何気ない毎日が 風のように過ぎてゆく~♪
喜多條忠作詞、吉田拓郎作曲の「いつか街で会ったなら」は、1975年にリリースされた中村雅俊さんの歌であります。『夢屋国王』当時15歳…東京の下町や多摩地方の大学生活について、ぼんやりと憧れを抱いていた頃かも知れません。「俺はぜったい!プレスリー」や「おら東京さ行ぐだ(注1)」で東京行きを決心したものの、生活を支える基本は奨学金とアルバイト…大学の寮生活であっても、奨学金が無くては大学進学は無理だったような気がします。今、その奨学金の返還に苦しむ学卒者も多いと聞く…正規労働者としての雇用が決まらず、不安定な生活を余儀なくされている結果であると言う。
「600万円超」の高収入層に比べ「200万円未満」の低収入層では、一日当たりの野菜の摂取量が 24gほど少ないことが、厚生労働省の国民健康・栄養調査(2011)で明らかになったと報道されております。年間の摂取量に換算すれば、小ぶりのダイコンで9本、大きな白菜で4球ほどの違いしかないのでありますが、収入の高低で違うなどという調査結果が興味をそそるのであります。お金に換算したら、スーパーの小売りでさえも1,000円ほどの違いでしかないのだけれど、貧乏人は野菜が食えない…オラは貧乏だけど、野菜しか食えない^^;
みんなが貧乏だったけれども夢があった時代と、貧乏人には夢さえも見てはいけないような時代と、果たしてどちらが幸せなのだろうか?学生時代に比べれば、お金には確かに余裕が出てきたような今の自分があるのだけれど、自分と同じように息子たちは、少々の余裕を楽しめる将来があるのだろうか?ふと、オヤジでさえ不安を感じてしまう昨今であります。今夜は、同じ頃、東京に出て行った同級生と呑むのであります^^;
注)「おら東京さ行ぐだ」は1984年のリリースだそうですから、『夢屋国王』は、この歌を聞いて東京行きを決心した事実はありません。今日は、探偵業はお休みであります。