よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

さいたマーチ2日目「見沼田んぼ北ルート」10km(さいたま市大宮区)

2023-03-30 06:05:24 | ウォーキング

3/26(日)さいたマーチ・見沼ツーデーウォーク2日目。

昨日濡れたシューズは、ホテルの戻りドライヤーで乾かしました。

8時ごろ会場に到着。今日も雨の中のウォーキングです。一応16kmコースでスタートしました。

見沼田んぼ北ルート

8:10 スタート

 

新都心駅には、「COCOON(コクーン)」という商業施設があります。COCOONという意味は、英語で「繭(まゆ)」という意味です。商業施設ができる前は、片倉工業の大宮工場でした。

片倉工業は、創業当時「繭」を作っていましたからこのネーミングになったそうです。

因みに、埼玉県の「埼玉」は、行田市にある「前玉(さきたま)神社」に由来します。

日本全国地名由来によると、さきは、「先」、たまは、水気を含んだ土地、湿地、川や湖沼などの水域。

つまり、「さきたま」は、湿地のそば、湿地帯の端、川や湖沼のへり、水辺の意味だそうです。「さきたま」から年代を経て「さいたま」になったそうです。

 

COCCONの前の道路は、旧中山道です。新都心から日本橋まで約28kmです。COCOONから氷川神社参道へ。

 

氷川神社の参道は中山道から南北に2km伸び、両側に美しいケヤキ並木が並んでいます。緑のトンネルのような氷川参道は大宮のシンボルとなっています。
「大いなる宮居」と称えられ、大宮の地名の由来ともなった氷川神社の周辺にはいくつもの集落ができ、門前町を作っていました。江戸時代の参道沿いには、神主の邸宅、

神社に所属する境内社や寺院が建ち並び、集落は、宮町、仲町、下町、大門町の四町がありました。その四町から百姓が伝馬役を命じられておりました。その人馬が行き交った道が

「元往還」です。現在の参道や中山道と「元往還」がどのような位置関係であったかは、残念ながら明らかではありませんが、中山道が参道と重なったり、

横切ったりするのは好ましくないので、参道の西側の原野が開削され、寛永5年(1628)に新たに「新往還」が開通されました。(氷川神社HPより)

  

 

 

   

氷川神社の祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の3柱で、いずれも出雲の神々を祀っています。

全国で280数社ある氷川神社の総本社であり、初詣に参拝する人数は全国10位以内に入るほど。家内安全・商売繁昌・交通安全・縁結・安産・災難除・心願成就などの御利益を求めて、

連日多くの人が祈りを捧げにきます。

社伝によると孝昭天皇の時代に創建されたといわれており、2,000年以上の歴史があります。近代では明治天皇が自ら祭儀を行ったことで知られ、いつの時代も庶民と皇族にとって

身近な神社でした。

歴史ある建造物や境内に祀られている多くの神社、パワースポットとして人気の池など、見どころがたくさんあります。

 

 

氷川神社には、「戦艦武蔵の碑」と「さざれ石」があります。

戦艦武蔵

戦艦武蔵は世界最高技術を駆使し、大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦である。
パナマ運河幅の制限から、40cm(16インチ)を超える主砲を持つ戦艦を建造できない米海軍の弱点に注目し、主砲46cm砲三連装砲塔3基を搭載した世界最強かつ最大の戦艦として

建造された。武蔵誕生に到るまでには多くの技術的困難があり、関係者の苦労は並大抵のものではなかった。また、海軍の指示により建造造船所である三菱重工業は、所員に対する

緘口令等、建造秘匿の徹底を図った。
昭和17年8月5日に広島県呉で行われた竣工式には、氷川神社より6名の神職が出向し、四季が厳しく執り行われた。艦内神社には、氷川神社が分祀され武蔵神社と命名された。
昭和19年10月17日「捷一号」作戦発令により、日米両海軍の主力が艦隊決戦を行わんとフィリピンレイテ沖を目指した。武蔵は米海軍の航空攻撃を一手に引き受け、10月24日シブヤン海に

没した。同作戦により戦艦武蔵の乗員1039名戦死、生存1329名もマニラ防衛戦等に投入され最終的に祖国の土を踏めた者は430余名と言われている。
ここに戦艦武蔵を顕彰し、碑建立に協賛、賛同するものである。

平成27年10月24日建立
 戦艦武蔵顕彰会
協賛団体
 軍艦武蔵会
 埼玉県防衛協会(創立50周年記念事業)  (説明文より)

武蔵の艦内には、氷川神社が祀られていたのですね。

また、横浜港に係留されている「氷川丸」は、この氷川神社から名付けられています。船内の神棚には、氷川神社の御祭神があります。

 

神社の境内には、和傘が並べられています。これは、埼玉中央青年会議所が企画したもの。27日まで展示されるそうです。

 

 

氷川神社本殿へ

 

雨も中々止みません。本殿入り口が26k・16kと10kの分岐点です。ここは、帰りの時間も考え10kコースを選択しました。

 

時間があるので大宮公園へ。大宮公園は、氷川神社の境内地の一部を官営化して明治18年に開設された、県内初の県営公園です。開園以来、時代の要請に応えて拡張や整備が続けられ、

現在に至るまで桜の名所やスポーツの拠点としての役割を果たしてきました。

 

天気が良ければお花見客で賑わうのに・・・・・

 

 

万葉親水公園

 

 

 

 

大宮第二公園

 

 

 

 

大宮第三公園 ここが10kコースのチェックポイント

 

 

 

合併記念見沼公園

 

 

ここからは、もうゴールに向かって進めばいいのですが、どういうわけか、矢旗を見落としたか、道を間違えてしまいました。

あとでGPSを見てみると、浄化センターから左折しなくてはいけなかったのに直進してしまいました。

地図をみればいいのに・・と思いますが、この雨の中、地図を開くにもどこかで雨宿りしなくてはいけません。(コンビニも見当たらない)

途中で地元の方に聞いてゴール会場まで行きました。2kmぐらい余計に歩きました。

11:33 ゴールしました。

 

この大会初めての参加でしたが、20kmに及ぶ「桜回廊」には、びっくりしました。どこを歩いても満開の桜を見ることができました。

できれば、天気のいい日に「桜回廊」を見てみたいです。またいつか機会があれば参加したいです。

大宮から上野東京ラインで東京へ、東京発14:12の「のぞみ」で博多へ。博多着19:09 大宮から約6時間で帰宅しました。

 


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