すとう功の周回遅れ

元駅伝選手の「いろんなことに走り続けます」

史上最悪の年度末かな

2011年03月31日 | 災害

 年度最後の「みそか」なので大晦日ならぬ「度みそか」とも呼びましょうか。一区切りがつく年度末は、新年度へ向けての新たな希望や目標を作っていく意味でも大切な通過点だったはずです。(それなのに今日も震度5弱の余震が続いている)

 しかし、今年の年度末をどれだけの方が理解していたでしょうか。年度末といえば予算の執行に一区切りついて、会社であれば新年度の入社式が始まります。

 また学校でいえば入学式や始業式などの準備で大わらわです。今年はそんな光景が思い浮かばず、実感がわかないというか今日が年度末とは気付きませんでした。

 書類を作っていて気がついたのですが、大震災の悪夢なら新年度に持ち越さず冷めて欲しいと思うのです。大震災から早くも三週間が過ぎようとしていますが、依然として行方不明者の捜索が難航し、行方不明者は日毎に増えている状況です。

 そんな中、福島第一原発の問題は震災復興に大きく水を差す要因ではないでしょうか。1~4号機は原子炉や使用済み核燃料プール内の燃料が損傷し大気中や海水に放射性物質が広がっています。

 高レベルの放射能に汚染された水が大量に出てきた原因を把握できないほど、関係者は混乱していると思います。対処方法はなんと言っても水で冷やすしかありません。

 1号機は原子炉圧力容器内の温度は、設計上限の302度あたりで推移しています。この圧力容器が壊れると第2のチェルノブイリ状態でなすすべがありません。

 作業に当たっている方は劣悪な環境で作業に従事していると報道されています。大変ですがなんとしても原子炉圧力容器の破損を食止めなければなりません。

 福島第2原発の処理には数十年の期間を要するとあります。日に日に放射性ヨウ素の検出数値が高いことは同じ東北の私達にも不安材料でいっぱいです。

 年度末など忘れているかな、頑張れ!原発関係者。

コメント (1)
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写真の持ち主見つかる

2011年03月30日 | 市政・市制・市勢

 花粉症の季節が今年は震災のようにより一層猛威をふるっています。我が家のベランダには黄色い粉状の花粉が一目で分かるほど蓄積しています。花粉症の私はそれを見るだけで外に出るのが億劫になるくらいです。

 東日本大震災で親戚が被災し床上浸水したので手伝いをしていたら、津波にのって流れてきたものは泥水ばかりでなく写真や思い出の品物もありました。

 本日その泥にまみれた写真の持ち主が見つかりました。1ヶ所にまとまって流れてきたので同一人物と思っていましたが、なんと3家族分のものでした。

 被災されている地区へ伺い、写真を見て頂きました。市民会館には最初の部屋に写真を持って行った所、写真は自分たちのものでないか、汚れた写真を食いつくように見て頂きました。

 やがて、見たことのない写真と分かるとがっかりした様子です。次の部屋を周っている内に写真の持ち主が見つかりました。

 写真の半分は隣の地区から流れてきたと判明しましたが、残りの半分はもう一つ隣の地区から流れていたのです。写真は津波に2km以上も流れてきました。

 大切な思い出は全て無くなり、写真どころか先祖の位牌や生活に必要な印鑑・通帳なども無くなったのです。これから新しい生活が始まると考えても過去の思い出は全て流され無くなりました。

 追い打ちをかけるのは職場が被害に遭って仕事も失った方です。これからの生活に心配と不安で途方に暮れるばかりです。どうしたら良いか思案のしどころです。

 まずは小さいことから始め、やがて大きな輪になっていくことが必要だと思います。私に出来る事はスポーツを通し子供達に汗を流す喜びを伝えることと思います。

 新年度のジュニアランニングの会員は昨年より減少したものの、新規加入者もいます。岩沼の子供達を元気にしそして大人も元気にしたい。私達に出来る事は小さいけれどたくさんあると思うのです。

 仮設住宅の建設は始まったが、被災者は新しい住宅への転居も始まっています。避難所生活からの脱却を図り一刻も早い復興に向けての歩みを始めて欲しい。

 そこで市は独自の助成を決めていかなければならないと考えています。国や県の方針を待つばかりでなく、被災者が安心して暮らせるまちづくりのためにも検討して欲しいのです。

 被災者はこれからが本当の意味で、苦しみが増す。


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し尿やごみは壊滅的だ

2011年03月28日 | ごみ問題

 亘理名取共立衛生処理組合の施設は、東日本大震災で大変なことになっています。組合にある2つの焼却施設(山元・名取)の内、山元は壊滅的被害とのことです。

 海岸から1km程離れた山元クリーンセンターから南方を見たものです。写真を拡大してかすかに判別できますが、遠くに相馬の火力発電所が見えるのです。周りは何も無くなり、下の写真はその有り様です。

Photo

 また、坂元駅から北方を見たのが下の写真です。常磐線の線路は無残に折れ曲がり半月ほど前にぎわいのあった駅前は何も無くなり、山元クリーンセンターが遠くに見えます。

Photo_2

 施設を直接写真に撮っても、ピンとこないので周りを撮影しました。センターは約3mの高さまで水位が上がり破壊され、一年掛けて復旧することを目標にしています。

 また、岩沼市内のし尿処理施設も2階部分まで水位が上がり、機械室はもちろん電気室(中央操作室)まで破壊するなど甚大な被害です。こちらの水位は7mを超えていますが、復旧のめどは立っておりません。

 そのための措置として、し尿を河川へ直接放流することは環境に多大な影響があるとし、し尿については山形県内へ処理をお願いするなど対応しています。

 ごみ処理は名取クリーンセンターが24時間体制で対応することにしています。しかし、許容範囲を遥かに超えて収集されたごみは最終処分場に仮置き状態です。

 施設のみならず、事務機器、収集車、公用車、ごみ集めをするコンテナなどまで多くのものを津波で失いました。これらを揃えるだけでも多額の費用が必要です。

 山元クリーンセンターが再稼働するまでの1年間は、出来る限りのごみ減量化を実施しなければと思います。皆さんと知恵を出し乗り越えたいと考えます。

 甚大な被害を出した今回の震災は、ライフラインの仮復旧だけで1年以上かかる前代未聞の災害です。お金がいくらあっても足りない状況です。

 ごみ有料化にならないためにも自主努力が必要です。


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震災後ごみ処理は安く

2011年03月27日 | ごみ問題

 明日は亘理名取共立衛生処理組合の議会が行われます。いつもなら、し尿処理施設に隣接する事務所(寺島地区)にて開催されますが今回は岩沼市役所の6階にて10時からの開会です。(約2時間程度と思われます)

 傍聴は誰でも自由にできますので、ぜひお越し下さい。ごみ処理施設や最終処分場が大きな課題でしたが、今回の震災でより難問が山積されたと考えています。

 岩沼市が選定したごみ焼却施設候補予定地は、震災(津波)から二週間経ても水が完全にひけていません。山元町にある現焼却施設は津波で壊滅状態となり、震災後行っている回収は焼却できない状態ですから最終処分場に仮置き状態です。

 ごみ焼却施設予定地は山元町と同じくらい海に近いのです。それでも予定地の変更を考えないのか、明日の議会で説明があると思います。

 ごみ焼却施設は100億円規模の事業であり、最終処分場は候補地さえ決まっていない状態です。金額は候補地が決定し、処理内容が決まらないといくらかかるか分かりません。

 未曾有の震災に直面し少ない費用で建設費を賄わなければなりません。ところでこの震災でお金がいくらかかるかを考えてみたのです。(これは私案ですから、、、)

 保険や保証金はいくらになるのかと言えば、東日本大震災では保険に影響が出るとある。世界銀行が試算した復興に向けての資金は19兆円かかるといわれています。阪神淡路大震災では8兆円でした。

 保険金の支払いではスイスの保険会社が970億円と試算しているし、世界銀行の試算では民間生命保険の支払い総額は2兆6千億円。

 経済財政政策担当大臣の与謝野氏によると日本再建に向けた財政は20兆円と試算しています。2009年に日本で購入された生命保険の総額は32兆円です。

 また、日本の外貨準備高は81兆円。金額が大きすぎて何が何だかわかりませんけど、保険の支払いの最短で半年以上かかる見通しだそうです。(数値は日々変更していますので参考にして下さい)

 そこに原発事故です。国は多大な保障を払わなくてはならず、いくらお金持ちの日本でも震災前の状態通りに交付金を補助するでしょうか。これからのまちづくりに、

 ごみ処理は多大な費用を、掛けないように求める。


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原発事故の改善を望む

2011年03月25日 | 災害

 東日本大震災から二週間が経ち死者・行方不明者は2万7千人を超えています。おそらく現段階でも正確な数値は確定していないほどの大震災です。震災直後は死者・不明者数は多数と記事にありました。

 私の住んでいる地域住民の多くは、当初大きな災害ではなかったと認識していた。なぜなら、33年前の宮城県沖地震に比べ家の倒壊などが少なかったからと思います。

 また、翌12日の新聞は配達されることなく、情報が各家庭に伝わらなかった。津波被害を受けていない家庭でも停電でテレビが見られず、電話やネットなどの通信網も遮断されていたことが原因だと思うのです。

 それによりライフライン(電気・ガス・水道)はすぐに復旧すると思っていたほどです。県内では未だにライフラインが復旧していない所もあり、情報が少ないことは変な誤解や不安・不信感を大きくすると痛切に感じます。

 原発事故の影響で風評被害が大きくなり、野菜や牛乳ついには水道水までもが使用制限になる事態です。諸外国からは日本の野菜・穀物の輸入停止や出荷を制限されるなど、より深刻な状況になっています。

 さらに、これまで原発から20kmは避難圏内でしたが、20~30kmは屋内退避圏内でした。しかし、自主避難を促すことになりました。その理由はあまりに唐突です。

 枝野官房長官は「この地域では、商業、物流などに停滞が生じ、社会生活の維持、継続が困難になりつつある」さらに「今後の事態の推移によっては、放射線量が増大し避難指示を出す可能性も否定できない」

 半径30kmまでの避難圏内では避難指示が出ても、寝たきり状態や避難拒否の高齢者が数万人いるといわれてます。原発事故は改善していない状況と言わざるを得ない、そのことを物語っています。

 今日の河北の記事は東電や規制官庁による「ずさんすぎる情報公開」と見出しで批評しています。事故から3日後に発生した水蒸気爆発は内容の隠ぺいと思われる遅すぎた情報です。

 原子炉建屋が爆発し炉心が溶融した可能性が高い未曽有の原子力災害は、誤解と不信感を大きくするだけでなく数万人、いや未曽有の犠牲者と被害を出すことにもなリかねない。

 膠着状態から改善に向かうことを祈るばかりです。


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