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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

健康さわやかウォーク「玄界島一周」(福岡市西区)

2023-06-19 10:26:08 | ウォーキング

6/18(日)は、社保協主催の健康さわやかウォーク「玄界島一周ウォーク」に引率として参加しました。

参加者は、50名。

玄界島へは、震災後(2008年)3回ほど来ています。

ここで玄界島を紹介します。玄界島は、福岡市中心地から北西約20k沖に位置し、博多湾の入り口に浮かぶ周囲4,4k、面積1,14㎢の島で主に漁業が盛んです。

標高218mの遠見山を中心にお椀を伏せた形をしています。2005年(平成17年)の福岡西方沖地震では、大きな被害を被りました。

その後、3年間で復興し、島には、近代的な建物が多くなりました。

福岡市 玄界島震災復興記録誌 (fukuoka.lg.jp)

 

8時50分のフェリー「みどり丸」で一路玄界島へ。

フェリーの名前「みどり丸」は、玄界島の百合若伝説に由来します。

時代は、平安時代、百合若という武将が部下(別府兄弟)に企てられ、玄界島に置き去りにされます。百合若は、愛鷹「緑丸」により故郷の妻(春日姫)と連絡をとりながら

一人玄界島で生き延びます。事を知った百合若は、壱岐の船を掴まえ帰還し、最後は別府兄弟に復讐を果たし、妻と幸せに暮らしたそうです。

フェリーの名前は、愛鷹「緑丸」です。

 

玄界島漁港の前には、私たちのために臨時の即売所が設けられています。

復興公園前には、平成19年平成天皇皇后陛下がお越しになられたとき詠まれた歌碑が建っています。

  

出発式のあと、9:45ウォーキングスタート。

 

 

 

 

 

 

立神岩:ここは、監視小屋があった所。

しばらく歩くと、志賀島が見えてきます。

 

玄界島を一周してきました。時間にして約1時間です。(4km)

 

 

玄界島復興記念公園へ。ここで記念写真を撮ります。

  

11時玄界港にゴール。ここから流れ解散になります。

今日は、私たちのために臨時の販売所が設けられました。アナゴ焼きが人気です。

 

島には、猫が多いです。人懐っこいのか、逃げません。

 

玄界島発12:10 のフェリーで博多港へ。

 

久しぶりの玄界島ウォークでした。

 

 


第31回若狭・三方五湖ツーデーマーチ2日目10km(福井県三方上中郡若狭町)

2023-05-28 18:54:26 | ウォーキング

5/21(日)若狭・三方五湖ツーデーマーチ2日目。10kmコース

本当なら今日も20kmwぽ歩きたかったのですが、JR小浜線三方発の電車は、10時7分の次が12時29分、それに乗り遅れると15時まで待たなくてはいけません。

出来ればツーデーマーチ期間中、13時台、14時台の臨時電車を増発していただければと思います。

帰りの電車の関係上、今日も8時にフライングスタートします。

出発式では、渡辺町長が飯めしあがれこにおさんと漫才をされていました。このコンビでM-1一回戦突破したそうです。

8時00分、今日もフライングスタート。岐阜の若夫婦から見送りを受けました。

 

 

30k・20kと10kの分岐点を過ぎると歩いているのは、私たちのグループだけになりました。

 

 

 

 

踏切を渡ると遠くに30kのウォーカーが見えてきました。

宇波西神社近くに行方久兵衛門(なめかたきゅうべい)の石碑があります。

美浜(みはま)町と若狭(わかさ)町にまたがる三方五湖(みかたごこ)は、もともと久々子(くぐし)湖と菅(すが)湖がつながっていましたが、江戸時代の初めに起きた地震で、川が盛り上がり、

水が流れなくなってしましました。

上流の湖の水位は上昇し、湖畔の集落は湖に沈んでしまいます。その時、湖の水を流す工事を指揮することになった小浜藩の役人・行方久兵衛(なめかたきゅうべえ)が選んだ方法は、

最も距離が短い水月(すいげつ)湖と久々子湖の間を掘るというものでした。それによって2つの湖を結ぶ人工の川・浦見(うらみ)川が完成したのです。

行方久兵衛門は、江戸前期の若狭国(福井県)小浜藩士。水没した三方五湖周辺地域救済のため浦見坂を開削した。名は正成。寛永7(1630)年中小姓並で出仕の後,同20年家督,140石。

作事奉行を経て万治2(1659)年郡奉行。寛文2(1662)年の大地震で三方五湖周辺が冠水したため,普請奉行梶原重安と共に排水路の開削に着手,翌年勘定奉行に転じたが工事を続け,人夫22万人,

費用1700両かけて同4年完成。「掘かけてとおらぬ水の恨こそ行方故のしハさなりけり」などと非難中傷される難工事であったが排水に成功,400石の新田が出来た。

延宝6(1678)年三方郡金山村新田御用加役,天和1(1681)年致仕。

 

 

30k、20k、10kの分岐点

 

 

三方五湖沿いの道を歩きます。

 

 

 

スマートインター三方五湖の所が5k、10kのチェックポイント。

普通、大会では、距離の半分ぐらいの所がチェックポイントですが、10kコースはもう8km近く歩いています。

今日も5k、10kと同じところでのチェックポイントです。5kウォーカーが10kですと言ってもわかりませんね。

 

三方五湖展望台から。

 

 

もうゴールも間近。5kmを歩いた小学生の一行が走って抜いていきました。

この小学生に福井出身の野球選手は?と聞くと、吉田正尚選手と帰ってきましたが、わがソフトバンクの選手の名前が出てきません。

10:40 10kコース完歩しました。

 

参加者は2日間で5000人を超えていました。

 

三方発12:29の電車で敦賀から福井に向かいました。

来年福井駅に新幹線が開通するそうで福井駅前も依然来た時より随分変わりました。

福井駅前には、「恐竜広場」があり、恐竜のモニュメント。このモニュメント鳴き声が出るんです。日没から22時ぐらいまではライトアップされるそうです。

 

 

 

 

さてっと、福井のおいしいものは、昨日、おろしそばをいただきましたので今日は、ソースかつ丼(ヨーロッパ軒とは違います)、福井のおあげ、ゴマ豆腐、福井の地酒・・・・

あと、水ようかんも食べたかったのですが、福井では、11月~3月までの販売とのこと。冬、こたつの中で冷たい水羊羹を食べる習慣があるそうです。ですから食べれませんでした。

  

 

※私事ですが、新年度より地元のウォーキング協会の役職をすることになりました。

月に7回の例会、ウォーキング教室を開催するのでそのルート図、IVVの作成、電話番(携帯に転送しています)、下見交通費の清算・・・・・

忘れていたエクセルを思い出しながらパソコンのキーを打っています。前担当者から教えていただいていますが、何せ未熟ですので仕事も遅いです。

慣れるまで当分、宿泊を含む遠征は、控えようと思っています。

 

 


第31回若狭・三方五湖ツーデーマーチ1日目20km「鯖街道熊川宿」(福井県三方上中郡若狭町)

2023-05-27 10:27:15 | ウォーキング

昨年に引き続き今年も5/20~21に行われる「若狭・三方五湖ツーデーマーチ」に参加しました。

今回は、JR西日本の「西日本グリーンパス5日間コース」を利用、このグリーンパスだと5日間JR西日本の営業区間は、乗り放題になります。しかも6回までグリーン車がつかえます。

ツーデーマーチの後、ビワイチを歩こうと予定しています。

 

1日目20kmコース「鯖街道熊川宿」

宿泊地の敦賀駅から6:49の電車で会場の若狭さとうみパークへ。

会場に着くともう出発式が行われていました。8時ちょうどに30kコーススタート。一緒にフライングスタートします。

 

 

 

   

円成寺に到着。円成寺は、「見返りの松」が有名。

 

日本名木部門別の「松の部十選」にも選定され、枝張りは、東西も南北も約24メートルと、どの方向から眺めても絵に描いたような美しい姿で、初雪をかぶった姿はまた一興です。

この松を、土地の人は「大門の松」と呼びます。樹高は約12メートルです。
「みかえりのマツ」の愛称は、「枝が何度もかえるように折れ曲がっていること」、あるいは傘を広げたように美しく均整のとれた枝ぶりをみて「道行く人が思わず振り返りたくなること」

から名付けられたともいわれています。宝暦元年(1751)第11代淳長大和尚の手植えと言われています。

 

先に進みます。

 

かみなか農楽舎」ここがチェックポイントかな?と思いましたが、トイレ休憩でした。

かみなか農楽舎は、自然の営みに学び、作物の生育に学ぶ体験型の施設です。田植え、稲刈り、餅つき、そばうち、味噌づくり、陶芸、わら細工、雪遊びなど体験メニューは盛りだくさん。若狭の海、湖、里の美しい自然のもとで、心も体もリフレッシュできます。(若狭三方五湖観光協会HPより)

ここが、20k、30kの分岐点。20kは、かみなか農楽舎から若狭カントリークラブの方に向かいます。

長い長い上り坂です。

 

 

 

 

熊川小学校を通り、「熊川宿」へ。

 

熊川宿は、若狭から京都を結ぶ重要な宿場で、特に天正17年以来発展を続けました。奉行所・番所・お蔵屋敷の跡が残り、情緒あふれる街道沿いには、昔ながらの用水路が流れています。

豊臣時代から藩政末期におよぶ古文書・御用日記なども保存されています。熊川宿は、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、往年の繁栄を偲ぶ町並みが保存されています。

平成27年に熊川宿を含む鯖街道が「~御食国若狭と鯖街道~」として日本遺産に認定されました。(福井県公式観光サイトより)

白石神社は、奈良二月堂若狭井の水源地として伝説に名高い「鵜の瀬」の清流の畔に、渡来の姿をした若狭比古神が最初に降臨した若狭彦神社の元宮、白石神社です。
境内地は椿の群生林で、椿との関係が知られる八百比丘尼の伝承、東大寺を開いた良弁僧正生誕地の伝承などがあり、奈良と渡来文化、海と都をつなぐ伝承が集中して伝わる地と

なっています。鵜の瀬に注がれた聖水は10日かけて東大寺二月堂若狭井に湧き出し、お水取りが行われます。若狭の水と食を象徴する古代ロマンあふれる地です。(御食国若狭と鯖街道より)

  

  

 

熊川番所は、寛永年間(1624~44年)に小浜藩主酒井忠勝が設けたとされています。正保2年(1645)の「若狭敦賀之絵図」では、番所は中ノ町に所在していたことに

なっていますが、寛政年間(1789~1801年)の「熊川山絵図」には現在地に番所が描かれており、番所の位置が変わったことが分かります。
番所には二人の役人が勤めており、通行人の取り調べのほかに、移出入荷物への課税を行い、藩の財政に大きく貢献していました。明治3年(1870)に廃止され、建物は民家として

増改築がされ利用されてきました。
平成14年(2002)に町が買い取り、復元整備を行いました。内部には刺又(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖(そで)がらみなども展示し、公開されています。

伝建地区の中では唯一の番所建物です。(御食国若狭と鯖街道より)

 

道の駅若狭熊川宿が20k、30kのチェックポイント。

 

チェックポイントを終え、葛湯の接待所に向かいます。

 

熊川宿から上中に向かいます。

 

 

上中駅に入る所が20k、30kの分岐点。30kコースは、瓜割の滝に向かいます。20kコースは、上中駅に向かいます。

 

上中駅に着いたのが、12時37分。ここから電車で三方駅に戻るのですが、次の電車は、13:06.しばし、駅の構内で時間をつぶします。待合室では、地元の中学生のブラスバンドの

演奏がありました。

 

13:06 臨時電車「ツーデーマーチ号」2両編成ですが、すぐにウォーカーで満員になりました。

三方駅からは、歩いてゴールのさとうみパークへ。13:56 ゴールしました。

 

 

 


武蔵寺(ぶぞうじ)の藤と天拝山登山(福岡県筑紫野市)

2023-04-25 07:07:15 | ウォーキング

この2~3日藤の花を追いかけています。

4/22(土)は、唐津城の藤を鑑賞に行きましたが、もう盛りは過ぎていました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4/23(日)は、歩友のKさんに誘われ、福岡県筑紫野市の「武蔵寺(ぶぞうじ)の藤」を鑑賞に行きました。

 

 

九州最古のお寺「武蔵寺」は別名「藤寺」といわれるように藤の花が有名。寺を創建したと言われる伝説上の人物、藤原虎麿(とらまろ)が寺の発展を願って植えたとされる長者の藤は、

樹齢1,300年とも言われ、筑紫野市の天然記念物に指定されています。
藤棚は幅20m、奥行10mほどあり、見頃を迎える4月中旬には1mを超える花房に薄紫色の美しい花が咲き誇り、高貴な甘い香りを楽しめます。

 

  

  

武蔵寺参拝後、天拝山に登ります。

天拝山(てんぱいざん)は、福岡県筑紫野市にある標高257.4mの山。山名は、平安時代前期に昌泰の変で大宰府に左遷された菅原道真が、自らの無実を訴えるべく幾度も登頂して

したという伝承に由来する。古名は天判山(てんぱんざん)。昔はススキだけが生え木が無かったが、黒田長政の家臣である小河内蔵充が郡司となったときに植樹し、

全山を樹木に覆われる山にしたという

 

 

今日は、日曜日ということもあり、家族連れの登山客が多いです。

途中、6合目「荒穂宮」に立ち寄ります。

 

荒穂宮からしばらく登ると439段の階段が待ち構えています。

 

一気に登ろうとしますが、息が上がり途中1回だけ休みました。

登り口から約45分で天拝山頂上に到着しました。

 

 

天拝山からの眺めです。

しばらく休憩し、下山します。

途中、切り株の所に「銀竜草」(ぎんりょうそう)がありました。ギンリョウソウ(銀竜草、学名:Monotropastrum humile)は、ヒマラヤ、中国、台湾、日本等が原産で、

ツツジ科ギンリョウソウ属の野生の多年草です。
夏、森の林床に草丈が低い白花を咲かせます。茎も白く、花は横向きに咲き、中から青く丸い雌蕊と、黄色い雄蕊が見えます。葉緑素を持たず、葉は退化して鱗片状となっています。

別名「幽霊茸」と呼ばれていますが、キノコではありません。また食べることもできません。

 

下山後、JR二日市駅前のカレー屋さんで遅い昼食をいただきました。 

 

 

 

 

 

 


中山の大藤(福岡県柳川市三橋町)

2023-04-21 18:42:19 | ウォーキング

以前は、よく福岡ウォーキング協会楽しいウォークで行っていましたが、ここ数年行ってなかったが、先日テレビでこの中山の大藤が紹介されていましたので

早速行ってきました。

柳川市の中山熊野神社にある樹齢約300年余りの「中山大藤」。
県の天然記念物にも指定されている名木は、江戸時代に地元で酒屋を営んでいた「万さん」が、大阪の野田のフジの種を持ち帰り植え育てたものが始まりと伝えられています。地元保存会や関係者の方々により大切に育てられ、満開の時期には一帯を甘い香りに包みます。
神社の石橋にかかる見事な藤のアーチは圧巻で絶好のフォトスポット。夜にはライトアップされ一気にロマンティックな雰囲気になるのでカップルにもおすすめです。
開花時期の4月中旬~下旬頃、神社と立花いこいの森公園において開催される「中山大藤まつり」。例年屋台も数多くジャズライブやフォトコンテスト、農産物・特産物の販売などが行われています。藤棚の下にはテーブルや椅子が並べられ、くつろいでゆっくり藤の花を眺めることができます。(クロスロードふくおかより)

熊野神社に参拝してから大藤の方に行きます。

 

  

  

 

4年ぶりに藤まつりが開催されました。露店も久しぶりです。

 

 

 

 

  

見事な藤を堪能しました。

 

 

 

 


第26回(2023年)久留米つつじマーチ2日目「全国総本山水天宮・町並みコース10k」(福岡県久留米市)

2023-04-18 17:21:24 | ウォーキング

4/16(日)久留米つつじマーチ2日目。

雨は、昨晩まで降っていましたが、今日は曇りの天気、昼から所々雷を伴った雨が降るとの予報。

この大会、例年ですと、2日目も20kコースがあったのですが、今年は、35k、10k、5kのコースだけ。

35kはちょっとしんどいし、10kは物足らないし・・・・

結局10kを選択しました。10kは、「全国総本山水天宮・町並みコース」です。

7:30に35kがスタートし、10kのスタートまで約2時間ありますので、また今日もフライングスタートです。

今日は久しぶりに相棒の「風車」をつけてのウォーキングです。 8:30スタート。 

 

 

高架の下のアンダーパスにはまだ水溜まりができており、スタッフの方が水処理の作業をされていました。

 

筑後川久留米つつじ園のツツジも満開です。

 

5kmコースは、ここがチェックポイントになっています。

 

 

 

久留米城址(篠山城)からブリヂストン通りへ。このあたりが久留米城三の丸があった所です。

この「ブリヂストン通り」は、ブリヂストンが会社創立25周年記念行事の一環として1200mを造成し、1955年(昭和30年)久留米市に寄贈しました。

ケヤキ並木が綺麗です。

 

 

コースは、JR久留米駅へ。久留米駅前には、世界最大級のタイヤ(直径4m、重さ5t)が展示されています。

 

また、「からくり儀右衛門(田中久重)」のからくり時計(太鼓時計)もあります。

 

久留米駅の中を通り水天宮口へ。もうなんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)の花が咲いています。例年ですとGW前に咲くのですが、今年は桜やツツジなどお花の開花が早いですね。

 

坂本繁二郎生家

 

水天宮・・・ここまでが約5kmなのでチェックポイントかな?と思ったけど給水所でした。

 

 

境内には、尊王攘夷派の真木和泉の「山梔窩(さんしか)」がありました。真木和泉は、水天宮の神職の家に生まれました。

 

荘島公園がチェックポイントです。

 

チェックポイントを終え、ムーンスターの横を通ります。ブリヂストン、アサヒコーポレーション、ムーンスターと久留米の三大ゴムメーカーと呼ばれています。

このあたりで埼玉の〇西さん他埼玉のメンバー、北九州のⅠさんと会い、以後一緒に歩きます。

 

青木繁旧居

 

 

〇西さんが久留米のマンホールカードをもらいに行くということで同行しました。(私は集めていません)

 

西鉄久留米駅前を通りゴールへ向かいます。

 

10:50 ゴール。心配した雨も降らずじまい。ゴールでは、丸永製菓のアイス饅頭をいただきました。

やはり10kでは、物足りませんね。

参加者は、2日間で3168人。

 

 

 


第26回(2023年)久留米つつじマーチ1日目20km「大パノラマ森林つつじ公園コース」(福岡県久留米市)

2023-04-17 14:32:43 | ウォーキング

4/15~16に行われる「第26回久留米つつじマーチ」に参加しました。

この大会、4年ぶりの春の開催です。(昨年は11月にワンデーの開催でした)

1日目は、40kmコース「歴史の道草野・善道寺コース」、20kmコース「大パノラマ森林つつじ公園コース」、10kmコース「久留米市美術館・石橋文化センターコース」です。

私は、20kmコースに参加しました。

春の久留米つつじマーチは、必ず1日は、雨が降るというジンクスがありますが、前日からの大雨で今年も雨(霧雨)の開催です。

20kのコースは、中央公園から森林つつじ公園~櫨並木~園芸流通センター~中央公園ゴールの約22km。

このコースは昨年11月に行われたワンデーコースとほとんど同じです。霧雨の為、ポンチョ、シューズカバーを付けます。

7:30 40kコースを見送り、10分後フライングスタート。

 

 

石橋文化センターの先から高良川沿いに歩きます。高良川沿いの鳥越建設さんが今年も接待をしてくれました。

 

コミュニティセンター高良内が給水所。ここから高良山に向かって上り坂です。

  

  

 

森林公園に向かう途中のツツジです。

 

 

 

木の階段を登って森林公園に行くルートですが、木の階段が滑りやすいので舗装道路を通ります。

 

 

森林公園がチェックポイント。いつもは、ここで「黒棒」が出るのですが、今年は何もなし。

 

雨に打たれるツツジもきれいですが、できれば天気のいい日にこのツツジを見たかった・・・・・

 

チェックポイントから今度は、下りです。

 

 

 

40kと20kの分岐点。40kは右折、20kは直進します。

 

昨年11月の大会では、この櫨並木の紅葉が綺麗でした。今、櫨は、新芽を出しています。

 

 

11月の大会は、道の駅くるめがチェックポイントでしたが、今回は、園芸流通センターがチェックポイントです。

 

 

史跡神代浮橋跡・・・・文永11年(1274年)蒙古軍撃退のため肥後・薩摩勢が博多へ北上した。この際、「筑後川神代の浮橋、九州第一の難路の処、調略をもってたやすく打ち渡す」処置をしたのが高良山衆の一人、神代良忠であった。この浮橋は良忠への幕府の表彰状からみても常設の橋のよう、鎌倉後期作と伝える「観興寺縁起」にも船橋の姿で画かれている。

神代浮橋跡から筑後川土手から遊歩道に向かいます。

 

 

この遊歩道昨夜からの雨で所々水溜まりができています。水はけが悪いのかな???

ゆめタウン近くの遊歩道は、まるで川のようです。水深は、20cmぐらいはあるでしょうか?

水溜まりを避けて草の中を歩こうとしましたが、滑って転んでしまいました。幸いどこも痛めてはいませんでしたが、ここには、スタッフを派遣されて迂回措置を取ってもらいたかった

すぐ手前には、ゆめタウンの方に行く階段があったのでそちらを通ります。

 

ゆめタウンから百年公園を通りゴールの中央公園へ向かいます。

 

 

12:35 中央公園にゴールしました。1日目の参加は、1587人でした。

  

 

 

 

 


「いとLab+(いとラボプラス)」までウォーキング(福岡市西区)

2023-04-11 17:55:03 | ウォーキング

4/11(火)

4/8に開店した九州大学伊都キャンパス近くにある「いとLab+」までウォーキングしました。我が家から歩いて約40分。

ここは、31,000㎡の敷地の中にオフィス、研究施設、マンション、蔦屋書店、家具のLOWYA、飲食街が入る複合施設です。

  

飲食街は、4/29 オープン予定です。九州初出店のお店もあるそうです。

  

 

家具の「LOWYA」も出店していました。

 

この「いとLab+」のメインである「蔦屋書店」です。今まで私が行った蔦屋書店の中では、規模も大きいです。

 

 

蔦屋書店の中には、スタバ、ベーカリー、たいもち、明太パスタ屋さんなどが入店しています。

 

また、ウォーキングコースが増えました。次回は、GW明けに行ってみようと思います。

 


さいたマーチ2日目「見沼田んぼ北ルート」10km(さいたま市大宮区)

2023-03-30 06:05:24 | ウォーキング

3/26(日)さいたマーチ・見沼ツーデーウォーク2日目。

昨日濡れたシューズは、ホテルの戻りドライヤーで乾かしました。

8時ごろ会場に到着。今日も雨の中のウォーキングです。一応16kmコースでスタートしました。

見沼田んぼ北ルート

8:10 スタート

 

新都心駅には、「COCOON(コクーン)」という商業施設があります。COCOONという意味は、英語で「繭(まゆ)」という意味です。商業施設ができる前は、片倉工業の大宮工場でした。

片倉工業は、創業当時「繭」を作っていましたからこのネーミングになったそうです。

因みに、埼玉県の「埼玉」は、行田市にある「前玉(さきたま)神社」に由来します。

日本全国地名由来によると、さきは、「先」、たまは、水気を含んだ土地、湿地、川や湖沼などの水域。

つまり、「さきたま」は、湿地のそば、湿地帯の端、川や湖沼のへり、水辺の意味だそうです。「さきたま」から年代を経て「さいたま」になったそうです。

 

COCCONの前の道路は、旧中山道です。新都心から日本橋まで約28kmです。COCOONから氷川神社参道へ。

 

氷川神社の参道は中山道から南北に2km伸び、両側に美しいケヤキ並木が並んでいます。緑のトンネルのような氷川参道は大宮のシンボルとなっています。
「大いなる宮居」と称えられ、大宮の地名の由来ともなった氷川神社の周辺にはいくつもの集落ができ、門前町を作っていました。江戸時代の参道沿いには、神主の邸宅、

神社に所属する境内社や寺院が建ち並び、集落は、宮町、仲町、下町、大門町の四町がありました。その四町から百姓が伝馬役を命じられておりました。その人馬が行き交った道が

「元往還」です。現在の参道や中山道と「元往還」がどのような位置関係であったかは、残念ながら明らかではありませんが、中山道が参道と重なったり、

横切ったりするのは好ましくないので、参道の西側の原野が開削され、寛永5年(1628)に新たに「新往還」が開通されました。(氷川神社HPより)

  

 

 

   

氷川神社の祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の3柱で、いずれも出雲の神々を祀っています。

全国で280数社ある氷川神社の総本社であり、初詣に参拝する人数は全国10位以内に入るほど。家内安全・商売繁昌・交通安全・縁結・安産・災難除・心願成就などの御利益を求めて、

連日多くの人が祈りを捧げにきます。

社伝によると孝昭天皇の時代に創建されたといわれており、2,000年以上の歴史があります。近代では明治天皇が自ら祭儀を行ったことで知られ、いつの時代も庶民と皇族にとって

身近な神社でした。

歴史ある建造物や境内に祀られている多くの神社、パワースポットとして人気の池など、見どころがたくさんあります。

 

 

氷川神社には、「戦艦武蔵の碑」と「さざれ石」があります。

戦艦武蔵

戦艦武蔵は世界最高技術を駆使し、大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦である。
パナマ運河幅の制限から、40cm(16インチ)を超える主砲を持つ戦艦を建造できない米海軍の弱点に注目し、主砲46cm砲三連装砲塔3基を搭載した世界最強かつ最大の戦艦として

建造された。武蔵誕生に到るまでには多くの技術的困難があり、関係者の苦労は並大抵のものではなかった。また、海軍の指示により建造造船所である三菱重工業は、所員に対する

緘口令等、建造秘匿の徹底を図った。
昭和17年8月5日に広島県呉で行われた竣工式には、氷川神社より6名の神職が出向し、四季が厳しく執り行われた。艦内神社には、氷川神社が分祀され武蔵神社と命名された。
昭和19年10月17日「捷一号」作戦発令により、日米両海軍の主力が艦隊決戦を行わんとフィリピンレイテ沖を目指した。武蔵は米海軍の航空攻撃を一手に引き受け、10月24日シブヤン海に

没した。同作戦により戦艦武蔵の乗員1039名戦死、生存1329名もマニラ防衛戦等に投入され最終的に祖国の土を踏めた者は430余名と言われている。
ここに戦艦武蔵を顕彰し、碑建立に協賛、賛同するものである。

平成27年10月24日建立
 戦艦武蔵顕彰会
協賛団体
 軍艦武蔵会
 埼玉県防衛協会(創立50周年記念事業)  (説明文より)

武蔵の艦内には、氷川神社が祀られていたのですね。

また、横浜港に係留されている「氷川丸」は、この氷川神社から名付けられています。船内の神棚には、氷川神社の御祭神があります。

 

神社の境内には、和傘が並べられています。これは、埼玉中央青年会議所が企画したもの。27日まで展示されるそうです。

 

 

氷川神社本殿へ

 

雨も中々止みません。本殿入り口が26k・16kと10kの分岐点です。ここは、帰りの時間も考え10kコースを選択しました。

 

時間があるので大宮公園へ。大宮公園は、氷川神社の境内地の一部を官営化して明治18年に開設された、県内初の県営公園です。開園以来、時代の要請に応えて拡張や整備が続けられ、

現在に至るまで桜の名所やスポーツの拠点としての役割を果たしてきました。

 

天気が良ければお花見客で賑わうのに・・・・・

 

 

万葉親水公園

 

 

 

 

大宮第二公園

 

 

 

 

大宮第三公園 ここが10kコースのチェックポイント

 

 

 

合併記念見沼公園

 

 

ここからは、もうゴールに向かって進めばいいのですが、どういうわけか、矢旗を見落としたか、道を間違えてしまいました。

あとでGPSを見てみると、浄化センターから左折しなくてはいけなかったのに直進してしまいました。

地図をみればいいのに・・と思いますが、この雨の中、地図を開くにもどこかで雨宿りしなくてはいけません。(コンビニも見当たらない)

途中で地元の方に聞いてゴール会場まで行きました。2kmぐらい余計に歩きました。

11:33 ゴールしました。

 

この大会初めての参加でしたが、20kmに及ぶ「桜回廊」には、びっくりしました。どこを歩いても満開の桜を見ることができました。

できれば、天気のいい日に「桜回廊」を見てみたいです。またいつか機会があれば参加したいです。

大宮から上野東京ラインで東京へ、東京発14:12の「のぞみ」で博多へ。博多着19:09 大宮から約6時間で帰宅しました。

 


第11回さいたマーチ1日目「見沼田んぼ南ルート14km」(さいたま市大宮区)

2023-03-28 17:48:42 | ウォーキング

3/25~26まで行われた「さいたマーチ・見沼ツーデーウォーク」に参加しました。

この大会今年からJML(ジャパンマーチングリーグ)に加盟になり、初めての参加です。

 

3/25(土) 1日目【見沼田んぼ南ルート14km】(見沼代用水と芝川)

会場は、新都心駅から徒歩8分の「さいたま新都心公園」。駅前には、NTTビルやしまむらの本社ビルがあります。

今日は朝から雨、おまけに風も強く、ポンチョ、シューズカバーをつけてのウォーキングです。

8時過ぎに会場に着きましたが、受付会場は長蛇の列。足元はぬかるんでいるし最悪のコンディションです。

 

 

会場周辺の桜は、満開です。 

 

受付を終わった人から順次スタートします。私たちは8:20にスタートしました。

 

 

コースのタイトルにある「見沼の田んぼ」って何だろう?と思い、検索しました。

見沼たんぼは、東京都心から20~30km圏内に位置しており、約1260haという広大な面積を持つ、首都近郊における貴重な大規模緑地空間です。
さいたま新都心駅や大宮駅などの主要駅から2~3kmという近さにありながら、たんぼや畑、雑木林、河川や見沼代用水によってつくられる田園風景と、 生きものを育む豊かな自然が

現在も残されています。この地域の歴史はとても古く、独特の文化・伝統が継承されていることも特徴の一つです。
首都近郊において、美しい風景と古い歴史を残し、様々な見所がある見沼たんぼは、多くの人を魅了し、親しまれています。

詳しい説明は、こちらへ   見沼たんぼってなに?|見沼たんぼのホームページ (minumatanbo-saitama.jp)

また、この見沼には、総延長20kmを超える「桜回廊」があります。

見沼田んぼの桜回廊は、昭和60年代の行政による「桜並木造成事業」から始まり、さいたま市が誕生してからは、市民や団体、 企業が中心となって「見沼たんぼ桜ロードプロジェクト」に

よる植樹が行われ、現在の「目指せ日本一!サクラサク見沼田んぼプロジェクト」に引き継がれています。 平成29年、多くの方の思いが結実し、「見沼田んぼの桜回廊」は

総延長20kmを越える、桜の下を散策できる日本一の桜回廊となりました。

 

 

見事な桜回廊です。しばし見とれて写真ばかり撮っています。

 

 

見沼代用水」とは、さいたま市の東の方は、昔、あれ地や沼が広がっており、田に水を引くために、今から390年程前、芝川をせき止めるための土手(八丁)が作られ、

広いため井(見沼井)ができていました。

290年ほど前になると、幕府は米を多く作るために、八丁づつみを切り開き、見沼ため井を田に変える計画を立てました。しかし、ため井がなくなると用水にこまる村が多くなるため、

幕府の役人、井澤弥惣兵衛は、ため井の代わりの用水を引くことにしました。これが『見沼代用水』の始まりです。

見沼代用水は、今の行田市で利根川から取水し、八丁づつみまで60キロメートルも流れる長い用水です。弥惣兵衛は、この長い見沼代用水を引く工事を、多くの村人の協力で簡単な

道具だけを使い、わずか5ヶ月で完成させました。弥惣兵衛は、工事の際に次のような工夫をしました。

第1に、水量が多い利根川から水を引きました。そのため、田に水が必要な時期に安心して取水することができました。第2に、見沼代用水の水を星川に合流させて、その川を水路の

一部として使いました。このことにより、工事を早く進めることができました。第3に、他の大きな川と合流するところでは、元荒川の下をくぐる「ふせこし」や綾瀬川の上にといを

渡して流す「かけとい」をつくりました。第4に、見沼田んぼに水が入りやすくするため、見沼代用水を東縁と西縁の2つの用水に分けて、台地の縁を流しました。

そして、見沼田んぼの中央を流れる芝川を排水路として使い、田んぼの排水を流したのです。(農林水産省HPより)

こうして見沼代用水がつくられて、本県有数の水田地帯が生まれました。

 

7kコースのチェックポイント。今日はここで桜祭りが行われるそうですが、この雨ではどうかな・・・・・

 

先へ進みます。桜回廊はまだまだ続きます。

次第に道に雨が溜まってきました。

 

 

 

 

 

14kのチェックポイント。

 

雨は相変わらず降り続けています。シューズカバーを付けているのですが、ソックスが濡れてきました。

チェックポイントを過ぎ、芝川の土手沿いを歩きます。この土手も舗装はしてますが、雨水が溜まり、ホント、田んぼ状態です。また、時折強風が吹き傘が持っていかれそうです。

 

 

 

大道橋を渡り、首都高の方へ向かいます。首都高の高架の下には、「首都高ビオトープ」といって「その地域の様々な生き物たちが暮らす場所」の保全に努めています。

さいたま新都心からわずか1~2kmの場所から広がる見沼田んぼ。その見沼たんぼを横断する首都高埼玉新都心線は自然環境に配慮して整備されています。
延長約1.7km、面積は6.3haにも及びます。このあたりの首都高は高架構造で、その下の空間をうまく利用しながら、植樹や池、湿地、草原といった多様な自然空間がつくられています。
2万本以上の木が植えられています。ビオトープは普段は一般の方の立ち入りは制限されていますが周囲からは木々の生長を見ることができます。
このビオトープは周囲の見沼田んぼの自然と一体化してきておりカワセミやキツネなどの姿も見ることができます。

 

今日は、NPOの会員の方がビオトープの説明をされていました。

 

 

 

障害者交流センターを経て、大原サッカー場へ。ここは、サッカーJ1の浦和レッズがトレーニング場としているところです。

 

11:30 ゴールしました。

 

雨が降らなければ、最高のコースでしたが、雨が憎いです。

今日のGPS

1日目の参加者は、1457人でした。