よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

大阪・難波 巨大な看板

2014-12-06 06:47:32 | 日記

西国街道歩きの夜、私の街道歩きの師匠「ランドセル」さんに大阪難波を案内していただきました。

丁度連休中でしたので難波の町は、人が一杯です。

先ずは、「法善寺横丁」  包丁一本さらしに巻いて 旅へ出るのも 板場の修業 待っててこいさん 悲しいだろが あ~若い二人の思い出にじむ 法善寺 月も未練な十三夜 

この歌は、私が小学生のころ流行りました。この歌のせりふの所に「水かけ不動」があります。私達も街道歩きが無事に進みますようと願掛けしました。

   

水かけ不動の横には、「夫婦善哉」の碑があります。今を遡ること、百十年以上前。法善寺境内に、ちょっと変わった善哉屋が開店します。文楽の太夫、竹本琴太夫こと「木文字(きもんじ)重兵衛」という人が

はじめた「お福」という名のお店です。何が変わっていたかというと、一人前なのに二杯のお椀に分けて善哉が出てきたからです。「へぇー、こら変わっとる。なんで二つや」。

聞かれると、実際にお店を切り盛りしていた重兵衛の妻「こと」と娘「かめ」はニッコリ笑って、「おおきに。めおとでんね」と答えたといいます。実際は、二つのお椀に分けた方がたくさん入っているように

見えると考えたからなのですが、これが大当たり。その後の「夫婦善哉」へと繋がっていったのです。(夫婦善哉の歴史より)

   

法善寺横丁を歩きます。最初の法善寺横丁の看板は、「桂 春団治」の書、逆の方は、藤山寛美の書ですが、「善」という字の横棒が一つ足りません。

  

難波の看板は、どれも「巨大」です。看板で何屋さんか、すぐわかります。それを見て回るのも楽しみですね。

  

   

  

  

私が、学校を卒業して、東京で研修を終えて最初の赴任地が大阪でした。大阪の町が全然わからず、その年の5月、同期と難波に遊びに行きました。

九州から出てきて、初めて見る大阪の町・・・・・・・ 

そういえば、難波駅の地下に「虹の町」というのがありました。  ・・・・・・・・・・・大阪みなみの虹の町という歌があったと思います。

また、大阪を題材にした「歌」もたくさんありますね。宗右衛門町ブルース、たそがれの御堂筋、大阪の女、大阪で生まれた女、雨の御堂筋・・・・・・・もう数え切れません。

今やその「虹の町」も「なんばウオーク」と洒落た名前に代わっているそうです。その晩、10時過ぎに会社の寮に帰ってくると、寮の先輩から「火事に逢わなかったか?」と聞かれました。

「火事って?」

「千日デパートが火事なんや」

「千日デパートなんか行ってません。虹の町に行っていました」

「その上が、千日デパートなんや」

百数十名が亡くなった大惨事でした。もう40年以上経つのですね。

  

 

ランドセルさんとは、噺家さんもよく行くというお店に連れて行ってもらいました。なんばの喧騒とは違い、格調高い落ち着いた雰囲気のお店でした。

ランドセルさんとは、6年ぐらい前、下関で初めてお会いし、それからのお付き合いです。美味しい料理を前に、話も弾みました。

  

 夜、10時過ぎというのに、なんばの町は、人通りが絶えません。中には、韓国、中国語が飛び交っています。外国の方にも人気なんでしょうね。