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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第36回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ2日目「新熊野史跡コース20km」(岡山県倉敷市)

2023-03-20 15:33:53 | ウォーキング

3/12(日)瀬戸内倉敷ツーデーマーチ2日目「新熊野史跡コース20km」

8:30 倉敷市役所スタート。

 

 

新田中学校を通り吉岡川沿いに歩きます。

 

 

粒江小学校が給水所及びトイレ

 

先に進みます。途中、源平藤戸合戦沖激戦地跡の石碑があります。

平安時代末期、全国で起こった源平合戦。倉敷市藤戸は1184年に「藤戸合戦」があった地で、史跡が多く残っています。現在は干拓により陸地となっていますが、当時は海で島が点在して

いました。源氏の佐々木盛綱(ささきもりつな)が馬に乗って海を渡り、平家軍に勝利したことで知られています。

倉敷川はかつて海で、藤戸海峡があった場所。「藤戸合戦」までは海上合戦に慣れた平家軍が児島周辺を支配し、倉敷市粒江のあたりに城郭を構えていました。九州を目指し西へと

攻め進む源氏軍でしたが、舟を持っておらず、源氏と平家は藤戸海峡を挟んで対峙することに。どうしたら戦えるのか・・・頭を抱える源氏軍。
そんな時、源氏の佐々木盛綱は、地元の漁師に馬で対岸まで渡ることができる浅瀬の場所を教えてもらいます。なんと、盛綱は口封じのためにその漁師をその場で殺し、

海に沈めてしまいました。その情報のおかげで、盛綱を筆頭に源氏軍は藤戸海峡を馬で駆け渡り、平家軍の意表を突く形で勝利。
盛綱はその功績を称えられ、備前国の児島の領主となりました。(岡山観光WEBより)

 

  

藤戸寺が20kと10kの分岐点

 

20kコースは、山道を歩きます。

 

 

旧下津井電鉄線跡を通ります。先で県道21号線と合流。

 

第一農協前から歩道橋を渡り、熊野神社を目指します。

 

熊野神社では、郷内(ごうない)の少年野球チームのナインがお出迎えしてくれました。

 

熊野神社が最初のチェックポイント。ここで昨日のTV局のクルーと遭遇。またインタビューを受けました。(3/25に放送だそうです。岡山だけの放映)

西暦634年、役行者(役小角)は茅原(ちはら)の里、奈良県南葛城郡葛城村に生まれ、当時の仏教とは違い、直接、民衆を救い、自分も修行をしていくという宗教観を持っていました。
紀州、熊野大峯の山々で修行を重ね、修験道の開祖となりました。
ところが、役行者が民衆を惑わすという罪で伊豆大島に流され、高弟たちは紀州熊野の十二社権現の御神宝を奉じて瀬戸内海に逃れ、四国九州に浄域を求めた後、児島の柘榴浜に上陸し、
熊野道といわれている山道を通り、大宝元年(701)三月三日、福岡の里と呼ばれていたこの地に鎮座祭典をし、それが、現在の春のお祭り(五月十八・十九日)です。
天平12年(740)、聖武天皇は児島一円を本宮の御神領として寄進しました。現在地に社殿を建立したのが始まりです。
孝謙天皇紀(749-758)には、紀州熊野権現に対して日本第一の称が与えられ、当社もその号を称することになりました。
承久の乱(1221年)に敗れた後鳥羽上皇は、隠岐に配流され、その第四皇子で、鎌倉幕府第四将軍になる候補であった冷泉宮頼仁親王は、この地に配流されました。
また、弟の桜井宮覚仁親王は乱を恐れ、この地に赴任し尊瀧院の住職となりました。公卿山伏といわれる由縁です。
応仁の乱(1469)で開幕となった戦国時代の兵火のため、社殿をことごとく焼失してしまいました。
明応元年(1492年)、社殿は天誉長老により再建されました。国の重要文化財に指定されている第二殿が、その時建立されたものだといわれています。以後、復興を見ますが、次第に
社領は減少し、中国管領大内義興、毛利家父子の守護を受けましたが、児島一円の領地はわずか三ヵ村に減ってしまいます。
西暦1600年代半ば、池田光政公により、吉備津彦神社の大守家から神官が赴任され、祭祀を専らにさせるなど、あつい保護の下に明治に至りました。
慶応4年3月(1868)、神仏分離(神仏判然令)により、現在は、宗教法人熊野神社、宗教法人修験道五流尊瀧院と呼ばれています。
平成15年(2003)9月21日、所有の熊野神社長床拝殿を焼失しましたが、五流尊瀧院の寛大な配慮により、再度、氏子や近在の崇敬者により拝殿が再建されました。(倉敷熊野神社HPより)

 

 

 

熊野神社で休憩し再スタート。林の歩道橋を上ります。下りるとパン屋さんに行列ができています。(店名ラボ・コンパン)

 

 

 

 

2回目のチェックポイントは、天城小学校。

 

少し休憩の後、再スタート。倉敷川沿いに歩きます。ゴールまであと5,5km。

 

ゴールまで戻る所に何も見どころはないかな?と思っていましたら、倉敷川沿いの「いりふねの道」と呼ばれる場所に美しい桜道が見えてきます。
この道には、約1,000本の河津桜が植えられていて倉敷川千本桜と呼ばれています。

 

 

河津桜の下では、お花見をされている方がおられます。

こんなきれいな河津桜並木は初めて見ます。

 

私たちもここでお花見をすることにします。

 

 

 

ゴールまであと1,8km。

 

ゴールの倉敷市役所が見えてきました。

 

12:38 ゴールしました!参加者は、2日間で5167人、すべて事前登録者です。

 

 

 

 


第36回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ1日目「連島・水島コース20km」(岡山県倉敷市)

2023-03-19 11:46:45 | ウォーキング

3/11~12まで行われた「第36回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ」に参加しました。

この大会4年ぶりの開催で当日申し込みはなく全て事前申し込み。40k、30kのロングコースはなく最高が20kコース。

 

本来ならば、8:00~8:20の間にスタートする予定でしたが、会場に遅れてきてしまい、8:40にスタートしました。

 

 

コースは、県道274号線を連島に向かっていきます。

 

 

厄神社への急坂です。上ると見事な河津桜が迎えてくれました。

  

 

厄神社は、貞観9年(867年)に備後国鞆之津の祇園宮より勧請。須佐之男命を祀り災難防護、産業繁栄、文芸学問向上の神としてその御神徳を仰ぎ、現代にいたれば厄除祈願、

家内交通安全等、また水島地区の企業は会社繁栄、業務安全を願い広く崇敬されています。

 

連島西浦小学校が最初のチェックポイント。

 

豚汁が振舞われました。

 

ここで、KSB瀬戸内放送の方からインタビューを受けました。放映は、3/25(日)10時ぐらいからだそうです。(岡山だけの放送なので見れません)

西浦小学校から箆取(へらとり)神社に向かいます。ここも急坂です。

 

箆取神社(へらとりじんじゃ)は、当社の創建年代は不詳であるが、伝説によれば往古連島は都羅之郷と称し一孤島であり、第40代天武天皇の御代にあった壬申の乱の頃、

鎮座地前面の海上に箆の御神紋が顕れた事に因り、箆取大権現と称した。
また、江戸時代の宝暦年間におては、当地七浦の総鎮守として信仰の中心となり、霊験著しく神恩に浴する者遠近に及び殊に成羽藩主山崎主*之助並に地方権勢家の崇敬厚く、

75社の御眷族(神使)を俗謡にまで唱へられ、尊信する人は遠近に及び霊徳顕著となった。
神社は隆昌を極め、境内は広大で社殿もまた稀有な宮造りと県下一の廻廊を左右に巡らし、境内境外には桜、楓、ツツジが数百本植裁されている。四季の眺めは変化があり、

又絵馬殿からの眺めは水島灘の風光並びに水島工業地帯の展望台として信仰と観光を兼ねた県下稀に見る神社である。(岡山県神社庁より)

境内には、約350本の桜の木があり桜の名所となっています。

 

 

 

県道428号線に出ます。

 

水島臨海鉄道の高架下を左折します。

 

2回目のチェックポイントは、水島寿町公園。

 

チェック後再スタート。高架下から県道274号に出ます。

 

この道は、来るときに通った道です。

今日は、暑くこまめに水分を補給していますが、暑くてたまらずコンビニでガリガリ君を買ってきました。

 

コースは、倉敷市街地に入りました。

 

13:07 ゴールしました。

 

会場内で岐阜のT夫妻と山陰未来ウォークの美人宣伝隊と会いました。

 

 

 

 


京都・せっかくウォーク「長岡天満宮と勝龍寺城を巡るみち」(京都府長岡京市)

2023-03-18 09:25:20 | ウォーキング

3/6(月)京都ツーデーウォークのせっかくウォーク「長岡天満宮と勝龍寺城を巡るみち」10kmに参加しました。

集合場所は、JR長岡京駅。参加者は約100人。

平成7年(1995年)それまでの神足(こうたり)駅から長岡京駅に変更されました。

駅前には、電子部品メーカー「村田製作所」の社屋が建っています。

  

 

実は、私、2014年11月西国街道を歩いたときに長岡京市を歩いています。その時のブログがこちらです。西国街道を歩く(大山崎~京都・東寺)その1 - よっちゃんのおててつないで (goo.ne.jp)

コースは、長岡京駅スタート~長岡天満宮~小倉神社~阪急西山天王山駅~調子馬ノ池公園~恵解山古墳~勝龍寺~勝龍寺城跡公園~長岡京駅ゴールの10km。

10:00 長岡京駅をスタート。

 

マンションの所に「開田城跡の土塁」があります。開田城は西岡衆と呼ばれるこの地域の国衆のひとり、中小路氏の居城です。中小路氏はもともとは開田天満宮(現在の長岡天満宮)の

神官職で、現在に至るまで代々、天満宮の宮司をつとめています。過去におこなわれた発掘調査の結果、一辺約70m程度の方形居館で、周囲には堀と土塁をめぐらせた典型的な構造で

あることがわかっています。現在城址にはマンションが建てられていますが、城の西側と南東隅の土塁が「開田城土塁公園」として復元保存されています。マンションのエントランスに

復元模型が展示されており、誰でも見学可能となっています。

 

八条ヶ池は、長岡天満宮境内の東側に広がる池です。寛永15年(1638年)に当時の領主である八条宮智仁親王が造るように命じた溜め池です。
池の真ん中を分断する中堤は長岡天満宮への参道となっています。中堤中心の太鼓橋は加賀前田 候の寄進と言われています。(京都観光スポットより)

  

長岡天満宮 ご祭神は,学問の神様として有名な菅原道真公です。道真公が太宰府へ左遷される途中,かつて 在原業平らと共に詩歌管弦を楽しんだこの地に立ち寄り,都を振り返って名残を惜しんだ事から 「見返り天神」とも呼ばれています。太宰府にお供した3人が別れ際に戴いた道真公自作の木像を ご神体として祀ったのが長岡天満宮のはじまりと云われています。

 

 

長岡天満宮から小倉神社に向かいます。

長岡京市、向日市、大山崎町は、「乙訓(おとくに)」と呼ばれ、竹林が多い地区です。竹取物語の伝承地ともいわれています。(伝承地は日本で何か所かあります)

京都の長岡京市は孟宗竹伝来の地と言われおり、平安時代には貴族たちに旬のものとしてタケノコを献上していたそうです。土壌は地域特有の粘土質で弱酸性であり、気候は気温の

寒暖差が激しいということで、タケノコが柔らかく大きくなりやすい風土です。

 

小倉神社は、京都御所の裏鬼門神社で718年に創建されました。

 

 

 

西国街道と丹波街道の分岐点「調子八角」で昼食タイム。

 

 

昼食後再スタート

 

国史跡「恵解山(いげのやま)古墳」恵解山古墳は、古墳時代中期に築造された乙訓地域で最大の前方後円墳です。
桂川右岸の標高わずか16メートルの台地端につくられており、全長約128メートル、後円部の直径約78.6メートル、高さ10.4メートル、前方部の幅約 78.6メートル、高さ約7.6メートルと

推定されています。周囲に幅約30メートルの周濠があり、周濠を含めた古墳の全長は約180メートルに及びます。古墳の表面には砂岩やチャートなどの葺石がふかれ、埴輪が並べられて

いました。死者を埋葬した施設は古くから墓地があるため明らかになっていませんが、後円部に竪穴式石室があったとみられます。

鉄刀176、鉄短剣141など鉄製の武器類が多量に出土したことからも、恵解山古墳の埋葬者は5世紀前半頃に桂川以西の乙訓地域全土を治めた有力な豪族だったと推測できます。

 

 

勝龍寺(しょうりゅうじ) 勝運・ぼけ封じのお寺。大同元年(806)に帰朝した弘法大師(空海)が、唐の長安で修業した青龍寺の名をとって創建したと伝わるお寺です。

嵯峨天皇のころ、勅願によって観音堂をはじめとした九十九坊が建てられ、勝龍寺の名が広く知られました。神仏習合の名残から、境内には勝竜寺地区の氏神を祀る「春日神社」が

あります。ぼけ封じのお寺ということですのでしっかりお参りしました。

 

 

勝龍寺から少し歩いたところに「勝龍寺城跡」があります。

 

 

勝龍寺城跡は、元亀2年(1571)に織田信長の意向を受け、細川藤孝により、その後の城郭の標準となる瓦・石垣・天主を備えた、先駆的な城郭として造り替えられたものです。

天正6年(1578)藤孝の子息、忠興と明智光秀の娘、玉(細川ガラシャ)の婚礼が執り行われ、天正10年(1582)には山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れた明智光秀がここへ退却し、

北門から落ち延びたといわれています。

平成4年(1992)に公園として整備、令和元年(2019)には管理棟をリニューアルし、展示内容を一新しました。(京都府観光案内より)

キリスト教の洗礼を受けた玉は、洗礼名を「ガラシャ」としました。ガラシャとは、神の恵みという意味だそうです。

 

 

 

勝龍寺城跡公園で京都ウォーキング協会会長の挨拶がありました。

13:20 長岡京駅へゴールしました。

 

 

 

 


京都ツーデーウォーク2023 2日目25kmコース(京都市)

2023-03-16 06:15:48 | ウォーキング

3/5(日)京都ツーデーウォーク2日目25kmコース。

昨日の受付での大渋滞の為、早めに会場に到着しました。準備できた人から順次スタートします。

私たちは、8時過ぎにスタート。

 

 

平安高校、龍谷大学を通りちょっとコースアウトして東本願寺へ。

 

東本願寺前の広場は現在工事中。市道であった車道をつぶし、石畳を敷き詰め既存の緑地広場を拡張してイベントなどに使える広場にする工事です。

広場には、巨大アート「花子」がありました。

 

東本願寺からコースに戻ります。

 

七條大橋を渡ったところで敦賀のFさん夫妻と遭遇。しばらく同行させていただきます。

渋谷街道から上り坂になります。

 

 

東山隧道を通り、大石神社へ。

 

大石神社は、1935年(昭和10)浪曲師吉田奈良丸の提唱に府市が賛同、赤穂義士大石内蔵助良雄を祀るため、大石の山科隠棲所近くに建立。本殿、神饌所、社務所のほか天野屋利兵衛を

祀る義人社もあります。(京都観光ナビ)

 

  

大石神社から川沿いの道を通り、チェックポイントの勧修寺公園へ。しばし休憩の後再スタート。

コースは、阪神高速沿いに歩きます。さてっと、この道は昨年京街道を歩いたときに通りました。あの時は、高速道沿いに何の目印もなくただひたすらに歩きました。

 

仁明天皇陵を過ぎてから伏見稲荷に向かいます。

 

商売繁昌・五穀豊穣の神様として名高い伏見稲荷大社は、全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮。711年に秦伊呂具が稲荷山の三力峰に三柱を創祀。逸文には、伊呂具が餅を的にして

矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んでいき、そこに稲が生えたのでイナリの社名になったと伝えられています。(大会マップ説明文より)

そのご利益や歴史的な価値もさることながら、京都観光の代名詞的な撮影スポットになっている朱塗りの鳥居がズラリと連なる「千本鳥居」が有名です。

千本稲荷へ行ってみようかと思いましたが、今日は日曜日で観光客が多く時間がかかりそうなので止めました。外国の方にも人気スポットだそうです。

  

  

 

伏見稲荷から東福寺へ。東福寺にはもう20年ぐらい前でしょうか、紅葉の時期に行ったことがあります。見事な紅葉でした。

東福寺は、臨済宗東福寺派の大本山。九条道家が九条家の菩提寺の創建を願って1239年仏殿を建立。寺名は規模を東大寺に、教行を興福寺にならって、東福寺と付けられました。

 

 

 

京都タワーが見えてきました。

 

東寺が見えてきました。コースは、東寺前を通り、西寺跡でチェックを受け、東寺の中を通ってゴールに向かいます。

 

羅城門跡 794年(延暦13)に建設した平安京の正門。東西4.5キロ、南北5.3キロの京域中央部の南端に羅城門がそびえ、北端の朱雀門と相対していた。門は正面33M、奥行8M。

二重閣瓦屋根造で棟両端に金色の鴟尾を置く。鬼の腕切りなど能・小説・映画「羅生門」で有名。

一緒に歩いていた滋賀のウォーカーさんから京都駅前に羅城門の模型があるといわれ、ゴール後行ってきました。

 

 

唐橋西寺公園(西寺跡)が最後のチェックポイント。

  

チェックポイントから東寺に向かいます。

 

 

東寺といえば、2014年(平成26年)11月、私たち夫婦が山陽道・西国街道を歩いた時のゴール地点です。

あの時は、街道歩きもここでおしまいと思っていたのですが、2年後、三条大橋から日本橋に向かって東海道を歩き始めました。

 

梅小路公園に戻ってきました。

 

13:00 25kコースをゴールしました。

 

 

 

 

 


京都ツーデーウォーク2023 1日目30kmコース(京都市)

2023-03-14 08:38:22 | ウォーキング

3/4~3/5まで行われた「京都ツーデーウォーク2023」に参加しました。

受付が8時からでしたので8時前に会場に着くと既に長蛇の列です。30分待ってようやくスタートです。

 

大宮通から花屋町通を西へ進むと、島原の東入口の「島原大門」が見えてきます。島原の正式な地名は「西新屋敷」ですが、六条三筋町からの移転騒動が島原の乱を思わせたことから

「島原」と呼ばれるようになりました。歌や舞を披露する花街として発展し、和歌や俳壇などの文芸活動も盛んに行われました。幕末には西郷隆盛や新選組らも出入りしていたのだとか。

しかし明治以降になると立地条件の悪さなどが影響して衰退し、現在ではお茶屋の輪違屋さんが営業を続けるのみとなっています。

 

  

 

壬生寺(みぶでら)律宗大本山。991年(正暦2)快賢僧都が創建した。本尊は延命地蔵菩薩を祀る。京都の裏鬼門に当たる場所に位置し、厄除け開運を祈願する節分会は950年余の

歴史がある。鎌倉時代、中興の祖・円覚上人が悪疫駆除のために行った法要が、重要無形民俗文化財・壬生狂言の興り。新選組ゆかりの寺であり、壬生塚には新選組隊士11名を祀っている。

また阿弥陀堂地階では、旧塔頭の諸仏の他、壬生狂言・新選組に関する資料も展示している。
境内には、京都十二薬師霊場第四番礼所本尊「歯薬師如来」と、洛陽三十三所観音霊場第二十八番札所・中院本尊「十一面観音菩薩」も祀っている。(京都観光ナビより)

 

  

壬生寺から二条へ。ここには、立命館大学、佛教大学があります。

 

二条駅の近くには、祖母の本籍地があった所です。

  

妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山の寺院。この寺院の中を通り抜けます。

 

 

コースは仁和寺(にんなじ)を通り、鳴滝橋で20kコースの分岐になります。

広沢池では、何か珍しい鳥がいるのでしょうか、カメラを持った野鳥愛好家が集まっています。

 

嵐山に入りました。 京都 嵐山 大覚寺と「女ひとり」というの歌に出てくる「大覚寺」。

 

清凉寺は、浄土宗の名刹で嵯峨車釈迦堂の名で知られています。

 

それにしても京都にはお寺が多いですね。お寺の数が日本一だと思っていたのですが、実はお寺の数が多い都道府県は、愛知県です。

京都は、13番目ぐらいです。ただ、大本山とか、総本山などと呼ばれる大きなお寺があるから京都はお寺が多いという印象を受けるのでしょうね。

 

 

嵐山の魅力といえば、この数何本の竹林の「竹林の小径」です。野宮神社から天龍寺北門を通り大河内山荘へ抜ける約400メートルの道。手入れされた竹林が道の両脇に続く、京都を代表する観光名所。平安時代には貴族の別荘地だったと言われており、晴れた日には木漏れ日が心地よく、また太陽のない日は昼でも薄暗くなります。

この日も外国の観光客の方が多く来られていました。

 

  

嵐山の観光地としては、この「渡月橋」も観光客に人気があります。承和年間(834 - 848)に僧道昌によって架橋したのが最初とされており、現在の位置には後年に角倉了以が

架けたとされる。現在使われている橋は昭和9年(1934年)6月に完成したものである。亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから

渡月橋と名付けられた。嵐山を代表する観光名所であり、春と秋を中心に多くの観光客で賑わう。(京都観光ナビ)

 

 

渡月橋を渡り、中之島公園で休憩します。持ってきたパンをいただきました。

中之島橋を渡り、阪急嵐山駅がチェックポイント。ここからゴールまであと約13km。

 

松尾大社は、お酒の神様、701年秦氏の祖先が創建しました。

 

梅宮神社は、橘諸兄の母、橘三千代が酒解神、酒解子神(大山祇、木花咲耶姫)を祭り酒造安全と子孫繁栄を祈願した神社。

 

西京極総合運動場近くの京都アクアリーナが2回目のチェックポイント。

 

14:15 スタート地点の梅小路公園に戻ってきました。

ゴールの印をもらおうとしますが、長い行列です。30分かかってやっと印をもらいました。

抽選会場も長い列ができています。長い行列を待ったせいか、家内は御菓子の「八つ橋」が当たりました。私は、残念賞でした。

  

 

 

 


今年(2022年)ウォーキングを振り返って

2022-12-31 09:56:19 | ウォーキング

今年もあと1日となりました。

今年のウォーキングを振り返ってみます。

【1月】

ふくおかウォーキング協会例会参加6回

1月末の指宿菜の花マーチに参加予定でしたが、コロナまん延防止の為中止。

【2月】

コロナまん延防止の為、ふくおかウォーキング協会の例会等すべて中止。

従ってオルレコースなど自主トレウォーキングをする。

【3月】

中旬にまん延防止が解除され、ふくおかウォーキング協会例会が再開、3回参加。

3月末から奥州街道「宇都宮(栃木県)~白河(福島県」約90kmを4日間かけて完歩。

 

【4月】

ふくしま吾妻・花見山ウォークに参加。

ふくおかウォーキング協会例会2回参加。

 

【5月】

ふくおかウォーキング協会例会5回参加。

若狭・三方五湖ツーデーウォークに参加。

京街道(東海道57次)「山科~枚方」まで歩く。

 

【6月】

ふくおかウォーキング協会例会4回参加。

SUNIN未来ウォークに参加。

【7月】

暑いので遠征は避け、ふくおかウォーキング協会例会5回参加。

【8月】

ふくおかウォー協会例会参加4回。

【9月】

ふくおかウォーキング協会例会6回参加。

月末から10月初めまで瀬戸内しまなみスリーデーマーチに参加。

【10月】

ふくおかウォーキング協会例会4回参加。

みなと横浜ツーデーマーチに参加。

 

【11月】

ふくおかウォーキング協会例会5回。

京街道(東海道57次)「枚方~大阪・高麗橋」まで歩き京街道完歩。

久留米ツツジマーチに参加。ここでJML30回を達成。初参加は、2017年(平成29)瀬戸内倉敷ツーデーマーチで5年で30回でした。金メダルをいただきました。

 

【12月】

ふくおかウォーキング協会例会参加6回。

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IVV 84回、距離 1,000km  街道歩き 約150km、自主トレ分(オルレ等) 約2000km  合計3,150km

 

 


錦秋の「京都紅葉巡りベスト」ウォーク(京都市)

2022-12-03 17:31:15 | ウォーキング

11/25(金)大阪遠征3日目。

ネットを見ると、この日、奈良・大和ウォーキング協会の「錦秋の京都紅葉めぐり」ウォークの例会があり、それに参加しました。

集合場所は、JR京都駅。集合場所に来ると既にたくさんの参加者が集まっていました。目勘定で200人ぐらいかな??

あとでスタッフの方に聞きますと240人の参加だそうです。

 

出発式の後、10:00ウォーキング開始。

 

塩小路橋から鴨川河川の遊歩道を歩きます。

 

 

五条大橋から五条通に。

 

六波羅密寺でトイレ休憩

 

休憩後再スタート

 

高台寺では、結婚式の前撮りが行われていました。今日は天気も良くいい写真が撮れたでしょうね。

  

 

コースは、円山公園へ。円山公園は桜の名所と聞いていましたが、紅葉もきれいです。

 

 

  

 

 

円山公園から知恩院へ

知恩院の大鐘楼は、高さ3,3m、直径2,8m、重さ70tで寛永13年(1636)第32世雄誉霊厳上人の鋳造です。

 

 

 

 

 

知恩院から平安神宮に向かいます。

 

平安神宮は、平安遷都1100年記念として明治28年に平安遷都の立役者である第50代桓武天皇を祭神として創建されました。

 

平安神宮の隣の岡崎公園で昼食。

ここまでのGPS

30分の昼食休憩後再スタート。

 

 

 

永観堂へ。ここの紅葉もきれいです。

  

  

永観堂から南禅寺へ

 

 

 

 

 

 

南禅寺からゴールの地下鉄蹴上駅に向かいます。

 

 

13:42 地下鉄「蹴上駅」にゴールしました。

 

3時間40分のウォーキングでしたが、参加人数が多いためスタッフの皆さんの苦労は大変だったと思います。有難うございます。

お陰様で楽しいウォーキングをさせていただきました。また、機会があれば参加したいです。

この日の平安神宮から蹴上駅までのGPSです。

 

 


九州の紅葉「環境芸術の森」の紅葉(佐賀県唐津市厳木町)

2022-11-16 16:06:03 | ウォーキング

11/14(月) 今年は九州でも紅葉が早くなっているそうです。

それではということで昨年行って感動した佐賀県唐津市の「環境芸術の森」の紅葉見学に行ってきました。

  

入場料と駐車代を払って園内へ。

 

先ずは、風遊山荘に入ります。

ここでは、磨き上げたテーブルに映る紅葉が楽しめます。

園内マップを片手に芸術の森を散策します。

 

  

約1時間の紅葉見学でした。

 

 


「油山市民の森の紅葉」(福岡市城南区)

2022-11-12 05:54:34 | ウォーキング

11/10(木)テレビで油山の紅葉が見ごろと言っていたので早速見に行ってきました。

市民の森の紅葉スポットは、つり橋から見る紅葉ですが、つり橋の周辺にスズメバチの巣があるとそうでつり橋は通行止めになっていました。

 

管理事務所から紅葉谷の方に歩いていきます。

市民の森紅葉谷です。

銀杏の黄葉もきれいでした。

九州でもこんなきれいな紅葉を見ることができました。

来週は、佐賀県唐津市の紅葉を見に行こうと思っています。

 

 


日本遺産「西の都」ふれあいウォーク(福岡県太宰府市)

2022-11-01 19:01:43 | ウォーキング

10/29(土)は、「日本遺産『西の都』ふれあいウォーク」に参加しました。

このウォークは、太宰府市市制施行40周年と太宰府観光協会法人化を記念して行われました。

7世紀後半から12世紀後半、大宰府は行政機関として九州を統括し、西の都としての役割を果たしました。地理的に日本の外交と防衛の最前線、アジア大陸の窓口としても機能したことから、重要な政治の中核として大宰府の中心地に政庁が建設されたのです。

 

  

コースは、ロングコース(17km)、ミドルコース(12km)、ショートコース(7km)があり、私はロングコース(17km)にエントリーしました。

  

8:40から出発式の後、9:00ロングコース(17km)スタート

 

 

水城跡・・・1350年前の百済の役廃線に際し、日本を守るために築かれた城砦。水を貯えた濠と土塁からなっており、のちに大宰府の出入口となり、外国使節や都からの官人らを

迎えました。

 

姿見井・・・901年1月25日、右大臣であった菅原道真は、太宰権帥に任命され、太宰府に来ることになりました。道真は水城の東門から大宰府に入り、この付近で衣類を着替えたと

伝えられています。その時、自分の姿を映した井戸(池)が、この井戸と伝えられ、のちに姿見井や鏡池と呼ばれるようになりました。

衣掛天満宮・・・衣掛天満宮は、菅原道真が大宰府に配流されてきた時、装束を改めるため、衣を石または松に掛けたことがおこりとされています。

 

国分尼寺・・・天平13年(741)、聖武天皇の命令によって、全国に国分寺とともに造られた尼寺(あまでら)のことを「国分尼寺」といいます。その一つである筑前国分尼寺は、

江戸時代に描かれた絵図などから、国分寺の西側に建てられていたことが知られています

  

  

坂本八幡宮を過ぎ、太宰府市民の森に入ります。

 

太宰府市民の森は、四王子山の山麓にあり、春の森と秋の森があり、今回は秋の森を歩きます。

太宰府には過去何回も来ていますが、この市民の森は初めてです。

 

 

崇福寺塔頭跡(そうふくじたっちゅうあと)臨済宗の寺院である横岳山崇福寺は現在の博多区千代の地所に伽藍を構える 以前には、 太宰府市の北、四王寺山裾の横岳にあった。
 聖一国師(円爾弁円えんじべんねん)が仁治2年1241に開堂式を行い、 後に文永9年1272、大應国師だいおうこくし(南浦紹明なんぽしょうみょう)によって開山されたとされる

崇福寺別院とはここのことである。(案内文より)

 

 

市民の森を下りてきます。この市民の森初めてですが、少々きついです。

  

ここから竈門神社までは、緩やかな上りの坂道です。

 

 

やっとのことで竈門神社までやってきました。

 

竈門神社は、宝満山の登山口になっており、山麓に下宮、頂上に上宮があります。祭神は、玉依姫命。

社伝では、天智天皇の代(668~682))に大宰府が現在地に遷された際、鬼門(東北)に位置する宝満山に大宰府鎮護のため八百万の神々を祀ったのが神祭の始まりとです。

次いで天武天皇2年(673))、心蓮(しんれん)上人が山中での修行していると玉依姫命が現れたため、心蓮が朝廷に奏聞し山頂に上宮が建てられたそうです。

神社側では、この時をもって当社の創建としています。

また、2019年頃から漫画「鬼滅の刃」の作者「吾峠呼世晴」が福岡出身の為、機密の刃の聖地としても知られています。

  

竈門神社から国立九州博物館に向かいます。

 

九州国立博物館

 

光明禅寺から太宰府参道に向かいます。光明禅寺は、庭園が有名ですが、現在工事中の為来年3月まで立ち入ることができません。

太宰府参道は、人出が戻ってきたのでしょうか、たくさんの観光客の方が参拝に訪れています。

太宰府門前には、私の大学の同級生の梅が枝餅屋さんがあります。ふと、その店を見てみると、白い髭を生やしたお年寄り(?)が呼び込みを行っています。

じっと見てみると、同級生のN君です。約40年ぶりぐらいの再会です。

私の最初の職場の同僚が彼と小・中学校の同級生、また、私の小・中学校の同級生が彼と高校の同級生。彼は珠算で段を持ってます。(残念ながら二人とも故人になりましたが・・・)

 

 

 

 

太宰府展示館では、太宰府市のマンホールカードがもらえます。

 

12:11 大宰府政庁跡へゴールしました。

ゴールしたら「旅人の梅」というお餅が頂けるということでそのテントに行きました。

「旅人の梅」は、小豆餡に梅餡が入っており、しつこくなくおいしくいただきました。商品化してほしいです。

  

今日のGPSです。17kmはありませんでした。

翌日の地元の新聞には、このふれあいウォークのことが載っていました。