いつの頃から、「日本山岳耐久レース」(ハセツネ)が「ハセツネ」(日本山岳耐久レース)に変わってしまったが、オフィシャルHPによると ハセツネ とは
ヒマラヤではファイナルキャンプよりアタックするとき、頂上を極めてからアタックキャンプに帰還するまで、昼夜にわたることがしばしばあります。これを私たちのふるさと東京の山におけるトレーニングの一環として、ヒマラヤを目指す若いクライマーの登竜門として、この『日本山岳耐久レース』を位置づけていきます。
とあるので、やはり「日本山岳耐久レース」。
当時は「カモシカ登山」今は「トレイルラン」
しかし、参加者の中に「ヒマラヤを目指す若いクライマー」がいるとは思えないが…
20年間という時の流れを感じる。
「ハセツネ」で「長谷川恒男」を思い浮かべる参加者は、どのくらい居るのだろうか。
また実際に長谷川恒男を見たことのある参加者は、どのくらい居るのだろうか。
「長谷川恒男」の活躍していた時代に山登りをし、そして「ハセツネ」に参加している自分にとっては、やはり「日本山岳耐久レース」。
ヒマラヤではファイナルキャンプよりアタックするとき、頂上を極めてからアタックキャンプに帰還するまで、昼夜にわたることがしばしばあります。これを私たちのふるさと東京の山におけるトレーニングの一環として、ヒマラヤを目指す若いクライマーの登竜門として、この『日本山岳耐久レース』を位置づけていきます。
とあるので、やはり「日本山岳耐久レース」。
当時は「カモシカ登山」今は「トレイルラン」
しかし、参加者の中に「ヒマラヤを目指す若いクライマー」がいるとは思えないが…
20年間という時の流れを感じる。
「ハセツネ」で「長谷川恒男」を思い浮かべる参加者は、どのくらい居るのだろうか。
また実際に長谷川恒男を見たことのある参加者は、どのくらい居るのだろうか。
「長谷川恒男」の活躍していた時代に山登りをし、そして「ハセツネ」に参加している自分にとっては、やはり「日本山岳耐久レース」。
またハセツネがやってきましたね。
確かに二村のピッケルとバイル、赤のdaxのアタックザック(旧い)を背負った長谷川恒夫の雄姿を知っている方は殆どいないのでしょうね。
そんな感慨を持って今年もなんとか参加できることをありがたく思います。
無事完走を目指したいですね!
あの頃は20代でした。
そのときは、遥かな先の60にそろそろ手が届く歳になりましたが、こうして山に行けるのは、ちょっと不思議な感覚でもあります。
五日市発、五日市着、無事完走目指して頑張りましょう