「ヨシュア記」13章15節からはイスラエル民族の各部族の領地についての記述です。
ルベン族
アルノン川の川べりにあるアロエル、すなわち谷の中の町からメデバの台地全域、ヘシュボン、その台地の町々、
ディボン、バモト・バアル、ベト・バアル・メオン、ヤハツ、ケデモト、メファアト、キルヤタイム、シブマ、
平野を見下ろす丘にあるツェレト・シャハル。
ベト・ペオル、ピスガ山の傾斜地、ベト・エシモト、その他、台地の全ての町で、ヘシュボンを都とした
アモリ人の王シホンの王国全体に当たる。
ルベンの人々の領域はヨルダン河の東側地域であった。
ガド族
ヤゼル、ギレアド地方のすべての町、アンモンの人々の国の半分で、ラバの向かいにあるアロエルまでと、
ヘシュボンからラマト・ミツパ、ベトニム、マハナイムを経てリデボルの境までである。
また平野では、ベト・ヤラム、ベト・ニムラ、スコト、ツァフォン、かつてヘシュボンの王シホンの王国の一部であり、
キネレト湖南端に至るヨルダン川地域、すなわちヨルダン川の東側である。
マナセの半部族
マハナイムからバシャン全域、すなわちバシャンの王オグの王国全体、およびバシャンにあるヤイルの集落のすべてである
六十の町、ギレアド地方の半分、バシャンのオグ王国の町、アシュタロト、エドレイに及んだ。
ユダ族の境界線
ユダの人々に割り当てられた領土は、最も南にあって、エドムと国境を接し、ネゲブのツィンの荒れ野に及んだ。
この南境は、塩野海の南端の入り江から、アクラビムの坂を南に向かい、ツィンを過ぎ、カデシュ・バルネアの南からヘツロンを過ぎ、
アダルを経て、カルカへまわり、アツモンを通って、エジプトの川に沿って進み、海に達する。これが南境である。
東境は、塩の海であって、北端のヨルダン川が注ぎ込む河口までである。
北境は、この河口すなわち入り江を起点とし、ベツォ・ホブラ、ベト・アラバを北上し、「ルベンの子ボハンの石」を経て、
アコルの谷からデビルに向かい、更に北上してギルガルに至る。 ここから南の川向うがアドミムの坂である。
そこからエン・シュメシュの泉、エン・ロゲルに達し、さらに、ベン・ヒノムの谷、エブス人の丘、すなわちエルサレムの南側を上り、
ヒノムの谷を隔てた山の頂に上る。そこはレファイムの野の北端に当たる。
この山の頂から下って、ネフトアの泉、エフロン山の廃墟を経て、バアラすなわちキルヤト・エアリムに折れ、そこを西に曲がって
セイル山に向かい、更にエアリム山すなわちケサロンの北斜面を経て、ベト・シェメシュに下る。更にティムナ、エクロンの北斜面を進み、
シクロンを折れ、バアラ山を過ぎ、ヤブネエルを経て、海に達する。
西境は大海の沿岸である。以上が氏族ごとにユダの人々を囲む境である。
ユダ族
ユダの人々の部族が氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地
エドムと国境を接するネゲブにあるユダの人々の部族の町々。
カブツェル、エデル、ヤグル、キナ、ディモナ、アドアダ、ケデシュ、ハツォル、イトナン、ジフ、テレム、ベアロト、ハツォル②、
ハダタ、ケリヨト・ヘツロンすなわちハツォル③、アマム、シェマ、モラダ、ハツァル・ガダ、ヘシュモン、ベト・ペレト、
ハツァル・シュアル、ベエル・シェバおよび周辺村落、バアラ、イイム、エツェム、エルトラド、ケシル、ホルマ、ツィクラグ、
マドマナ、サンサナ、レバオト、シルヒム、エン・リンモン、以上二十九の町とそれに属する村。
シェフェラには、エシュダオル、ツォルア、アシュナ、ザノア、エン・ガニム、タブア、エナム、ヤルムト、アドラム、ソコ、アゼカ、
シャアライム、アディダイム、ゲデラ、ゲデロタイム、以上十四の町とそれに属する村。
ツェナン、ハダシャ、ミツパ、ヨクテエル、ラキシュ、ボツカト、エグロン、カボン、ラフマス、キトリシュ、ゲデロト、ベト・ダゴン、
ナアマ、マケダ、以上十六の町とそれに属する村。
ふ~っ、草臥れました。
こういう聖句はサラリと読み流せばよいのに地名や名前をみるとついつい引きずられてしまいます。
こういう記述をブログに載せるなら、スキャナーで読み込んで載せればよいのに、これまた、ついついキーボードからせっせと
打ち込んでしまう自虐的な私を笑ってください。
まあ、こんな風に「ヨシュア記」13章~19章まではクジで割り当てられた各部族の領地が記述されています。
土地の分割を地図や図面でなく言葉で言おうとすれば、事細かになるのは当然ですね。
土手の草むらで子育て中の<セッカ>
雛へのお土産は大きな蜘蛛です。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
ルベン族
アルノン川の川べりにあるアロエル、すなわち谷の中の町からメデバの台地全域、ヘシュボン、その台地の町々、
ディボン、バモト・バアル、ベト・バアル・メオン、ヤハツ、ケデモト、メファアト、キルヤタイム、シブマ、
平野を見下ろす丘にあるツェレト・シャハル。
ベト・ペオル、ピスガ山の傾斜地、ベト・エシモト、その他、台地の全ての町で、ヘシュボンを都とした
アモリ人の王シホンの王国全体に当たる。
ルベンの人々の領域はヨルダン河の東側地域であった。
ガド族
ヤゼル、ギレアド地方のすべての町、アンモンの人々の国の半分で、ラバの向かいにあるアロエルまでと、
ヘシュボンからラマト・ミツパ、ベトニム、マハナイムを経てリデボルの境までである。
また平野では、ベト・ヤラム、ベト・ニムラ、スコト、ツァフォン、かつてヘシュボンの王シホンの王国の一部であり、
キネレト湖南端に至るヨルダン川地域、すなわちヨルダン川の東側である。
マナセの半部族
マハナイムからバシャン全域、すなわちバシャンの王オグの王国全体、およびバシャンにあるヤイルの集落のすべてである
六十の町、ギレアド地方の半分、バシャンのオグ王国の町、アシュタロト、エドレイに及んだ。
ユダ族の境界線
ユダの人々に割り当てられた領土は、最も南にあって、エドムと国境を接し、ネゲブのツィンの荒れ野に及んだ。
この南境は、塩野海の南端の入り江から、アクラビムの坂を南に向かい、ツィンを過ぎ、カデシュ・バルネアの南からヘツロンを過ぎ、
アダルを経て、カルカへまわり、アツモンを通って、エジプトの川に沿って進み、海に達する。これが南境である。
東境は、塩の海であって、北端のヨルダン川が注ぎ込む河口までである。
北境は、この河口すなわち入り江を起点とし、ベツォ・ホブラ、ベト・アラバを北上し、「ルベンの子ボハンの石」を経て、
アコルの谷からデビルに向かい、更に北上してギルガルに至る。 ここから南の川向うがアドミムの坂である。
そこからエン・シュメシュの泉、エン・ロゲルに達し、さらに、ベン・ヒノムの谷、エブス人の丘、すなわちエルサレムの南側を上り、
ヒノムの谷を隔てた山の頂に上る。そこはレファイムの野の北端に当たる。
この山の頂から下って、ネフトアの泉、エフロン山の廃墟を経て、バアラすなわちキルヤト・エアリムに折れ、そこを西に曲がって
セイル山に向かい、更にエアリム山すなわちケサロンの北斜面を経て、ベト・シェメシュに下る。更にティムナ、エクロンの北斜面を進み、
シクロンを折れ、バアラ山を過ぎ、ヤブネエルを経て、海に達する。
西境は大海の沿岸である。以上が氏族ごとにユダの人々を囲む境である。
ユダ族
ユダの人々の部族が氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地
エドムと国境を接するネゲブにあるユダの人々の部族の町々。
カブツェル、エデル、ヤグル、キナ、ディモナ、アドアダ、ケデシュ、ハツォル、イトナン、ジフ、テレム、ベアロト、ハツォル②、
ハダタ、ケリヨト・ヘツロンすなわちハツォル③、アマム、シェマ、モラダ、ハツァル・ガダ、ヘシュモン、ベト・ペレト、
ハツァル・シュアル、ベエル・シェバおよび周辺村落、バアラ、イイム、エツェム、エルトラド、ケシル、ホルマ、ツィクラグ、
マドマナ、サンサナ、レバオト、シルヒム、エン・リンモン、以上二十九の町とそれに属する村。
シェフェラには、エシュダオル、ツォルア、アシュナ、ザノア、エン・ガニム、タブア、エナム、ヤルムト、アドラム、ソコ、アゼカ、
シャアライム、アディダイム、ゲデラ、ゲデロタイム、以上十四の町とそれに属する村。
ツェナン、ハダシャ、ミツパ、ヨクテエル、ラキシュ、ボツカト、エグロン、カボン、ラフマス、キトリシュ、ゲデロト、ベト・ダゴン、
ナアマ、マケダ、以上十六の町とそれに属する村。
ふ~っ、草臥れました。
こういう聖句はサラリと読み流せばよいのに地名や名前をみるとついつい引きずられてしまいます。
こういう記述をブログに載せるなら、スキャナーで読み込んで載せればよいのに、これまた、ついついキーボードからせっせと
打ち込んでしまう自虐的な私を笑ってください。
まあ、こんな風に「ヨシュア記」13章~19章まではクジで割り当てられた各部族の領地が記述されています。
土地の分割を地図や図面でなく言葉で言おうとすれば、事細かになるのは当然ですね。
土手の草むらで子育て中の<セッカ>
雛へのお土産は大きな蜘蛛です。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。