よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「宇美町散策」(福岡県糟屋郡宇美町)

2021-04-23 18:24:42 | ウォーキング

4/21(水)のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「宇美町散策」でした。集合場所は、JR宇美駅。参加者48名。

コースは、JR宇美駅~コンビニ~井野川沿い~緑道~光正寺古墳公園~宇美八幡宮~JR宇美駅の約10km。 

 

9:30スタート。

 

宇美駅から緑道を歩きます。この緑道は、昭和60年(1985)に廃止になった勝田線跡地です。

 

緑道から貴船神社に向かいます。

貴船神社の由来は、主祭神 高龗神(たかおかみ)・暗龗神(くらおかみ)
併祭神 罔象女神・國常立神・神功皇后・應神天皇・玉依姫命
貴船神社の主祭神は伊弉諾命の子神といわれる高龗神と暗龗神を祀り、いづれも龍神すなはち「水神」雨乞いの神・祈雨・止雨の神として、同じく水神・罔象女神・國常立神・玉依姫を併祀する。

今からおよそ一千五百有余年前人皇十八代反正天皇の御代に京都の洛北賀茂川の源流鞍馬山と貴船山の鞍部の山麓に建立鎮座する貴船神社は古代「木船」とも「貴布称」とも称し

祭祀されていたが明治四年(1871)「貴船」と改められる。当神社はその末社で県社・郷社に次ぐ上位の格式にある「村社」として炭焼村字貴船(現在の花ノ木)に分祀された。

農耕民にとって「土」と「水」は自然の恵・神の恵のものとして敬虔な心を失ふことなく祭祀し、二百十余年【安永五年(1776)】以前に現在地に鎮座建立。近郷村民の崇敬を

一心に集め鎮守の神・氏神様として祭祀今日に至る。

 

貴船神社の周りを歩いていくと、桜並木があります。1か月前だったら、この桜もきれいだったでしょうね。

 

宇美中学校前を通り、コンビニでトイレ休憩。

 

10分後再スタート。猿田彦大神の石碑があります。先日、日田街道を歩いた時、この猿田彦の碑がたくさんありました。

  

  

防災センターを通り、緑道に入ります。

  

歩いていると左手に「光正寺古墳」があります。

光正寺古墳の築造年代は、第1主体部から出土した古式の土師器甕の制作年代から3世紀中頃から後半と考えられ、県内の前期古墳の中でも最古期の古墳に位置づけられます。

また、光正寺古墳は糟屋郡内最大の前方後円墳であることから古墳の被葬者は、当時糟屋地域を支配した豪族(王?)の墓と考えられます。
中国の「魏志倭人伝」には3世紀中ごろの日本が「倭国」として紹介されています。その倭国には色々な国があったことが記されています。その中で福岡市域(奴国=なこく)の隣に

あったとされる「不彌国=ふみこく」ではないかと考えられます。不彌国の所在地は「嘉穂説」と「宇美説(粕屋)」に分かれていますが、光正寺古墳の調査で

「宇美説=粕屋平野説」が有力な地域として考えられるようになりました。(宇美町HPより)

  

緑道から宇美八幡宮に向かいます。

 

宇美八幡宮

宇美八幡宮は、神功皇后が応神天皇を出産したといわれる地で、敏達天皇の時代(572年~586年)に創建されたといわれています。境内には、助産師の始祖が祭られている「湯方社」、

応神天皇の産湯に使ったとされる「産湯の水」、神功皇后が出産された際につかまったとされる「子安の木」など安産に関する言い伝えが数多く残っており、多くの方が安産祈願に訪れています。
また、これらの安産信仰にまつわる言い伝えは、「宇美八幡宮の安産信仰に関する伝説地」として福岡県有形民俗文化財に指定されています。(宇美町HPより)

  

この日は、宇美八幡宮で仮ゴールです。

  

宇美八幡宮隣の宇美町歴史民俗資料館を覗いてみるとちょうど「勝田線写真展」が行われていました。

勝田線は、吉塚~御手洗~上亀山~南里~志免~田富~下宇美~宇美~筑前勝田の間13,8kmを沿線の粕屋炭田から産出される石炭輸送及び宇美八幡宮参拝客の輸送手段として

筑前参宮鉄道が敷設した鉄道路線です。惜しまれながら昭和60年(1985)廃止になりました。

 

私は、乗ったことがありませんが、吉塚駅でこのディーゼル機関車を見たことがありました。

 

 

今日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 


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