アイ・ラブ みどり

逆境にもめげず、けなげに生きるみどり達がいとおしくてなりません。

新年親族会

2023年11月15日 | みどりの雑記帖

今年も押し詰まってきました。毎年行っている新年親族会のお知らせが舞い込んできました。兄弟が住んでいる東京界隈には、多くの子供達が新年に帰郷します。その機会を捉え、亡くなった父母を偲んで兄弟が始めたもので、今度の新年会が20回目になります。父母には、我々子供5人、孫9人、ひ孫11人、その他配偶者が13人の大集団になっています。子供も次々他界し、弟と2人になってしまい、私が最年長になってしまいました。冥土行きの順番が回ってきた思いです。

ところで、冥土って何処にあるのか、若い頃の疑問でした。農学部で学び、農林水産省の研究機関に従事し、遺伝子と近しくなり、ある思いに達しました。死後は子孫に伝えられた遺伝の中に「私」は居座っているのだと。最近特に母を感じることが多くなりました。母は園芸好きで、幼児期に住んでいた秋田では、1反歩くらいの屋敷を耕し野菜を作っていました。晩年住んでいた三鷹では70坪くらいに庭一面にバラを栽培していました。私も現在、近隣公園に花壇を作っていますが、タネを蒔き、苗を育て、土を作り、苗を定植し、花を咲かせるのが楽しくてしかたありません。毎年の親族会で気付くことは、生物系のメンバーが多く、集まって懇談していると、母を感じるのです。母は子や孫の遺伝子に潜み、親族会を楽しんでいるように感じるのです。私には親族会が何よりの供養と思います。

不思議と父は感じません。遺伝子には優性、劣性がありますが、ここにも。

遺骨は火葬で焼け残った単なる無機物で、遺骨を納めた墓には、「私」はいません。自然界の物質循環の原理に従えば、私の肉体は自然界に戻るべきと思います。「私」は子供や孫の遺伝子にいるのですから。と云うわけで、あと幾ばくもない身ですが、まだ墓がありません。魂の抜けたてしまった屍の処理は、全面的に遺族の意向に任せます。

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