長生きして良いことがあるのだろうか。親しく交際していた友人も次々逝ってしまい、年賀状の枚数も今年は40枚そこそこになってしまいました。高齢者クラブの会員も年が明けてからもう2人も亡くなりました。新型コロナの影響で集会の機会も減り、孤独感は増すばかりです。老衰により筋肉の弾力性が失われ、こむら返りに苦しみ、脚力は時速3㎞を下回る有様です。我が身ばかりか、地球環境は急激に劣化し、世界平和も大国のエゴで第三次大戦前夜を思わせる情勢。将来に軟の希望も夢もなく、長生きする意味がなくなりました。
今日は私には縁のないバレンタインディです。と、思っていたところ、孫娘から手作りのチョコレートがプレゼントされました。孤独死しかけていた干からびた心にパッと灯りがつきました。「じぃじたい好き」と手描きのカードまで添えてありました。こんな老いぼれを慕ってくれるとは、何と嬉しいことではありませんか。長生きすることで誰かの心の支えになるのであれば、もう少し生きていても良いのかと、一縷の希望が湧いてきました。
この機会に改めて、人の幸せとは何かを考えてみました。円満な家庭の中で、喜びも悲しみも共有し、家族が睦まじく信頼し助け合って暮らすことではないでしょうか。そこで思いつくのは、母の教え、「嘘つきは泥棒の元」、「世のため。人のため」です。家族や集団の絆を強めるには、相手の気持ちを尊重し正直に行動することが基本なのです。平素から私が孫を可愛がり、孫が私を慕い、そこから手作りのチョコレートが生まれました。私の跳び上がらんばかりの感謝に、孫の心は喜びに溢れ、二人の心は溶け合いました。円満な家族の一員として、このささやかな喜びに加わることこそが、長生きの意義なのだと気付かされました。
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