MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

福井震災記念日

2016年06月28日 | うんちく・小ネタ
あれから68年~本日6月28日は、我がふるさと福井の「福井震災記念日」です。

忘れられないあの日 昭和23年6月28日 午後5時13分(サマータイム)に戦後最大の地震に襲われて終戦間もない福井の街は一瞬にして家や財産、多くの市民の命を奪われ記憶に新しい日である。


今年も熊本地震が発生し多くの方々が犠牲になられましたが、いつどうような大震災が起きても不思議ではない地震大国で被災者の皆さんにお見舞い申し上げます。

あの日は、学校から戻って家の近くの路上で友人とキャッチボールをしていたのですが、突然大激震が起こり、目の前に沿道の家が倒れ込んできて、幼少の自分には何が起きたのか全く判らずに自宅へ戻ってみると、我が家もペシャンコになっていたのを鮮明に記憶している。
先日も、ふるさと帰りで現場を通り鮮明に記憶が甦っていました。

あの日は、市内のあちこちから火柱が上がり中心部には真っ黒な竜巻のような火柱が立っていたのを呆然と眺めていました。

幸いにも家族は、倒壊した家の隙間で怪我も無く助かっていたが、多くの知人が貴重な命を奪われました。

福井地震は、マグニチュード7.1、震度7.0と、戦後最大の地震で、福井大空襲の復興も道半ばだったので、家屋の全壊約3万6千、半壊約1万2千軒、死者3769人と壊滅状態となっていたのです。
先日、訪れたときに福井のお濠の遊歩道に立つ記念碑です。

母校の小学校の体育館では、PTAの会議が行われていたため、全壊した体育館が火災となり多くの方々が犠牲になられました。
また、震災後には、親戚に身を寄せて通学していましたが、全壊した学校生活は米進駐軍のテント教室となり、各地から援助を受けながらの生活だったのです。
今も校内の一角に震災記念碑が立てられています。

先日訪れた時に、福井のシンボルである福井城閣跡には今も天守台跡の石垣が崩れたまま保存されていました。

福井城跡のお濠を巡る「歴史のみち」を一回りしてみると、多くの記念碑が残されている中央公園は改修工事が行われており、すっかり緑の公園に変わっていました。



城内へ通じる御本城橋とお濠の光景は、今も福井市内の代表的な光景ですが、あちこちにふるさと福井の歴史を感じ、不死鳥(フェニックス)の意気込みを感じていました。

初代福井藩主結城秀康像です。

福井の亀さんも福井の発展を象徴するように元気な姿で甲羅干しでした(笑)

熊本地震から2ヶ月となりますが、夢と希望を抱き一日も早い復興を願うばかりです。
コメント (4)
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