伝統の「世田谷ボロ市」を巡った後、世田谷の歴史スポットをぶら散歩してみました。
ボロ市通りの近くの「実相院」は、吉良氏朝が開基し晩年隠居していたお寺で山門や鬱蒼とした境内は、世田谷百景にも選ばれている独特の雰囲気があります。
山門近くには、美しく彩られた紅葉も観られます。
5年前に建てられた珍しい「二重の塔」が建ち光り輝いて素敵でした。
実相院から国士舘大学近くの「松陰神社」へ向かいます。
「松陰神社」は、安政の大獄で処刑された幕末の藩士・吉田松陰を祀る神社で境内には松陰のお墓や松下村塾の模擬、松陰像があります。
「松下村塾」は、以前に萩市にある世界遺産に登録された本物を見ましたが、そっくりで塾生の姿が見られるような錯覚を覚えました。
現代社会に吉田松陰先生がおられたらこの世相をどのように思われるでしょうか?
”常に変わらず偏らない美徳を持ち、自分の求めた道を実践する人は、その人の素質と共に人徳も優れている・・・”と語られていました。
松下村塾の前にはもみじが真っ赤に燃えています。
社道の奥にある松陰のお墓に参拝していましたが、吉田松陰の声が聞こえてくるようでした。
松陰神社から次の「豪徳寺」へと向かいます。
途中、世田谷城址公園に立ち寄ると、室町時代から豪族吉良氏が世田谷を治めていた「世田谷城」跡で、空堀と土塁の起伏が今もその名残が残されていました。
「世田谷城」の本郭部分であったと言われる隣接する「豪徳寺」は、猫ファンにとっては逃せない名所となっています。
城山通りから参道の松並木を通り山門へと向かいますが、招き猫にオイデよオイデと招かれるように歩が進みますね~
山門から境内に入ると左手に木製の三重塔が秋の陽を受けて美しい光景が見られました。
仏殿前には、狛犬ならぬ黒獅子が金色の毬を抱えた香炉があり、出迎えてくれました。
仏殿の横には、豪徳寺名物の「招福堂」がありその横には、大小無数の招き猫が返納されています。
その多くは右手を掲げる雄猫ばかりで金運を呼んでいますね~
ボロ市帰りの猫ファンも多く皆でニャンニャンしていましたよ・・・
本殿前には、立派な青銅製の灯籠があり天女を描く素晴らしい彫物に目を魅かれました
ね。
境内の墓所には、豪徳寺開祖の井伊直孝をはじめ、歴代藩主の墓石が並び余りの多さにどれが誰のお墓なのか判らないほどでしたが、一番奥にある大老井伊直弼のお墓です。
招き猫からたくさん福を授かりまた来てねと言われ豪徳寺を後にしました。
ボロ市通りの近くの「実相院」は、吉良氏朝が開基し晩年隠居していたお寺で山門や鬱蒼とした境内は、世田谷百景にも選ばれている独特の雰囲気があります。
山門近くには、美しく彩られた紅葉も観られます。
5年前に建てられた珍しい「二重の塔」が建ち光り輝いて素敵でした。
実相院から国士舘大学近くの「松陰神社」へ向かいます。
「松陰神社」は、安政の大獄で処刑された幕末の藩士・吉田松陰を祀る神社で境内には松陰のお墓や松下村塾の模擬、松陰像があります。
「松下村塾」は、以前に萩市にある世界遺産に登録された本物を見ましたが、そっくりで塾生の姿が見られるような錯覚を覚えました。
現代社会に吉田松陰先生がおられたらこの世相をどのように思われるでしょうか?
”常に変わらず偏らない美徳を持ち、自分の求めた道を実践する人は、その人の素質と共に人徳も優れている・・・”と語られていました。
松下村塾の前にはもみじが真っ赤に燃えています。
社道の奥にある松陰のお墓に参拝していましたが、吉田松陰の声が聞こえてくるようでした。
松陰神社から次の「豪徳寺」へと向かいます。
途中、世田谷城址公園に立ち寄ると、室町時代から豪族吉良氏が世田谷を治めていた「世田谷城」跡で、空堀と土塁の起伏が今もその名残が残されていました。
「世田谷城」の本郭部分であったと言われる隣接する「豪徳寺」は、猫ファンにとっては逃せない名所となっています。
城山通りから参道の松並木を通り山門へと向かいますが、招き猫にオイデよオイデと招かれるように歩が進みますね~
山門から境内に入ると左手に木製の三重塔が秋の陽を受けて美しい光景が見られました。
仏殿前には、狛犬ならぬ黒獅子が金色の毬を抱えた香炉があり、出迎えてくれました。
仏殿の横には、豪徳寺名物の「招福堂」がありその横には、大小無数の招き猫が返納されています。
その多くは右手を掲げる雄猫ばかりで金運を呼んでいますね~
ボロ市帰りの猫ファンも多く皆でニャンニャンしていましたよ・・・
本殿前には、立派な青銅製の灯籠があり天女を描く素晴らしい彫物に目を魅かれました
ね。
境内の墓所には、豪徳寺開祖の井伊直孝をはじめ、歴代藩主の墓石が並び余りの多さにどれが誰のお墓なのか判らないほどでしたが、一番奥にある大老井伊直弼のお墓です。
招き猫からたくさん福を授かりまた来てねと言われ豪徳寺を後にしました。