ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌504番

2014-11-27 13:19:06 | 讃美歌
先日11月23日は「収穫感謝礼拝」で、主の恵みによる収穫を感謝いたしました。
礼拝で歌った、讃美歌504番「実れる田の面は」です。

1)実れる田の面(も)は 見渡す限り
  穂波の立ちつつ 日影に匂(にお)う
 
 Chorus:
  垂穂(たりほ)は色づき 敏鎌(とがま)を待てり
 いざいざ刈らずや 時過ぎぬ間に

2)しののめと共に とく起き出(い)でて
  暮れ果つるまでも 刈らしめ給え
Repeat Chorus.

3)刈り入れ豊かに 刈り手は乏(とぼ)し
  勤(いそ)しむ僕(しもべ)を 主よ、増し給え
Repeat Chorus.

4)刈り入れ終えなば 天つ御倉(みくら)に
  収めて祝いの 筵(むしろ)に侍(はべ)らん
Repeat Chorus.

“Far and near the fields are teeming” by J.O.Thompson, 1885
「REAPERS」 by J.B.O.Csemms, 1885

ネットで讃美歌の解説は見つけられませんでしたが、
収穫感謝祭(11月25日)についての記述がありました。*********************
 
1607年ごろ、当時、英国国教会に圧迫されたピューリタン(清教徒)と呼ばれた人々は、
信教の自由を求めてオランダのアムステルダムやライデン地に逃れました。
しかし、ここでも迫害を受けたので、自由の天地を求めてメイフラワー号という船に乗って
アメリカ大陸を目指しました。
男子78名、女子24名、計102名の人々が2ヶ月もかかって大西洋を渡り、1620年の秋の暮、
「新大陸」に到着しました。
この人々が、米国独立の理想の礎石となったピルグリム・ファーザーズと呼ばれる一群でした。
しかしこの地方は非常にやせた土地で、翌年の夏までに半数の人が死んでしまうような過酷な毎日でした。
彼等の大部分は都会出身の、いわゆる知識階級の人々で、農業についても開墾についても、
ほとんど知識と経験をもっていませんでした。
やがて遅い春が来たとき、冬の間に親しくなった、近くにいた先住民のインディアンたちが、
とうもろこし、えんどう豆、小麦、大麦の種を分けてくれ、播き方を教えてくれました。
そして、秋が来て最初の農作物を収穫した時、彼らは開拓地の教会に集り、感謝の礼拝をささげ、
また家庭にインディアンの友人たちを招いて、感謝祭の食事を共にしました。
とうもろこしや小麦のパン、カボチャパイ、野性の七面鳥に鴨のロースト、
それに野性のつるこけもものゼリー状のソースなどをそえてのごちそうでした。
1864年、リンカーン大統領はこの出来事を記念して11月第4木曜日を祝日に定めました。

今は、日本の教会では11月第4日曜日を収穫感謝の日として、野菜や果物を教会に持って集り、
祭壇にささげて礼拝を守ります。
また、その献げ物を施設などに届けて感謝を分かち合う教会もあります。**********************


讃美歌504番はココをクリックすると聴くことができます。



<アオジ>が山から下りてきました。今シーズン初撮りです。


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コメント (2)
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