よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第24回若狭・三方五湖ツーデーマーチ第1日目20km(福井県若狭町)

2015-05-19 13:03:07 | オールジャパンウオーキングカップ

2015年5月16~17日に行われた「第24回若狭・三方五湖ツーデーマーチ」に参加しました。

16日は、「若狭鯖街道」。私たちがエントリーしたのは、20kmコース。

今年4月に文化庁が発表した日本遺産最初の18件の一つとして「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食(みけつ)国若狭と鯖街道」を選びました。

御食国」(みけつくに)とは、古来、朝廷に「御贄(みにえ)」(「御食」:天皇の御食料を指す)を納めた国のことです。 万葉集においては、伊勢・志摩・淡路などが御食国として詠われるとともに、

若狭については、平安時代に編集された「延喜式」に、天皇の御食料である「御贄(みにえ)」を納める国として、志摩なとどと共に記されています。
また、奈良時代の平城京跡から出土した木簡の中に「御贄(みにえ)」を送る際につけた荷札が発見されていることなどからも、御食国であったことがうかがい知られます。
若狭は、古くから塩や海産物等を納める「御食国」として、歴史的に重要な役割を果たしてきました。

その御食国として、若狭国などの小浜藩領内の魚介類を京都へ運搬する街道で、主に鯖が多かったことから「鯖街道」と呼ばれています。

会場は、若狭町役場三方庁舎横にある「若狭さとうみパーク」。

この大会2日間の内どちらかに雨が降るというジンクスがあるようで、初日の今日は、朝から小雨。ジンクスは当たっていますね。(笑)

今回、ブログ友達敦賀の車さんご夫妻、埼玉のkiyoさんご夫妻と同行させていただきました。

車さん、kiyoさんは、オールジャパンあと1県で達成とのこと。今年中には達成されるそうです。それに比べ私たちは、ようやく30県を達成したところです。

 

  

  

  

 9:00 曾我廼家福助さんの「激」と三方中学吹奏楽部の「妖怪ウオッチ」の伴奏で出発。

  

若狭町(旧三方町)のマンホールは、魚の部分は、三方五湖、右側に梅の花、左に梨、下は、三方富士と呼ばれる梅丈岳をイメージしています。

若狭牛は、神戸ビーフや松坂牛などの名称で販売されている但馬牛の系統です。若狭は、お魚もおいしいですが、お肉も絶品だそうです。

             

4,4km地点のB&G海洋センターが最初の給水所です。

  

円成寺の「みかえり松」は、宝暦元年(1751)淳長和尚手植えの松と伝えられ、樹齢が約260年余りのクロマツです。

幹周り7,4m、樹高12m、枝張が東西28m、南北30m、。どの方向から眺めても美しい枝張の名木であることからこの名がついたそうです。昭和49年、福井県の天然記念物に指定されています。(案内板より)

円成寺を境内を抜ける所に「地蔵尊」があります。糗麨(はったい)地蔵尊と書いてあります。はったいというと、大麦で作るはったい粉のことでしょうか?

この「はったい地蔵」ネットで調べてみました。若狭和田観光協会HPにこのお地蔵さまが載っていました。

西の方から和田区に入ってまもないところ県道(昔は若狭街道と呼んだ)沿いに、高さおよそ四尺(一・二〇メートル)ばかりの石碑が立っている。この石碑を村人は″はったい地蔵“という。

そういわれるようになったのは、開き違いからだった。
 いつのころからか、街道沿いに石碑は立っており、石の表面には『応無所住而生其心(おおむしょじゅうにしょうごしん)』(金剛経の一句)と刻まれていた。
 むかし、このあたりに一人の老婆がいて、いつも石碑をおがんでいた。そして、石碑に祈っては、病に苦しむ人を助けた。「おばばにおがんでもらうと、体がいつのまにか楽になってくる」

「わしゃ、足の痛いのを治してもらいたいので、お頼みしたら、いっしょうけんめいに石碑に祈ってくれた。お陰で、治ったよ」そんな噂を開いて、病む村人たちが老婆のもとへとやってきた。

老婆はお経を唱えているのだが、みんなの耳にはどうも「オームギ、バッタイ、ニショウゴンゴウ」(大麦ばったい二升五合)と、聞こえる。それもそのはず、みんなには石碑の表に書かれている字がむずかしくて読めなかったから、

日頃、使いなれている言葉に、聞こえてしまう。その方が覚えやすいのだ。
 そうこうするうちに、村人たちはこの石碑を“はったい地蔵”というようになってしまった。また、この″はったい地蔵“には乳の出を必ずよくしてくれるご利益があるといって、乳の出が悪い人が願をかけにきた。

そして、願いがかなって乳のでがよくなると、そのお礼に”はったい″(麦の新穀を炒って、ひいて粉にしたもの)を供えるのが、ならわしとなった。このならわしは今も続いているという。

 

若狭町白屋地区に入ってきました。歩道には、お花がプランターに植えられています。「白屋フラワーロード」と呼ばれているそうです。

  

歩いていると、田んぼには、もう田植えが終わっています。これは、「コシヒカリ」でしょうか?美味しいお米の「コシヒカリ」は、この福井県で誕生しました。

田んぼの廻りには、古い旧家が建っています。正に日本の田園風景ですね。私の子供のころは、こんな景色でした。この風景を見ると心が落ち着きます。

    

 

    

10km地点の「かみなか農楽舎」がチェックポイントです。 かみなか農楽舎は平成14年に福井県若狭町役場、地元農家、民間企業が共同出資して、福井県若狭町に誕生した農業生産法人です。

設立当初から、都市からの若者の就農・定住を促進し地域集落を活性化する『就農・定住事業』に着手、この就農・定住事業を主軸に、農業生産(米・野菜)や加工だけでなく、

農業体験事業など、多角的な農業経営に取り組んでいます。(かみなか農楽舎HPより)

  

かみなか農楽舎を過ぎると緩やかな上り坂に差し掛かります。右側は「わかさカントリー倶楽部ゴルフ場」です。

ここで7:15にスタートした40kコースの方とすれ違います。40kコースは、今、私たちが歩いてきた道を歩かれます。福岡から参加されたAさんとここですれ違いました。  

 

  

坂を下りてくると「熊川」に入ります。

  

若狭では、いつのころからか、小浜を中心に「京は遠ても18里」と言われていました。

若狭から京都へ至る多数の街道や峠道には、本来それぞれ固有の呼び名がありますが、近年、運ばれた物資の中で「鯖」が特に注目され有名になったことから、これらの道を総称して「鯖街道」と呼ぶようになりました。

その内、最も盛んに利用された道は、小浜から熊川を経由して滋賀県の朽木を通り、京都の出町柳に至る「若狭街道」です。

若狭から運ばれた鯖が京の都に着く頃には、ちょうどよい塩加減になったと言われ、京都の食文化の中に今も若狭の魚が生きています。なお、若狭の鯖は遠く兵庫県の篠山までも運ばれていました。(熊川宿HPより)

町の中を歩くと昔の街道そのままです。街道好きの私には、たまらない町です。

  

  

松木神社は若狭の義民松木庄左衛門を祀っている神社。松木庄左衛門は1648年(慶安元年)領民救済の直訴を行い5年の入牢の後直訴の目的を達し、見せしめのため処刑された若狭の庄屋総代です。

白石神社は、熊川地区の氏神様です。祭神は、彦火々出見尊と白髭明神、小浜藩主酒井忠勝公、山ノ神が合祀されている。
 

  

  

    

チェックポイントは、宿場館。熊川児童館では、松木長操の名を残そうと大豆の入った豚汁「長操鍋」が振る舞われました。葛餅も本場ですね。美味しかった・・・・・。

豚汁をいただき、帰ろうとすると、私のDバックに鯉のぼりが付けられていたからでしょうか、出発式で「激」をされた曾我廼家福助さんから呼び止められ、少しお話をしました。

廻りは、テレビカメラ、カメラマンが一斉に近寄り、何か「時の人」になったようでした。(笑)

  

20kmコースは、上中駅から小浜線を利用して会場近くの三方駅まで乗ります。熊川宿から上中駅までは約6km。

チェックポイントで電車の時間を聞くと、13:36、14:08があるそうです。現在12:30を過ぎた所。ちょっと急ぎ足で歩きます。

13:30上中駅に着きました。13:36の電車に辛うじて間に合いました。

  

三方駅からゴールのさとうみパークまでは、約700m。14:15無事ゴールしました。

ゴールでは、大会参加賞としてコシヒカリ300g、梅干をいただきました。

雨は、小雨ですが、まだ降り続いています。体も冷えてきましたので会場近くのみかた温泉「きららの湯」に入りました。歩いた後の温泉は、格別ですね。

  

  

今日のGPSです。上中駅から三方駅までは、電車を利用しています。