ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

聖書の厳しい言葉

2014-11-21 21:36:31 | 今日の聖句
今日の聖句は 「申命記」5章8節~10節 です。
あなたはいかなる像も造ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。
わたしは主、あなたの神、わたしは熱情の神である。
わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、
幾千代にも及ぶ慈しみを与える。


この聖句は、先日の修養会で求道中のNさんが発題された箇所です。
仏教や神道が生活の中に浸透している日本においては生活の様々な場面で、キリスト教から見たら
異教の神々に手を合わせたり参拝したりする機会が多々あります。
そのような時に罪が孫子の代にまで及ぶのはとても耐えられない、と真剣に発題されました。

私は、旧約聖書のナアマンの記事を思い出しました。
預言者エリシャによって重い皮膚病が癒され、ヤハウェ礼拝者となった、ダマスコの王ベン・ハダトの軍司令官
ナアマンが下のようなことをエリシャに尋ねるのです。

「列王記下」5章17節
「ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。
わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。
そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。
わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦して下さいますように。」
エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。


神様が、Nさんの真剣な思いを篤い信仰に変えていってくださいますように、心からお祈りします。

今、新約聖書はヨハネ伝を読んでいます。 
下の聖句は、自分が見えていると傲慢に思いこむことは容易く罪につながるようで、私にとって、
これも厳しい聖句です。
「ヨハネによる福音書」9章41節
イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。
しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」



北の国から渡ってきた<ツグミ>春まで日本で過ごします。
背景のすっきりした野鳥写真が撮れました。 (^-^)


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
今週の聖日 11月23日は礼拝の前 午前10時から10時20分までは「聖書の学びの会」です。
十戒の続きが話される予定です、楽しみです。
教会は初めて、という方もどうぞ安心して扉を開けてお訪ねください。
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