よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

『京の紅葉2014』嵐山編

2014-12-02 05:03:50 | 旅行

11/24は、京都の紅葉見学に出かけました。

人が多いだろうと思い、大阪のホテルを早めにスタートしましたが、人気のトロッコ列車には、もう長蛇の列です。

  

町には、観光用に人力車も走っています。先ず、「天龍寺」に行きましたが、朝早いため開いておらず、外からの観賞です。外からでも見事な紅葉ですね。

   

それから、「宝厳院」。こちらもまだ開いておらず外からの観賞です。

   

嵐山」に着きました。嵐山というと、紅葉ですね。山々が赤く輝いています。陽が射せば、素晴らしい光景でしょうね。

渡月橋を渡ります。この時は、朝早いのでお客さんもまばらでしたが、このあと、渡月橋を渡るだけで40分かかったそうです。

  

この嵐山の紅葉を「デジブック」にしてみました。こちらです。 ↓ ↓

デジブック 『京の紅葉2014』


西国街道を歩く(大山崎~京都.・東寺)その2完結編

2014-12-01 04:00:00 | 西国街道を歩く

(その1)より続き

東海道本線の地下道を上がると、京都市南区久世です。時間は、1時を少し廻っています。あと5kmぐらい。この調子だとゴールには、2時ごろの到着です。

お腹も減りましたので近くにラーメン屋さんがありましたので入ってみました。徳島ラーメンと書いてますが、京都で徳島ラーメンを食べるのも何か可笑しいですね。(笑)

    

久世の町を歩いていると、桂川河川敷に出てきました。

 

久世橋を渡ります。渡ってすぐ左折すると嵐山の渡月橋に行くそうです。渡月橋まで9km。嵐山は、紅葉が綺麗でしょうね。

   

日向(ひむき)地蔵尊」があります。日向地蔵を祀っています。明治の廃仏毀釈運動の頃、村人がこの地蔵尊を隠して保存したそうです。

唐橋交差点に差し掛かりました。地図では、このあたりに「西寺跡」があるようになっています。唐橋小学校の先に「西寺跡」がありました。

西寺は、平安京が遷都されてからのすぐ延暦15年(796)頃から、平安京の入口にあたる羅城門の西側に東寺と対称に造営された官寺です。金堂、講堂を中心として、南大門、中門、五重塔、僧房、食堂など

主要な建物が建ち並び国家の寺として隆盛を誇っていました。然し、西寺は、東寺に比べて早くから衰え、天福元年(1233)には、塔も焼失し、以後は、再興されることなく地中に埋もれてしまった。

寺域は、東西二町(250m)、南北四町(510m)を有していました。

  

街道に戻ります。東寺まではあと少し。羅城門跡の横に「矢取地蔵」があります。淳和天皇の御代(約1100年前)天長元年に国土早操して、農耕の用水も無くなったので朝廷は、守敏と空海(弘法大師)の二人に

雨乞いの勅命がありました。御所の神泉苑の庭で雨乞いの祈祷を行いました。空海の術が守敏に勝ち、三日三晩雨が降り国土を潤したので、守敏は、空海を怨み、矢を持って空海を射た時に地蔵、

その間に出現して空海に代わりその矢を受けました。地蔵の石像の背中には傷があり、その後人々は、その身代わり地蔵を「矢負の地蔵」と呼び長く敬ってきました。

その後、人々は、いつの時代からか、この地蔵を「矢取の地蔵」と呼ぶようになったそうです。

  

矢取地蔵の横に「羅城門跡」があります。羅城門は、かつて朱雀大路(平安京のメインストリート)の南端に建てられていた大門(北端には朱雀門があった。)。
 平安京の表玄関にあたる門で、9間5戸の重層門だったという。
 東西には門を守護するための東寺と西寺(廃寺)が置かれ、この門が京の内外との境となっていた。
 816年(弘仁7年)に大風により倒壊。
 その後再建されたが980年(天元3年)の暴風で再び倒壊し、以後は再建されなかった。

    

芥川龍之介の小説「羅生門」は,『今昔物語集』(こんじゃくものがたりしゅう)巻二十九の「羅城門上層ニ登リテ死人ヲ見シ盗人ノ語」を素材にして,羅城門の楼閣上に盗賊が住んでいたさまを描いています。

ここでハプニングが・・・・・・

神戸からブログ友達の「saboriさん」が、手作りのレイとボードを持って駆け付けてくれました。もう大感激です!

     

今日は、福島・会津からkumasanご夫妻、下関から歩楽さんご夫妻が、東寺で待ってて下さるそうです。saboriさんと3人で東寺に向かいました。

   

14:45 ついに東寺にゴールしました。

東寺南大門では、この日の為に作られた「よっくん応援団」の方が、私達夫婦の為に横断幕まで用意して待ってて下さいました。嬉しさのあまり、思わず目頭が熱くなりました

応援団の方と一緒に写真を撮っていると、通行されている方がこの光景を見て、拍手してくださいました。拍手されることなんてめったになく、恥ずかしいやら嬉しいやら・・・・・・・

  

東寺は正しくは教王護国寺といい、平安建都の際、都の南玄関、羅城門の東に作られた。後に空海が賜り、密教の根本道場(こんぽんどうじょう)とし、今に至ります。

五重塔(国宝)は、京都駅前のビルの林立する中で木造建築の美を際立たせてそびえたつ。 高さ57メートルの日本最高の塔で、寛永20年(1643年)に、徳川家光が再建奉納したもの。
 講堂(重要文化財)にあるわが国現存最古の密教彫刻の一群や金堂(国宝)、大師堂(国宝)、蓮花門(国宝)など見所も多い。境内は史跡に指定されています。世界遺産にも登録されています。

それから皆さんと境内を廻り記念撮影です。東寺は、20代のころここで泊まったことはありますが、こんなに広いお寺だとは、思いませんでした。

境内では、紅葉が見ごろでした。

  

   

打上会は、kumasanの肝いりで、新都ホテルの京懐石を頂きました。 皆さんと会話が弾んで楽しい会になりました。

今日のGPS

2012年12月より夫婦で始めた「山陽道」「西国街道」歩き。40日間で踏破することができました。

道中、竹原あたりで熱中症になりかけたことや、道がなくマムシが怖かったので草ぼうぼうの道を走って行ったことや、2時間に1本しか電車がなく時間に間に合うために急いであるいたことなど、いろいろな思い出が走馬灯のごとく甦ってきました。

また、よく夫婦喧嘩もしました。怒って家内は先に行くし、もう街道歩きなんか止めてしまおうなど思ったりしました。然し、自分一人では、この街道は、完歩できなかったと思います。やはり喧嘩はするけど家内が一緒に歩いたからこそ

完歩できたと思います。家内に感謝です。

これで3つの街道(唐津海道、長崎街道、山陽道)を歩き終えました。

自分で地図を見ながら 迷いながら 地元の皆さんとのお喋りを楽しむ街道歩き 次はどこにしょうかと思案中です。

最後にブログを通じて応援していただいた皆様本当に有難うございました。お陰様で無事ゴールすることができました。