鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

アウトゥオリ監督、アトレチコ・ミネイロの指揮官に就任

2013年12月20日 | Weblog
Presidente Alexandre Kalil confirma Paulo Autuori como novo treinador do Atlético
O presidente Alexandre Kalil confirmou a contratação do técnico Paulo Auturori para dirigir o Atlético na temporada 2014. A confirmação foi feita na manhã desta sexta-feira, em Marrakech, no Marrocos, onde o Galo disputa a Copa do Mundo de Clubes da FIFA.

Com grande experiência internacional, Paulo Autuori conquistou, entre outros títulos, um Mundial de Clubes, duas Copas Libertadores da América, um Campeonato Brasileiro e dois Campeonatos Peruanos.


アウトゥオリ監督の就任を発表したアトレチコ・ミネイロである。
一時はボタフォゴの監督に就任かとも報じられたが、この鬼軍曹が選んだクラブは今年のリベルタドーレス杯の王者であった。
かつてはトニーニョ・セレーゾが所属したことでも有名なこのクラブを率いて世界一を目指すのだ。
楽しみにしておる。

ジウトン、Paysanduに所属

2013年12月20日 | Weblog
Papão anuncia a contratação de lateral-esquerdo Gilton Ribeiro
O ala chega em Belém na sexta-feira para pegar o lugar de Rodrigo Alvim, que deixou ou clube na segunda-feira

12/20/2013 - - Série B

Na tarde desta quinta-feira (08), O Paysandu Sport Club anunciou a contratação de mais um jogador para a disputa do Campeonato Brasileiro da Série C. Desta vez o Papão contratou o lateral-esquerdo Gilton Ribeiro, de 24 anos.
O lateral é natural de Campo Grande (MS) e se profissionalizou pelo Porto Alegre Futebol Clube, em 2008. No mesmo ano o jogador ransferiu para o Joinville/SC. Na equipe catarinense, Gilton foi emprestado para o Cerezo Osaka (2008), Albirex Niigata (2009) e Kashima Antlers (2010), todos do Japão. No Kashima Antlers, o novo lateral bicolor conquistou a Copa do Imperador e a Super Copa do Japão , ambas conquistas em 2010. Em 2011 o atleta voltou ao Brasil, para atuar novamente no Joinville/SC, onde conquistou o titulo Catarinense e o campeonato Brasileiro da Série C. Em 2012, jogou na Chapecoense-SC e em 2013 no Paraná-PR.



O ala esquerdo possui 1,84 metros de altura e 74 quilos e tem previsão de chegada para esta sexta-feira (09), às 12h. Em seguida o atleta segue para a Curuzu, onde realizará exames médicos e físicos, caso seja aprovado o atleta assinará contrato com o Paysandu.


ブラジルのセリエCのPaysanduに移籍するジウトンである。
今年の6月に大火傷を負った際は無所属であり、去就が心配されておった。
ここで、所属クラブも見つかり、プレイに集中できる環境となった。
ジウトンの馬力のあるプレイでサポーターを魅了して欲しい。
活躍を期待しておる。

小澤、トライアウトを区切りにする

2013年12月20日 | Weblog
1年間のブランクを経てトライアウトに参加した最年長GK
2013.12.20
小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 12月17日、「2013JPFAトライアウト」がフクダ電子アリーナで開催された。参加者は総勢73名。平均年齢は26.8歳だった。各組に分けられた選手たちは、7対7の7分間のミニゲームと11対11の30分間のゲームを行なった。ほとんどの選手が初の顔合わせで、そこには契約を勝ち取ろうとする男たちの独特の緊張感があった。
「フリー!フリィィィー!」
 まるで獣の咆吼のような掛け声が、ピッチに響き渡る。伊東輝悦と並んで最年長参加者のゴールキーパー、小澤英明(39歳)は、最後方のポジションから”即席の”仲間たちを鼓舞し続けていた。


小澤英明。かつてアトランタ五輪代表GKの座を川口能活と争った。鹿島、横浜F・マリノス、FC東京などを経て、2013年1月、新潟を退団している

小澤英明。かつてアトランタ五輪代表GKの座を川口能活と争った。鹿島、横浜F・マリノス、FC東京などを経て、2013年1月、新潟を退団している
 小澤は長年に渡り鹿島アントラーズでプレイ。Jリーグ3連覇などに貢献した。セカンドGKが定位置だったものの、1日としてその立場に甘んじず、チームを支え続けた。そして南米パラグアイ1部リーグスポルティボ・ルケーニョでは見事に正GKの座をつかんだ。帰国後に所属したアルビレックス新潟でも2011シーズンにスタメンを確保、37歳にしてキャリア最高の出場記録(カップ戦を含めると20試合出場)を残している。
 しかし2012シーズン終了後に新潟を退団後、1年間はチームを探して浪人。本来トライアウトはJリーグ所属選手が参加資格を持つが、プロ22年目になる男には特例参加が認められていた。
 修羅場をくぐってきた男の老練さを、小澤はトライアウトの限られた時間でも見せている。

「ラインを揃えろ」
 バックラインのバランスが崩れかかると、すかさず若いディフェンダーに注意を促した。中央の選手のポジションがずれなければ、GKとしてはなんとか対応できる。
 オフサイド気味に右サイドを破られたシーンは、小澤らしさが顕著に出ている。クロスボールに対して必死に身を挺したセンターバックに、彼はねぎらいの言葉をかけた。実際はそのディフェンダーに当たったボールがゴールに入りそうになり、GKである彼がそれを防いだのだが、彼は体を投げ出して守ろうとした心意気を褒めたのだった。仲間の気持ちを盛り立てることで自信がつく。彼はそれがチームの強さになることを経験的に知っていた。
 小澤のチームには、タイ、インドネシア、ベトナム人の6選手が入り、他チーム以上にコミュニケーションが難しく、東南アジアの選手はいずれも体格差やプレイリズムの違いに戸惑っていた。7対7のミニゲームでは、実際にレベル差は大きかった。しかし、小澤のチームはフルコートマッチでは1-0と勝利を収める。彼の叱咤がチームに力を与えた。
「今年1年の一区切りがつきましたね」
 トライアウト後、喫茶店でフルーツを盛り合わせたシフォンケーキを食べながら、小澤は穏やかな表情で語った。
「1年間、プロの世界から離れることになりましたが、最大限にやってきたつもりです。だからトライアウトを区切りにするというのは、家内とも相談してきたこと。声が掛かるかどうかは分かりませんが、どうなったとしても、ピッチで自分らしさを見せられたと思うし、後悔はありません。今年1年、細胞の一つ一つまで”自分はゴールキーパーなんだ”ということに気付かされたので」
 自宅近くの公園で、彼は週末になると一人でゲームを戦ったという。頭の中に試合をイメージし、90分間を戦った。バーチャルな世界では、敵はときに超人的ジャンプをしてヘディングをし、ネットを突き破りそうなシュートを打ってきた。空想で作った敵はどんどん成長していったが、その度に彼は怯(ひる)むまいとした。
「敵なんて本当はいないんですから、馬鹿ですよ」
 小澤は自嘲気味に目を伏せたが、すぐに昂然と胸を張った。

「腰の故障から復活して以来(98年、横浜F・マリノス)、自分は“これで最後になるかもしれない”という覚悟でゴールマウスに立ってきました。パラグアイではレセルバ(リザーブチーム)の練習を、牛がモーモーと啼いている牧草地でやりましたね。ボールは三つ、ネットもない木枠のゴールがあるだけ。ゴールキーパーはセービングで倒れると、体は牛の糞まみれです。でも嫌がるなんてあり得ない。ボールに飛びつく、それしか考えませんでした」
 彼はいつしかプロとして一つの境地に達したのだろう。
「92年頃、鹿島時代にジーコが言っていたんですよ。その日、クロスからのシュート練習だったんですけど、ゴール前は大雨のせいで水溜まりができて、みんなそこを避けるようにしてシュートをしていました。僕はGKをしていたんですが、ジーコが突然『俺に上げろ』と言い出し、いきなり水溜まりに飛び込んだんです。そして、『ここだ、ここにゴールはあるんだ!』と叫んで。今なら、その意味がよく分かりますね」
 プロ契約のない1年を、プロ選手の魂で戦った小澤は、再びゴールマウスに立つことを望んでいる。彼が現役プロサッカー選手を続けられるのか、あるいは違う道を行くのか。それはまだ分からない。しかしトライアウトのゲーム後、彼はゴールポストに感謝の口づけをした。それは戦い終えた彼の作法だった。


トライアウトに挑んだ小澤の記事である。
相変わらず、「絵」になる話と言えよう。
小澤のフットボーラーとしての道のりは決して平坦ではない。
しかしながら、そしてだからこそ、彼のエピソードは胸を打つ。
いずれ小澤もユニフォームを脱ぐであろう。
そうなったところで彼のストーリーを映像化するべきではなかろうか。
これほどの感動の物語を多くに人に知らしめることは必要であると感じておる。
ぜひとも映像プロデューサーの方、ノンフィクションライターの方々には注目して欲しい選手である。

本山、若い選手に劣っていると感じたことはない

2013年12月20日 | Weblog
本山移籍も 鹿島一筋16年も「準備ある」
 鹿島一筋16年のMF本山雅志(34)は19日、移籍の考えがあると明かした。今季24試合出場も、出場時間はわずか663分。来季の戦力構想に入っているが、クラブからは移籍を容認されており「若い選手に劣っていると感じたことはない。正当に評価してくれるクラブがあれば、行く準備はしています」と話した。
 [2013年12月20日7時33分 紙面から]

移籍の考えを明かした本山である。
これには少々驚いた。
確かに出場機会は少なく、まだまだ出来ると感じておる本人にとっては不本意なシーズンであったであろう。
この状況が来季も続くのであれば、移籍にて変化を付けようとするのも理解出来る。
我らとしては鹿島のユニを纏う本山の雄姿をもっと観ていたい。
しかしながら、本山ほどの選手をベンチに座らせておくのはもったいない話である。
プレイで魅せることの出来るJリーガーはそうはいない。
本山がどのような決断をしたとしても許容すべきであろう。
本山の去就に注目である。