知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

日本の問題点⑧ 論理的思考能力の欠如

2021年05月27日 | 国家論
 日本人は議論が苦手である
と言われています。

何か言われても、
 すぐに言い返すことなく、笑ってごまかす。

自分が言い返すことで、
 空気が悪くなる
のを防ぐという感じです。

中国の王毅外相が尖閣は中国領だとし、
 日本の漁船が入ってくるから対応せざるを得ない
と言った際、
 茂木外相は発言の重要性が分からなかった
のか、
 官僚の資料になく対応できなかった
のか、
 何事もなかったように、笑顔でやりすごした。

詳細 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63096
王毅外相に何も言い返せない茂木外相の体たらく
中国の一方的主張に「大人の対応」では尖閣を失う
2020.12.3(木) 北村 淳

すぐさま、反論していたら、評価が上がったはず。
 貴国は一帯一路など、多くの国との国際協調を呼びかけているのであるから、
 国際法や国際司法裁判所、仲裁裁判所の判断を尊重する立場である。
 
 尖閣諸島は、歴史的にも、国際法上も、日本の領土であることは明確な事実だ。
 また、南シナ海に関しては、仲裁裁判所の判決も出ているところである。

 よって、貴国は尖閣及び南シナ海での活動を控えなければならない。
 それにもかかわらず、貴国は尖閣や南シナ海への侵入を繰り返している。
 貴国の尖閣や南シナ海でのこの行為は、「大逆無道」に他ならない。
 このままでは、被害国が一致団結し「背水の陣」で挑まなければならない。 
※大逆無道 大義に逆らい、道理を無視すること(「史記」)
※大逆無道も背水の陣も、項羽と劉邦の時代の故事成語。

論理展開として、
 国際協調が大事である(大前提)。
 国際法では、尖閣、南シナ海、いずれも中国領ではない(小前提)。
 よって、尖閣、南シナ海への侵害は領海侵犯であり、認められない。

 人は皆死ぬ(大前提)。
 ソクラテスは人である(小前提)。
 よって、ソクラテスは死ぬ(結論)。
これと同じ。いわゆる三段論法。

これを上手く使って、
 おまえがやっていることは、国際協調に反する。
と印象づける。

さらに、相手国の故事成語を交えれば、
 北朝鮮や中国のように強烈な罵詈雑言をまくし立てる
よりも、
 ウィットが効いていて、クールな印象を与えられる。

こんな感じで大人の対応をしていたら、
 侮れないな
と思われたはずです。

ただ、茂木は日本人らしく、何事もなかったかのように笑顔でやり過ごした。
予定にないことを言い出したため、
 ベテラン役者のアドリブの芝居に対応できない新人役者
のようで、
 格(したたかさ)の違いを見せつけられた格好になった。

日本人は、三段論法や論理的思考能力のトレーニングを受けていないため、
 とっさに、切り返すことが苦手です。


アメリカやヨーロッパでは、
 ディベートの授業があります。

小さい頃からトレーニングされているため、
 自分の主張や、論理展開
がしっかりしています。

日本人は、議論が口げんかのようになったり、
 力がある人の演説(説教)のようになったり
と、
 有意義なディベートにならない。

会議が建設的な場とならない理由でもあります。

また、ディスカッションとディベートの違いについても、
 日本では習わない
と思います。

ディスカッションは、みんなで意見を出し合うというもの。
ディベートは、対立する意見を戦わせるというもの。

ディベートでは、自分と異なる見解の側に立てば、それを前提に討論せざるをえないため、
 思考力のトレーニングになる
わけです。

ちなみに、弁護士が行っているのも、ディベートです。
依頼者の意見に立って、主張を組み立て、相手と戦うからです。

この人が本当は犯人だろうと思ったとしても、そのことは脇に置いて、
 依頼人の主張を組み立てる
というのが、仕事です。
ここでは、弁護士の個人的な意見や主観は関係ないわけです。
そういう割り切りができない場合は、弁護士倫理として辞任する必要があります。


海外で、ディベートが必要な理由は、
 民族の多様性が影響している
と考えられています。

様々な意見、考えを持っている人々がいる場合、
 相手を納得させるには、説得力が必要です。

同じような意見や考えを持っている人々であれば、
 あうんの呼吸や、なんとなくという空気、そういうものだよねという慣習
で、
 納得させることができる。

意見や考えが違えば、
 きちんと論理的に説明しなければ納得させることはできない。

なんとなく、日本人は、
 事を荒立てることなく解決できるほうがよい
 議論などなく、シャンシャンで終わる方がよい
と考えがちです。

ただ、こういう空気で人々を拘束するやり方は、
 本当は、我慢している人がいる
ので、
 望ましいとは言えません。

議論して、様々な意見に配慮しながら、
 みんなが妥協できる解決策を模索する
というプロセスが重要だからです。

そのためには、
 ディベートが必要です。

そして、
 ディベートのためには、前提となる論理的思考能力を磨く
必要があります。

日本の場合、国会も、メディアも論理的思考能力がなく、
 意見の押しつけや、批判、責任のなすりつけ合い、罵り合い、言って終わり
というような感じで、時間の無駄です。

ちなみに、
 最近のワイドショーは、放送法上問題だと思います。

第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、
次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

****
ポイントは、四の意見が対立している問題については、
 できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 意見の押しつけは、いけませんよ
ということ。

オリンピックの反対派、賛成派、条件付き賛成派、延期派など、
 様々な見解を取り上げて、問題点を多角的に検討しなければなりませんよ
ということです。

また、「政治的に公平である」ことも、
 特定政党の批判だけの場合、公平性を欠く
と言われかねません。

政治家をスタジオに呼ぶときは、
 公平に、様々な政党の人を呼び、時間も公平でないといけない。

テレビ朝日やTBSは、
 政治的に公平である
とか、
 多くの角度から
とか、全く無視しています。

そのため、放送法の改正が議論されているわけです。

ただ、
 その議論自体が、論理的思考能力が欠けた議員が、
 ディベートのトレーニングを受けていない状態で行っている
ので、
 口げんかのようになり、論拠が薄弱で、
 結局は、数のルールで決まってしまう
というわけです。

だったら、
 そもそも、議論などいらないし、
 あんなに大勢の国会議員もいらないし、
 ましてや、参議院もいらない(二度の審議)
ということになるわけです。
コメント
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