昨年に引き続き今年も5/20~21に行われる「若狭・三方五湖ツーデーマーチ」に参加しました。
今回は、JR西日本の「西日本グリーンパス5日間コース」を利用、このグリーンパスだと5日間JR西日本の営業区間は、乗り放題になります。しかも6回までグリーン車がつかえます。
ツーデーマーチの後、ビワイチを歩こうと予定しています。
1日目20kmコース「鯖街道熊川宿」
宿泊地の敦賀駅から6:49の電車で会場の若狭さとうみパークへ。
会場に着くともう出発式が行われていました。8時ちょうどに30kコーススタート。一緒にフライングスタートします。
円成寺に到着。円成寺は、「見返りの松」が有名。
日本名木部門別の「松の部十選」にも選定され、枝張りは、東西も南北も約24メートルと、どの方向から眺めても絵に描いたような美しい姿で、初雪をかぶった姿はまた一興です。
この松を、土地の人は「大門の松」と呼びます。樹高は約12メートルです。
「みかえりのマツ」の愛称は、「枝が何度もかえるように折れ曲がっていること」、あるいは傘を広げたように美しく均整のとれた枝ぶりをみて「道行く人が思わず振り返りたくなること」
から名付けられたともいわれています。宝暦元年(1751)第11代淳長大和尚の手植えと言われています。
先に進みます。
「かみなか農楽舎」ここがチェックポイントかな?と思いましたが、トイレ休憩でした。
かみなか農楽舎は、自然の営みに学び、作物の生育に学ぶ体験型の施設です。田植え、稲刈り、餅つき、そばうち、味噌づくり、陶芸、わら細工、雪遊びなど体験メニューは盛りだくさん。若狭の海、湖、里の美しい自然のもとで、心も体もリフレッシュできます。(若狭三方五湖観光協会HPより)
ここが、20k、30kの分岐点。20kは、かみなか農楽舎から若狭カントリークラブの方に向かいます。
長い長い上り坂です。
熊川小学校を通り、「熊川宿」へ。
熊川宿は、若狭から京都を結ぶ重要な宿場で、特に天正17年以来発展を続けました。奉行所・番所・お蔵屋敷の跡が残り、情緒あふれる街道沿いには、昔ながらの用水路が流れています。
豊臣時代から藩政末期におよぶ古文書・御用日記なども保存されています。熊川宿は、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、往年の繁栄を偲ぶ町並みが保存されています。
平成27年に熊川宿を含む鯖街道が「~御食国若狭と鯖街道~」として日本遺産に認定されました。(福井県公式観光サイトより)
白石神社は、奈良二月堂若狭井の水源地として伝説に名高い「鵜の瀬」の清流の畔に、渡来の姿をした若狭比古神が最初に降臨した若狭彦神社の元宮、白石神社です。
境内地は椿の群生林で、椿との関係が知られる八百比丘尼の伝承、東大寺を開いた良弁僧正生誕地の伝承などがあり、奈良と渡来文化、海と都をつなぐ伝承が集中して伝わる地と
なっています。鵜の瀬に注がれた聖水は10日かけて東大寺二月堂若狭井に湧き出し、お水取りが行われます。若狭の水と食を象徴する古代ロマンあふれる地です。(御食国若狭と鯖街道より)
熊川番所は、寛永年間(1624~44年)に小浜藩主酒井忠勝が設けたとされています。正保2年(1645)の「若狭敦賀之絵図」では、番所は中ノ町に所在していたことに
なっていますが、寛政年間(1789~1801年)の「熊川山絵図」には現在地に番所が描かれており、番所の位置が変わったことが分かります。
番所には二人の役人が勤めており、通行人の取り調べのほかに、移出入荷物への課税を行い、藩の財政に大きく貢献していました。明治3年(1870)に廃止され、建物は民家として
増改築がされ利用されてきました。
平成14年(2002)に町が買い取り、復元整備を行いました。内部には刺又(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖(そで)がらみなども展示し、公開されています。
伝建地区の中では唯一の番所建物です。(御食国若狭と鯖街道より)
道の駅若狭熊川宿が20k、30kのチェックポイント。
チェックポイントを終え、葛湯の接待所に向かいます。
熊川宿から上中に向かいます。
上中駅に入る所が20k、30kの分岐点。30kコースは、瓜割の滝に向かいます。20kコースは、上中駅に向かいます。
上中駅に着いたのが、12時37分。ここから電車で三方駅に戻るのですが、次の電車は、13:06.しばし、駅の構内で時間をつぶします。待合室では、地元の中学生のブラスバンドの
演奏がありました。
13:06 臨時電車「ツーデーマーチ号」2両編成ですが、すぐにウォーカーで満員になりました。
三方駅からは、歩いてゴールのさとうみパークへ。13:56 ゴールしました。
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