興の意見交換会が2時間の予定でありました。

Photo

 午後一時きっかりに始まった会議では冒頭、地元選出の村上議員から『午前中は、井口市長の案内で被災した玉浦地区を視察してきた』と説明がありました。

 村上議員の進行で県議会議長や委員長、そして岩沼からは市長と議長がそれぞれ挨拶した。委員や我々議員の紹介などで20分の経過です。

 それから震災復興の説明ということで井口市長が15分もの長い説明です。ここまでで35分経過しています。市長の説明中に県委員が眠そうにしていたのを思い出す。(説明がわからなかったのかな?)

 この会議は議員による意見交換会なのですが、なぜ市長が説明しなければならないのでしょうか。議長が説明出来ないから市長に頼んだのか、市長が出しゃばりすぎなのか分かりません。意見交換会は無駄な35分が過ぎ、市長は席を外しました。

 意見交換は活発な質問が飛び、まだ聞きたいことはあったのに2時間という時間切れで終了時刻は3時10分。個別に聞きたいことも、帰りのバスが待っているからといそいそ帰路につかれた。清々しい季節のもやもやとした一日は、議員同士の意見交換ではなかったような気がする。

 市長は議員生活長いから、議員と混同していたの?

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする