知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

国家が弱者を守る

2019年12月13日 | 国家論
グローバル化の行き着く先は、
 弱肉強食の世の中
です。

 力がある者が、裕福になる。

この力は、現在では
 スキル
です。

例えば、ITスキルがある人材は、
 1000万円以上でグーグル、アマゾンなどに採用される。

そこには、
 国籍、人種、宗教、性別、家柄などは関係ない。

問われるのは、
 結果が出せるかどうか。

すなわち、
 スキル。

人種、信条、性別、社会的身分、門地などにより差別されない。
まさに、
 憲法14条
であって、
 平等でよいことのように思える
わけです。

これが、グローバル化の目指す平等の概念です。

ところが、
 裏返すと、スキルがない者には過酷な社会
となります。

グローバル社会は、
 過酷な競争社会
というわけです。

誰でもできる仕事は、
 単価がどんどん下がっていく。

ウーバーなど、タクシー業界の競争などをみると、
 そのことは分かる
と思います。

今後、
 外注ビジネスがさかんになれば、低価格で仕事をする人を容易に見つけられる時代になる
わけです。


日本が恵まれていたのは、
 言葉の壁
があったからです。

ただ、コンビニ店員、飲食店店員など、
 言葉があまり重視されない
業界から、
 外国人留学生のバイト
が増えてきています。

現在、仕事が見つけられない高齢者の数も増えてきており、
 65歳以上の高齢者の生活保護受給率は年々増加している。

そのため、国は、補助金を出してなんとかしようとしていますが、
 事業者に補助金を出せば、高齢者を雇う
という安易な発想では、効果は期待できないわけです。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000139221.html


移民問題も、本質は同じです。

国民の中には、
 スキルが高い者も、そうでない者も様々
です。

スキル自体も、いろいろなスキルがあり、
 直接、仕事につながる
わけではありません。


国家の役割は、
 国民を幸せにする
ということ。

そのため、
 国民以外の者は、国民よりも劣後してもよい
ということになります。

「外国の人権」が日本国民と異なるのも、
 こういった発想からです。


もちろん、すべての人が豊かに、幸せに暮らせる世の中が理想的です。

しかし、
 一定水準の生活レベルを、すべての人に提供する
ことなど不可能です。

日本国民の生活保護レベルの暮らし(最低限度の生活)は、
 東南アジアの国々からすれば、富裕層の暮らし
になります。

グローバル化は、この障壁を低くしていくということ。

その結果は、
 先進国の多くの国民の生活水準は下がり、
 発展途上国の多くの国民の生活水準が上がる
ということを意味します。

この10年で、このことが
 明確になってきたため、アメリカ、欧州では、保護主義的な政党が政権を取るようになった
わけです。

イギリスも保守党が大勝し、ブレグジットが進むと言われています。

イギリスのEU離脱は、
 イギリスの障壁を高くし、自国の利益を守る
ということに主眼が置かれています。

優秀な人材(企業)は、
 グローバル化の方が、チャンスが広がる。

世界的なコンサルタントは、
 グローバル推進の急先鋒。

確かに、優秀な人材(企業)は、どんな世の中でも豊かに暮らせていけます。
知的スキルが高ければ、効果的に稼ぐ方法を見つけられるからです。
障壁が少なければ、効果的に稼ぐ方法を実行する場所が増えることになり、
 得られる利益はどんどん増えていく
ことになります。

ただ、そうでない人、企業は、どうしたらいいのか。
たいした独自性のない人、企業は、どうしたらよいのか。

言われたことしかできない人も、
 不自由なく暮らせるようにする
には、
 仕事に就けるようにし、それなりの給料がもらえるようにする
必要があります。

その役割は、
 国家の役割
です。

国民が教育を受けられるようにし、
 その教育を受ければ、それなりの給料がもらえる仕事に就けるようにする。

教育を受けても、食べていけないなら、教えている内容が間違っていると言うことです。


仕事を創設する事業者がいて、
 従業員として、それなりの給料がもらえるようになっている。

 労働基準法
などの法律によって、
 奴隷のようにこき使われることがないようにする。

これが、
 国家が弱者を守る
ということです。。


グローバル化で、
 国内から、工場や、事業者がいなくなり、
結果として、
 仕事がなくなってしまったら、
 ばりばり働けるスキルの高い人は、海外や外資系で稼ぐことができても、
 そうでない人は、お金を手に入れる術を失ってしまいます。

すべての国民がアマゾンで物を買うようになり、
 町の商店がすべてなくなる
ことで、
 アマゾンは膨大な利益を得るものの、そのキャッシュの流れには入れなかった者は仕事にありつけない
ということになります。


国として見たときに、
 スキルがない国民もお金を手に入れることができるようにする
ことが大切であるということが分かると思います。

かつては、
 公共事業により、多くの高齢者の労働者を雇用することができました。

60歳以上の高齢者でも、建設土木では働くことができていたわけです。
それが、
 公共事業が削減され、仕事を失った高齢者は生活保護の受給者に転落してしまった
わけです。

かつて、
 飯場(はんば)
というものがあり、
 日雇い労働者の需要も多かったため、自分の力で生活ができていた
という点が重要です。

大型公共事業は、批判されるものの、
 生活保護受給者に転落する人を減らすためには、一定の公共事業は必要なのだと思います。

将来の国民にとってもメリットになるような
 老朽化した公共施設メンテナンス事業
は、
 きちんと取り組んでいく必要がある
と思います。

 高齢者に働かせるなんて、ひどいやつだ
という意見もあるかと思いますが、
 生活保護は、あくまでも、例外の制度
です。

生まれながらの障害や病気、けがなどで働けない、
 自分ではなんともならない人を助けるための制度
です。

そもそも、
 高齢者は、年金で暮らせるようにする
というのが原則です。

なぜ、年金で暮らせないのかというと、
 年金の運用の問題
や、
 人口構造を考慮していない制度設計
が理由です。

今後、
 年金は削減され、生活できない人が続出し、生活保護を年金の補填の制度として使う
ことになるため、
 社会保障費が激増する
ことになります。

 国家は、国民を守る
ために、存在しており、
 当然、弱者は救済される必要があります。

ただ、
 そのつけを、一部の国民に強いる
となると、
 その一部の国民が海外に逃げ出してしまいかねません。

また、
 その一部の国民を守るのも、国家の役割である
ことからすると、
 その裕福な国民に課す負担にも、限界がある
わけです。

半分以上の収入を税金としてもっていくとなると、
 収奪された
と言われても仕方ないレベルです。

では、どうしたらいいか?

 働ける人には、働いてもらう。
 高齢者であっても、無理なく働ける時間は働いてもらう。
それにより、
 年金の補填としての生活保護の利用を抑える。

国民は助け合って、
 すべての国民が幸せに暮らせるようにする。

理由は、
 同じ国民だから
です。

家族が助け合って暮らしていくのと同じように、
 同じふるさとの仲間や、学校の卒業生が協力するのと同じように
助け、助けられていく。

これが、
 コミュニティの意義
で、
 保険の機能
になります。

コミュニティで助け合う理由は、
 家族であり、同郷であり、同じ学校だから、自分が困ったときには助けてもらえる
という信頼が背景にあります。

グローバル化は、
 地球の民
という点で、
 みんな同じだ
という見方になります。

豊かであれば、
 地球民で助け合える
わけですが、
 足りない場合には、まずは家族で食べ物を分け合う
はずです。

そう考えると、まずは、
 国民で分け合う
という発想も
 あながち間違っているとはいえない
ように思えてきます。

保護主義の正当性は、こういったところにあるわけです。

世界レベルで見たときに、
 先進国の暮らしが、現在よりも悪化する
ことで、
 保護主義の流れが、ますます進んでいく
ことになるはずです。
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