夏日が続いていたので久しぶりに藤沢北部の目久尻川沿いのサイクリングロードを走ってきました。
慶應大学湘南キャンパスを経て用田地区の目久尻川に出てサイクリングロードを走りますが、以前は市の鳥カワセミが見られるカワセミの里でしたが、護岸工事が行われてからは、すっかりカワセミの姿は見られなくなってしまいましたね。
上流の川の駅「中将姫」で一休みして名前の由来となっている「中将姫の祠」に立ち寄ってみました。
案内によると、中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘で、幼くして母親に先立たれ継母に育てられていたが、その美貌と秀でた才能から継母に嫉まれ命を狙われ、逃避行の末 大和市のお寺に出家したそうで、逃避行中に姫がこの地に隠れ住んでいたと伝えられており、子宝のご利益があるそうです。
「中将姫の祠」は、細い道を登ると竹林の奥に鎮座しており赤い幟が誘導旗になっています。
小さな祠ですが、地域の皆さんに大切に守られているようで、美しい花が飾られていました。
中将姫のお面が保管されていたという近くの寿昌寺にその由来を聞いてみようと立ち寄ってみました。
お面は、その後用田の寒川神社に納められたようで、今は存在しないようでした・・・・
境内でご住職にお話をお聞きしていると、故郷福井の永平寺を本山とする曹洞宗の寺院で、何とご住職は我が故郷福井のご出身だと聞き、しばし懐かしいふるさとの話に花が咲いていました。
境内には、大きな竹林もあり聖なるパワーが漲っていました。
山門前には、立派な十六大阿羅漢像が鎮座していましたが、その由来は不明でした。
寿昌寺から目久尻川の上流へと進むと、伊勢山自然公園の脇に「伊勢山大神宮」の案内を見て立ち寄ってみました。
「伊勢山大神宮」の名前に惹かれて訪れてみると、自然公園の裏斜面に鉄製の階段が参道となっており、不思議な神社でした。
階段を上がった先には、約100M2位の境内?に社ならぬ祠が建っていました。
記念碑によると、昔この地を伊勢山と称していたそうで祖先が守護神として伊勢神宮を勧請したと記されていました。
大きさではなく由緒ある歴史資産ですね~
この日は目久尻川サイクリングロードを引き返して帰路に付いたが、思わぬ相模国の歴史を学ぶ機会となりました
慶應大学湘南キャンパスを経て用田地区の目久尻川に出てサイクリングロードを走りますが、以前は市の鳥カワセミが見られるカワセミの里でしたが、護岸工事が行われてからは、すっかりカワセミの姿は見られなくなってしまいましたね。
上流の川の駅「中将姫」で一休みして名前の由来となっている「中将姫の祠」に立ち寄ってみました。
案内によると、中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘で、幼くして母親に先立たれ継母に育てられていたが、その美貌と秀でた才能から継母に嫉まれ命を狙われ、逃避行の末 大和市のお寺に出家したそうで、逃避行中に姫がこの地に隠れ住んでいたと伝えられており、子宝のご利益があるそうです。
「中将姫の祠」は、細い道を登ると竹林の奥に鎮座しており赤い幟が誘導旗になっています。
小さな祠ですが、地域の皆さんに大切に守られているようで、美しい花が飾られていました。
中将姫のお面が保管されていたという近くの寿昌寺にその由来を聞いてみようと立ち寄ってみました。
お面は、その後用田の寒川神社に納められたようで、今は存在しないようでした・・・・
境内でご住職にお話をお聞きしていると、故郷福井の永平寺を本山とする曹洞宗の寺院で、何とご住職は我が故郷福井のご出身だと聞き、しばし懐かしいふるさとの話に花が咲いていました。
境内には、大きな竹林もあり聖なるパワーが漲っていました。
山門前には、立派な十六大阿羅漢像が鎮座していましたが、その由来は不明でした。
寿昌寺から目久尻川の上流へと進むと、伊勢山自然公園の脇に「伊勢山大神宮」の案内を見て立ち寄ってみました。
「伊勢山大神宮」の名前に惹かれて訪れてみると、自然公園の裏斜面に鉄製の階段が参道となっており、不思議な神社でした。
階段を上がった先には、約100M2位の境内?に社ならぬ祠が建っていました。
記念碑によると、昔この地を伊勢山と称していたそうで祖先が守護神として伊勢神宮を勧請したと記されていました。
大きさではなく由緒ある歴史資産ですね~
この日は目久尻川サイクリングロードを引き返して帰路に付いたが、思わぬ相模国の歴史を学ぶ機会となりました