すとう功の周回遅れ

元駅伝選手の「いろんなことに走り続けます」

復旧に将軍様の余震が

2011年03月23日 | 市政・市制・市勢

 東日本大震災から復興に向けて明るい話題が、報道やメッセージで寄せられています。しかし、震災から約二週間なのに余震は依然として収まらず、この一週間に東日本方面だけで震度3」以上は81回発生しています。その内「震度5強」はなんと6回も記録しているのです。

 余震は今日だけでも震度3以上が17回発生しています。ライフラインの復旧に向けて工事業者が昼夜を問わず、頑張って頂いてますが余震の影響で地盤が緩くなっています。2次的被害が発生しないように祈るばかりです。

 岩沼だけでなく日本全体が復興に向けてプロセスが書けない状況にある。まず国の財源はどこから捻出するかであります。そして原発事故に伴うエネルギー不足を今後どのようにカバーするかです。

 政府は被災者にバラマキの復興支援では、赤字国債の乱発になるので国際社会から信用を得がたい。また、ライフラインの復旧に向けて空港、港湾、道路などの整備はどこまで復旧するのかも課題です。

 岩沼は新しいまちづくりを早く政策の柱として確立しなければなりません。例えば阪神淡路大震災では、抜本的に変更した所とそうでない所がありました。

 また、原子力発電所の使用が制限されるとなれば、電力の計画停電は企業活動に支障が出て企業の減収減益が予想されます。現に政府は震災復興支援として企業や個人の固定資産税減免を検討しているし、それに過去の法人税還付も考えています。

 減免によって国や自治体の減収減益は復興に向けてブレーキを起します。新年度予算に向けて財源の確保が大きな課題だった政府は、年金や医療を含んだ「社会保障と税の一体改革」を実施すべきと考えます。

 各自治体にあっては自主性を持った、独自の再興策が求められています。効率的で新たなまちづくりは痛みを伴いながら推し進めていかねばなりません。だけど、意見や批判を切り捨て聞く耳を持たない、、、

 将軍様の独裁状態じゃ、余震は収まらないだろう。


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意見を嫌う将軍様なの

2011年03月22日 | 市政・市制・市勢

 昨日の続きです。ブログには掲示板がその後どうなるか書きましたが、一日もせずに見事に切り取られました。被災者の切実な声は簡単に切り捨てられています。

Photo_3

 上は昨日掲載した写真で、市長へ意見を書き込んでいます。下は同じものを今日の午前中に撮影しました。不自然な切り込みは誰が指示し誰が切り取ったのか。

Photo

 隣にもう一枚の掲示板があり、そこにも不自然な切り込みが入っています。そこは何が書いてあったのか??但し上部の方には「市長の顔が見えない」とあります。

 せっかくの意見をいとも簡単に削除するやり方は良くないと思うのです。どこの自治体だって、企業だって上層部に意見や批判はあります。批判が無いところは成長しません。(それとも意見を書かれた方と理解し合えたのですか?)

 被災者は誰にも吐けないよりどころを、市長に求めたのかもしれません。書き方が少々乱暴でも、表現方法が強烈に感じても被災者の思いを理解してはどうですか!市民からの意見を受け止めないで、より良い政治が出来るのでしょうか。

Photo_2

 切り取られた掲示板を見ると虚しい気持ちになります。乱暴な意見でも、いつもの「井口スマイル」で乗り切ればいいじゃないですか。このような対処では政治家にありがちなスマイルに市民はだまされたと思いますよ。

 市長へ意見という情報を発信しようと市役所を訪れたのです。このような仕打ちでは市長に何も言えなくなりませんか! 私にはまるでどこかの国の将軍様みたいに情報統制されているようにしか思えてなりません。 

 「ご自由にお書き下さい」災害掲示板はいつ撤去?

コメント (7)
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被災者から市長へ伝言

2011年03月21日 | 市政・市制・市勢

 東日本大震災から9日ぶりに被災者が救出されました。家具の下敷きになった祖母を16歳の孫が面倒をみながら頑張った成果です。このような記事が出ると災害に頑張れそうです。

 被災地は悲惨です。その惨状を文字で伝えようとすることは中々、伝わりにくい気がします。今日、市役所の掲示板に少し変わった伝言を見つけました。(写真をクリックして下さい。文字が大きくなります)

Photo

 これは市役所一階入り口の掲示板に書いてある伝言板です。真ん中の上には、「伝言板ご自由にお書き下さい」とある。災害時はどこでもある風景です。

 しかし、下の方にちょっと変わった文字がありました。「避難所にこない市長はおかしい!で 井口どこにいる」「市長なにしてるんだ」市長に対する痛烈な批判です。

 いつ書かれたのか判りませんが、公の伝言板に堂々と書いています。以前知人から聞いていましたが、井口市長が避難所に来ないと被災者は嘆いていました。

 被災者は家や土地を失い、体に纏っている衣服だけが財産となりました。深い絶望の淵に沈んでいるのです。一例を挙げると新築の家屋を失い、もう戻ることの出来ない土地に借金だけが残った生活がこれから待っている。

 そのような状況の中、市は被災者に不動産屋さんを紹介するから、個人で住宅を探すように、と言っているそうです。「避難所にこない市長はおかしい」の書き込みは、判るような気もします。

 被災者は災害後の今後について真剣に取り組もうとしています。風呂にも入れず、シャンプーも出来ない状況ですから市長に訴えかけていくものは沢山あるでしょう。

 市長は受け入れるべきです。被災者の声に耳を傾け「市長なにしてるんだ」はどういうことなのか。これから何をすべきか、被災者が頑張れることはなにか、見えてくると思うのです。

 自由な伝言板を、市はいつまで掲載していくのかな。


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被災者に住宅補助金を

2011年03月20日 | 市政・市制・市勢

 東日本大震災から9日目です。岩沼では家屋をなくした方がどれだけいるのか考えてみた。海岸沿いの納屋・蒲崎・長谷釜・二の倉・藤曽根・相ノ釜地区が壊滅的被害です。(他にもあるかもしれません)

 この6地区にあった大半の家は津波で木っ端微塵の状態でしたが、かろうじて家が残っていても全く住めない状況です。9日目に入った避難生活は隣同士と仕切りもなくストレスも蓄積されています。我が家もお風呂に入れないだけでストレスを感じるように避難所生活は過酷です。

 一日も早く新しい住宅に移り、新生活をスタートしなければなりません。しかし、大津波から着の身着のままの脱出でしたから生活必需品さえありません。

 これからの公営住宅や民間アパートそして戸建ても含め新しい住居に移るにも、金銭的理由で移れない方もいます。どうすればよいか思案の悩むところです。

 被災者を住宅地図から拾い出しましたが、納屋(40世帯)・蒲崎(123世帯)・長谷釜(78世帯)・二の倉(95世帯)・藤曽根(20世帯)・相ノ釜(101世帯)の計457世帯です。(対象は個人にしましたが、数え間違えていたらスミマセン)

 市民会館や総合体育館、そしてアイ・プラザに千人以上が避難しています。近くの親戚に移った方もいると聞きましたが、数は一向に減りません。

 そこで家が被災した世帯には、住宅補助費をだしてはどうかと考えました。1世帯あたり5万円の補助を3年分拠出したとして8億3千万円です。災害から立ち直る期間として3年を設定しました。

 拠出金額を決めないで、住宅補助費を50%などとすることも検討しなければなりません。岩沼の基金は全体で62億7千万円と潤沢です。でも、使えない基金もあります。

 このような災害などに使用できる一般会計財政調整基金が27億3千万円。他にも使えそうな空港周辺地域環境整備基金が5億円、計30億円の積み立てあります。

 宮城県は災害に数千億円の費用を拠出するようです。国がやるべきことと、県がやるべきことがあります。岩沼がやるべきことは被災した市民を早く救済することです。

 将軍様の決断が遅れると、原発事故の二の舞かな。

コメント (3)
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喉元過ぎれば忘れたい

2011年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 大震災より一週間が過ぎ、彼岸になっていたことも忘れてしまう今日この頃です。本来であれば墓参りに行くこの時期ですが、地震で実家のお墓がどうなっているのか確認もしていませんでした。(反省!)

 戦後最悪の死者数と河北の記事は大きな見出しで出ています。阪神大震災を上回る死者数6911人の発表に、まだ行方不明者は1万人を超えています。岩沼では今日も遺体の発見があり130体を超えたと噂があります。(実態の詳細は不明です)

 おそらく200人が岩沼で犠牲になったのではないかと推測されています。田んぼに積もった海水はいまだに曳くことがなく、車が斜めに突き刺さっている状態ですから救助作業が遅々として進みません。

 震災後に無事が確認されたにもかかわらず、その後音信普通で心配していた親戚が来てくれた。現在も停電で電話がつながらず、携帯電話の電源が無くなったための音信不通でした。

 岩沼は14日の午後に電気が復旧したので携帯も使用できましたが、よそはまだ復旧していないのが現状です。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」電気のありがたみを5日も経つと忘れていたのでしょうね。

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」は、困っている時さんざんお世話になっていたのに今では知らん顔という意味もあれば。辛いことは時間が過ぎれば忘れてしまうという解釈もあります。

 世知辛いというか暮らしにくい世の中でも、助け合いながら災害に立ち向かっていかなければなりません。新しい未来のために努力をし、未曽有の災害を克服するためには幾多の困難が待ち構えています。

 このようなことを書くと誤解を招くかもしれませんが、辛いことは忘れてしまうことも大切です。しかし、辛いことは決して記憶から消えるものではありません。人生の財産になるものと信じています。

 市内の小学校は終業式や卒業式が今月末に同日に執り行われることが決まったそうです。前例のない経験と日程は子供達にとっても新しい思い出になるでしょう。。。こんなことがありましたと

 明日はお墓参りに行って、先祖に報告してきます。


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