アイ・ラブ みどり

逆境にもめげず、けなげに生きるみどり達がいとおしくてなりません。

遣る瀬無い

2012年01月28日 | みどりの雑記帖
 瀬とは浅瀬のことで、小舟を乗り上げて休憩したり上陸できる大切な場所です。瀬が見つからないと船は流れに漂い、「遣る瀬がない」不安な時を過ごさなければなりません。「瀬」は安心のよりどころ的存在なのです。我々にとって家庭、収入、仲間、用事などは充実した人生を送るための「瀬」と云えましょう。
 私が定年退職し土浦に来た頃は、年金収入はあるものの、健康を害し、また4年間の単身赴任で妻との絆もちぐはぐになり、仲間も用事もなく、「遣る瀬がない」気持ちに苛まされたものです。手術で頚椎脊柱管狭窄症を解消し健康を取り戻し、仲間を作り、「遣る瀬」が見つかり気持ちが安定するのに3年かかりました。このブログを始めたのも、用事作りの一環でした。当初は日課として毎日欠かさず取り組んでいましたが、用事が出来過ぎ多忙となった昨今は投稿できるのも週1、2回となりました。
 日本社会は「遣る瀬がない」社会になってしまったように感じます。非正規社員は職場も収入も不安定で、「遣る瀬」がありません。結婚も難しく家庭も築けず、ますます「遣る瀬」がなくなります。多くの職場(企業)も安価な労働力を求めて新興国へ移っています。そこもやがて賃金が上がり、さらに安価な労働力を求めて、他へ移ることになるのでしょう。「遣る瀬のない」ジプシーのように世界を漂うのでしょうか。
 日本国にも「瀬」がありません。現政権は国民を聾桟敷において、何かとアメリカと密約を交わしているようです。「住人の意向をよく聞いて」と言いながら、普天間基地を辺野古へ移設する日米協定を翻す気はないようです。TPP問題も国民への説明は全くなく強引に参加するつもりのようです。日本は一体何処へ行くのだろう。我々国民は「遣る瀬がない」気持ちで一杯です。

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1 コメント

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self-will (noga)
2012-01-28 21:49:22
昔、「コーラは○○○、ボクシングはヤマトダマシィ」という宣伝文句があった。
闘争には、大和魂が有効であるということであろうか。大和魂とは、負けじ魂のことなのか。大和魂を発揮して頑張れば、その結果は沖縄戦のようになるというものであろうか。

悪くないものを悪いと言わせようとする恣意がある。これも、腹芸か、大和魂か。
その恣意が政治問題を何十年も膠着させている。
普天間基地の環境がどうしても我が国民に許しがたいものであるならば、政府は福島の第一原発のように「長期帰還困難区域」に指定すればよい。
この国の政治には、恣意の人でなく、意思の人が必要である。
さすれば、腹案ではなく、成案をもって問題は決着できる。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする (ちゃぶ台をひっくり返す)力は持っている。
だから無能力の我々は、常に耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲しなくてはならない。
和をもって尊しとなす。過ちは、繰り返しませぬから。
これは単なる感傷ではなく、我々自らの叡智をもって裏付ける行動に出なくてはならない。

日本人には意思 (will) がない。
意思は未来時制 (future tense) の内容である。
日本語には時制がない。
日本人には意思がない。

英米人の子供には意思がない。
この点で日本人のようなものである。
思春期を迎え、言語能力が発達すると、意思を表すことができるようになる。
英米流の高等教育 (大人の教育) が可能になる。これは、さらなる英語の教育である。
日本語脳の持ち主には、大人の教育の意味は理解できない。
日本人は英米流の大学教育を高く評価もしないし、効果も上がらない。

子どもには意思がない。
だから、子供には保護者 (chaperon) がついてきて、それを代行する。
日本政府にも、意思決定が難しい。
だから、アメリカ政府が意思決定を助けてくれる。
日本人の誰もが指摘する通り、我が国の政府は、アメリカ政府のポチである。
日本人は、自力でこの道を脱却できるか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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