先月亡くなられた福岡県出身「高倉 健」さんの追悼映画会が12/27福岡市総合図書館で行われました。
14:00からの上映で13:00過ぎに会場に入りましたが、もう満員ということで16:00から再上映するとのこと.
16:00からの整理券を受け取り、しばし図書館周辺を散策します。
近くには、福岡のランドマーク「福岡タワー」があります。ここは、234mの高さがあり、お正月には、日の出の絶景ポイントですが、予報では、あいにくの空模様。
また、Xマスやお正月には、タワーのイルミネーションが楽しめます。この日は、外国からの(中国)観光客の方がたくさん訪れていました。
時刻も15:00になりましたので、図書館に戻り、開場を待ちます。16:00からの上映ももう満席とのこと。(整理券をもらっていたからよかったです)
入場料金は、500円。シルバー手帳(福岡市では、65歳になるともらえます)提示すれば、半額の250円です。
映画「網走番外地 悪への挑戦」は、1967年(昭和42年)8月の公開です。主役の健さんが、35歳の時の作品です。
福岡でロケ撮影がなされており、昭和40年代の福岡の街が出てきます。愛宕神社、姪浜漁港、早良炭鉱跡、中州、若松・・・・・・。見ていると懐かしい光景です。あれから47年、福岡の街もすっかり変わってしまいました。
映画のあらすじは、
橘真一(高倉 健)は流れ者の気軽さから、誘われるまま鬼寅(嵐 寛寿郎)のいる九州に来たが、博多港に着いた時、猟銃を手に警官隊を手こずらせているイキがった少年たちを取り押さえた。
そのため、不良少年たちの憧れのまとになって橘は苦り切ったが、鬼寅が病気で倒れた友人に代って不良少年保護施設で働いていることが分ると、その仕事を手伝うことになった。
ある日かつて暴力団門馬組の手先だった武(谷 隼人)が施設を脱け出し、故郷の若松に向った。後を追った橘は、武の家で母に重労働を押しつけ昼間から酒を浴びる義父に怒りをたたきつける武を見て、
かつての自分を思い出すのだった。同じ生いたちから共感しあった橘と武は義兄弟の契りを結び、堅気になってしっかり生きていこうと約束した。鬼寅の世話で、武は人形工場に就職した。
しかし、ライバルの港組組長を亡き者にしようとする門馬組は、武にその殺しをやらせようと、誘い出したのだ。武はそれを拒み、悽惨なリンチを受けた。その頃、施設の不良少年一郎は、
門馬組の川上と計って、施設に働く春子を犯した。春子は絶望して阿蘇山に向い、火口に身を投げようとしたが駆けつけた橘に救われた。やがて始った博多祇園祭の夜、門馬組の客人衆木は、
組の汚ないヤリ口に怒って武を助けようとしたが門馬に射殺され、また一郎が港組組長を襲って逆にとり押さえられた。事のすべてを知った橘は、急いで門馬組に駆けつけ瀕死の武を発見した。
堅気となる約束を守った武は橘の腕に抱かれて死んでいった。怒った橘は、白鞘の長脇差を抜くと、山笠祭りのまっただ中で門馬を斬った。このニュースが施設に伝わると、
少年たちは橘を英雄のように賞めたたえた。心を曇らせた鬼寅は、自首した橘に醜態を演じてくれと頼んだ。橘は手錠をかけられると、「助けてくれ、つかまるのは厭だ!」と喚きながら、警察に連行されていった。
そんな彼の姿に、少年たちは失望の声をもらすのだった。...
上映時間は、90分でしたが、所々つじつまが合わない場面があり、多分カットされているのでしょう。
この映画は、高倉健さんが、16㎜フィルムとして福岡市に寄贈されたものです。
健さんの映画は、他に「日本侠客伝」「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」もあります。
この時代、70年安保をめぐり、各地の大学で紛争が起こっていました。あの東大でも学園封鎖がありました。九州でも九大が学生たちに封鎖され、機動隊が入る事件もありました。
健さんの映画は、学生たちにも人気があり、東大の学園祭で使われたキャッチコピーは、「とめてくれるなおっかさん 背中(せな)のイチョウが泣いている 男東大どこへ行く」でしたね。
あと、東映では、藤 純子(現 富司純子)さんの「緋牡丹博徒」もありました。共演者が、若山富三郎、清川虹子、シリーズごとに健さん、文太さん、鶴田浩二さんが出ていました。
藤純子さんの緋牡丹お竜が素敵でした。
今、テレビ局では、健さんの追悼番組が放映されていますが、こういった任侠映画は、テレビでは放映できません。やはり映画館でみるのが一番ですね。
懐かしい映画を見て若きころの私を思い出しました。 健さんのご冥福をお祈りいたします。