ゆうゆうの教会便り

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「ダビデ、王となる」

2013-10-28 22:42:37 | 説教
昨日の礼拝説教 テキストは「サムエル記下」5章1節~5節 タイトルは「ダビデ、王となる」でした。

イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。
これまで、サウルが私たちの王であった時にも、イスラエルの進退のしこをとっておられたのはあなたでした。
主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」
イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。
ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。
ダビデ王は三十歳で王となり、四十年間王位にあった。
七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した。



神の救いの御計画の実現は時間がかかりますが、私たちはそれを信じて待つことができます。

神はダビデを王と定め、サムエルによる正式な任職式(油を注ぐ)は済ませていたにも関わらずその実現には十数年かかりました。
その後、王となってもユダとイスラエルの王として全土を統治する前も7年半はヘブロンにいました。
この間にダビデは王となる訓練(試練?)を受け謙遜を学びました。
ダビデ王の千年後にイエスの誕生があり、イエスもまた謙遜の人でした。
謙遜は、キリスト者としてまた人間として生きる私たちにも当てはまることです。
神を知ることで希望を持って艱難な人生を生きてゆけます。 サウルもまた最初は謙遜な王でした。

ダビデは自分が王になろうという思いはなく、嫉妬に狂ったサウルに追われればただ逃げるだけでした。
堕ちてゆくサウルとダビデは対照的です。
ダビデは竪琴でサウルを慰めるために王宮に入った慰めの人でした。(イエスもまた慰めの方でした。)

ゴリアテを倒してから以降のサウルは戦士としても優れた働きを続け「サウルは千を倒しダビデは万を倒した」と民の称賛を一身に受け、
このことにサウルは激怒し、ダビデを殺そうと決めました。

ダビデは寛大な心を持ってサウルに接しました。

ダビデを撃とうと三千人もの兵士を引き連れて出かけた地で、サウルはダビデが隠れているとも知らず、その洞穴で眠ってしまいました。
ダビデの家来たちは千載一遇のチャンスと、サウルを殺すようダビデに勧めます。
人生最大の試練でした。 善い事のために少しくらいの悪(殺人)は許されるのか?という試練です。
ダビデは神が油を注ぎ王とされた方、サウルに手はかけられないと言って殺しませんでした。

神を愛し神を畏れる人、ダビデは神の御意志に従い、忍耐と謙遜を学んだのです。
ダビデが王となるのは人間の力や運命の力ではなく神が選ばれたのだと言うことをダビデは学びました。
サウルから逃れての長年の苦しみの生活は決して無駄ではなく、試練を通して、神の計画を信じる信仰を養われました。

私たちがクリスチャンとなったのも私たちが選んだのではありません。
「あなたが選んだのではなく私が選んだのだ。」と神は言われます。
神により選ばれ、キリスト者として生き、永遠の命を与えられた喜びは何物にも代えがたいものです。
時間や試練を経て実現する神の業はすべてその時に適って美しい。(伝道の書)
地上の人生は望み豊かな、神のご計画実現のための時なのです。
                                  (以上、文責はゆうゆうにあります。)




公園の<小鷺>です。


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昨日の礼拝では司会の方が「多くの苦しむ人が主に出会いますように!主の栄光に導かれますように!」と祈られました。
私もそう祈ります。 アーメン!

また昨日の礼拝には初めての方が美竹教会に見えました。 どうぞ続けて礼拝に出席なさいますように! 
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