全国のムクノキのなかで、2番目の太さで、国の天然記念物に指定されている。
椋本は、三重県芸濃町、伊勢自動車道・芸濃 ICの西方2Kmほどにある。
付近には旧伊勢街道の町並みがあり、落ち着いた雰囲気もあるが、この椋の木の近くには新興住宅が建ち並び、椋の木の間近まで迫っている。
もちろん、椋本の地名はこのムクノキに因んでいるものに違いなく、今を去ること1100年前には、すでに9mの幹周りが在ったという。
「椋本の大ムク」に伝わる伝説がいくつかあり、平安時代には征夷大将軍の坂上田村麻呂 の家来、野添大膳父子が都を追われ、伊勢路を流浪しこの地に逃れたときに,巨大な椋 の木を見つけ、その下に庵を造ってくらし住んだ。
源平の動乱時には、平家の落人花木太左衛門酉木織口が、この巨樹のそばに家を建て農業を始めた。 北畠氏の臣野呂民部之輔が織田信長の北伊勢一帯侵攻の時、滝川一益から追われ逃げて落ちたとき、 この巨樹かくれて助かった等と言い伝えられている。
近づいて見る主幹は悠久の時と、この樹の生命力が作り上げた、ただならぬ姿が、強烈な印象と共に風格をも感じさせる。
度重なる台風の影響で樹形は、明治初期の半分になってしまったといわれていますが、昭和9年 国の天然記念物に指定、幹周 8m 樹高 18m 樹齢1500年以上とされています。
付近にこの椋の木には、比べるべくも無いが、モチの木と思われる、かなりの巨樹がたっていた。
撮影2006.6.10