もう随分古い話になるのだが・・・・・・。
去年の春の始め、滋賀県旧永源寺町の山奥に木地師の里として知る人ぞ知る山里が有るというので,以前から訪ねて見たいと思っていた「君が畑」を訪ねた。
秋の紅葉の名所、臨済宗永源寺派の総本山として名高い古刹永源寺の脇からR421で永源寺ダムの湖岸を走りぬき、政所から県道34号線に入り暫く走ると、途中の集落蛭谷に入る。
集落の途切れたところで道は二手にわかれ右手の急な坂を登って10分も走るとやがて集落が見えてくる、まあよくもこんな山奥に集落が有るもんだと少々あっけにとられる。
ここが木地師発祥の地、木地師の里として知られた君が畑の地で、廃屋らしい家も何軒か見かけるが、今でも20~30軒以上の民家が健在のように見えた。
この地の太皇器地祖神社は 平安時代に皇位争いに破れ、この地に落ちのびた文徳天皇の第一皇子、惟喬親王(これたかしんのう)を祀る神社で、ろくろを使った椀や膳、盆の制作を思いつき、この地に木地師の基をなしたと言われています。
全国の木地師はここからの出身者がその殆どを占めるとまでいわれているようです。
その惟喬親王を祖神として祀った神社がこの地の小高いところに鎮座する太皇器地祖神社でこんな山深い神社にしては広い境内と立派な社殿を構えている。
長い石段を登ると白い石の鳥居と杉木立が見え、鳥居左側には双幹の杉の巨木が見える、太いほうの主幹は無残にも途中で折れて朽ち果てているが、多分この樹が神木で有るのだろうか注連縄が掛けられている。
参道を少し奥へ行くと、石の反り橋があってその脇にひときは目立つ大きな杉の木が直立している。
環境庁1988年滋賀県のデーターを見ると、君が畑の神社にはおおよそ20本以上の巨木が登録されており、その最大のものが幹周り6,10m、続いて5.65m、5.15mとなっていて、どれがどれに該当するのかはよく解りませんが、いずれにしてもこの辺鄙な集落で惟喬親王の名と共に今も大切にあがめられているのは間違いありません。
取り立てていうほどの巨木ではありませんがこの土地魅力と共にいつまでも残って欲しい巨木です。
撮影2008.3.14