
4月は、桜花見ウォークが続きます。
4/3(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「南区の公園桜巡り」でした。
集合場所は、西鉄高宮駅、参加者は24名でした。
9:32スタート
先ずは若久川の桜
大池通りを通り、野間大池公園へ
公園内を一周します。ここの桜も見事です。
次は鹿助(ろくすけ)公園へ
続いて長住中央公園
長住中央公園には、野球場があり、小生50年前、ここで草野球をしていました。ここに来るのは、それ以来かな???
長住中央公園から今日のメイン「桧原桜」へ向かいます。
桧原桜には、人情温まる物語があります。
長住と桧原を結ぶ桜の道は、昭和50年代までくねくねと曲がって車の離合も困難な狭い農道でした。南北から道路の拡幅が進められ、昭和59年3月10日の朝、蕾をいっぱいつけた桜が
一本伐採されました。残りの桜もはかないさだめ運命です。翌早暁、桜に命乞いの色紙が吊るされていました。
花守 進藤市長 殿 花あわれ せめては あと二旬 ついの開花を 許し給え
次の日も次の日も桜は、伐られませんでした。気持ちの優しい業者さんの執行猶予だったのでしょう。
そして朝のジョギングでこの色紙を発見した紳士の共感が、地元の新聞に伝えられて「短歌に託す命乞い」の大きな記事になり、花を惜しむ歌や句が次々に桧原桜に寄せられました。
詠み人知らずが枝に吊るした、数十首の色紙や短冊が春風に揺れるさまは、さながら王朝時代の観桜の宴の風情でした。そのうちの一首が、筑前の花守 進藤一馬福岡市長の返歌と知れました。
桜花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は 香瑞麻 ※香瑞麻とは、進藤一馬市長の雅号です。
こうして桧原桜は、「終の開花」を許されたのです。
郷土に縁の深い作曲家「団伊玖磨」さんがこのことを随筆「パイプのけむり」に取り上げられ、ワールドマガジン「リーダーダイジェスト」に転載され海外の話題にもなりました。
花吹雪が散って薫風のころ桜の枝に 葉桜のそよぐ梢の 風涼し 花守り市長の情け通じて
道路が桜を生かす計画に変更されて、永久の開花が叶えられたのです。若桜が植えられて、夜間照明も整備されて、前の道路も「桧原桜通り」の愛称になりました。
桧原桜物語の動画です。↓ ↓ ↓










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