Kリーグを足がかりに欧州へ──。
新潮流をうみだす2人の元Jリーガー。
吉崎エイジーニョ = 文
text by “Eijinho”Yoshizaki
新たな日本人プレーヤーの移籍先となりうるだろうか?
先週末、Jリーグより一足先に全日程を終え、浦項スティーラースが劇的な逆転優勝を遂げたKリーグ。近年のアジアチャンピオンズリーグ(以下、ACL)で5大会連続ファイナリストを輩出し、うち3度の優勝を果たした舞台で、日本人選手が新たな潮流を生み出している。
主人公は蔚山の増田誓志(元鹿島)とソウルのエスクデロ・セルヒオ(元浦和)だ。増田はチームがKリーグの最終節のロスタイムで相手にゴールを許し優勝こそ逃したが、首位を走ったチームにあって全38試合中35試合出場4ゴールを記録。「日本人選手が優勝戦線に加わるチームでプレーしているのは歴史的なこと」(現地サッカー専門誌「ベストイレブン」記者)といった高評価を得た。
ソウルのエスクデロは左MFなどで活躍し、34試合出場7ゴール。シーズンのクライマックスは10月26日のACL決勝第1レグだった。5万5000人の観客が集まるホームゲームで超豪華メンバーの広州恒大(中国)に対し先制点を決めた。相手のマルチェロ・リッピをして「彼がアジアナンバーワン」と言わしめたほどだ。
“都落ち”の先入観を払拭した両者の活躍。
日本人プレーヤーが韓国に渡る。
過去、ここには消極的選択といったイメージがつきまとった。日本国内のクラブで自身の望む契約が得られなかった選手の行き場。
'01年の海本幸治郎(G大阪→城南)、'03年の前園真聖(東京V→安養/現ソウル、仁川)、'10年の高原直泰(浦和→水原)、'11年の馬場憂太(東京V→ドイツクラブ→大田)、'12年の島田裕介(徳島→江原)らはいずれも日本での契約が成立しなかったがための移籍だった。'09年の大橋正博(川崎F→江原→水戸→江原)は川崎から契約更新の意思がないことを告げられると自らの強い意志で韓国を選んだ。積極的に決断したいっぽうで、移籍先は下位のクラブだった。
今季の増田、エスクデロの両者の活躍ぶりはそれらのイメージを払拭するに十分なものだ。
変化に飢えていた増田は、JよりKを選んだ。
増田は2012年シーズン終了後の鹿島との契約期間満了を控え、韓国行きを自ら選択した。2012年ACLチャンピオンチームからのオファー自体は、「もし望むなら来てみますか?」という印象だった。しかし自らのある渇望が決断を後押しした。
「変化を求めていたんです。鹿島から契約延長の話もいただいていたけど、その時のオファーの中から一番厳しそうな環境を選んだ。自分自身、大きく変わりたかったので」
蔚山としては決して“なんとなく”というオファーではなかった。2012年のクラブワールドカップ時に、後に増田を獲得する監督のキム・ホゴン(当時)がこんな話をしていた。
「本当はパスをつなぐサッカーがしたい。でも、それができる選手がいないからカウンターをやっているんだ」
196センチの韓国代表FW、キム・シヌクに当てるだけのサッカーから脱皮したい。パスを出せる選手が欲しい。そこに日本人選手のイメージがはまった。自身、延世大時代から慶応大との交流があったこともあり、日本人選手に対する明確なイメージもあった。
DFの裏を狙える日本人MFが求められていた。
2012年開幕前にもJ1の日本代表経験のある若手MFの獲得に動いたが実らず、スペインにいた家長昭博をレンタルで獲得した。
日本人MFが求められるほど、JリーグとKリーグではプレースタイルの違いがあるのか。今季から水原でプレーし、シーズン通算10ゴールを決めた鄭大世がこんな証言をしてくれた。
「意外なほどにDFラインの裏を取れるんですよ。あらっ? と。でもそこにボールがなかなか出てこない傾向がある」
そこを狙うMFがあまりいないから、DFの裏を取れる。そういう話でもある。
蔚山を足がかりにヨーロッパを目指す。
精密なパスを出す役割を求められた増田だったが、シーズン中盤にある転換を迫られた。監督が理想とするショートパスのスタイルでは結果が出ず、従来の長身FWに合わせるスタイルに逆戻りしたのだ。しかしこれも「横や後ろのパスに逃げず、前にボールを動かす考えを自分につける」という意識で乗り切った。前出の現地サッカー専門誌「ベストイレブン」の記者は「中盤の底でパスを散らしつつ、フィジカルでも戦える選手」と評する。そのほか、試合前の食事ですら濃い味付けの韓国料理だという点に戸惑ったりもしたが、すべて変化の決意の前には「小さいこと」に思えた。
変化の先に大きな目標があるからだ。
「ヨーロッパに行きたいんです。行けるのならすぐにでも、という気持ちはあるんですが来年も蔚山に残ることにしました。ACL出場権獲得に自分も貢献できたと思うので、これに出場しようと。韓国でプレーして、個の力で局面を解決する力がついたと思います。組織がベースの日本に対し、ここは個の力で攻める、守りきるといった状況が多々ありますからね」
監督の命令に従わねばプレー機会を失う。
エスクデロは2012年の夏の移籍市場でソウルに移った。'07年に日本国籍を取得した際には大きな注目を浴びたが、度重なる負傷もあり浦和での出場機会が減っていた。そのころ、Jクラブからの誘いもあったが、ソウル行きを選んだ。
「崔龍洙監督のストレートで強い誘いに惹かれて。『とにかくここに来て、プレーしろ』という」
3歳から8歳まで日本で育った後、父の祖国アルゼンチンに帰国。10代前半で再来日を果たした身には、韓国は完全に未知の地。ポジティブ、ネガティブといった印象すらなかった。そんな地で、猛烈なアジア的情緒に触れる。監督と選手との関係性は、アルゼンチンそして日本とすら大きく違うものだった。
「崔龍洙監督の言うことが絶対。プレーでそれに応えない限り、自分のポジションはなくなってしまう。日本やアルゼンチンだと監督と『こういう考えだからこういうプレーを選択した』という風に意見を交換しながらやるんだけれどここでは一切、許されませんからね」
“外国人意識”がエスクデロを成長させた。
'13年AFC年間最優秀監督、崔龍洙の厳しくも温かい指導の下、蘇ったエスクデロ。しかしソウルでも一時期調子を落としたことがあった。そのときもまた、崔龍洙の言葉に刺激を受けた。チームの日本人フィジカルコーチ菅野淳はこう証言する。
「'12年に来たばかりの時はいい状態だった。ところが一時期パフォーマンスが落ちたんです。そこで崔監督から声をかけられた。『おまえは外国人枠でプレーしているんだから、普通のプレーで終わるな』と」
ヨーロッパのような高いプレーレベルにはないのかもしれない。しかし外国人枠での競争が選手としての成長を促す。じつは逆の流れでJリーグに渡ってくる韓国人選手は10年以上も前から口にしていたことだ。エスクデロ自身もこの条件での競争意識の効果を感じているところだ。
「日本にいれば当然、生じ得ない競争意識ですよね。ここに来て改めて感じることなんですけど、浦和レッズはアジア最高級の環境を持つクラブでした。選手が望めばどんな準備だってしてもらえた。そこで試合に出られなくとも、『他のJ1のクラブやJ2からオファーがあるだろう』と考えていたと思う。甘えていたと思うんですよね」
増田と同様に、ソウルでの活躍の先に見据えているものがある。
「日本代表に選ばれたい。そして、ヨーロッパに行きたい。そのために韓国に来ていますから」
Kリーグから、新たな成功事例が生まれつつある。
2013年春、Kリーグは選手の平均年俸(外国人選手を除く)を初めて公式に公開した。全クラブ平均1億1405万9000ウォン(約1100万円)、クラブ別で見るともっとも平均額が高い水原が2億9249万8000ウォン(約2800万円)だ。政治レベルでの日韓関係は最悪だが、プレーヤーにその影響が及ぶことはまずない。現に増田はイケメン選手として女子人気が高く、エスクデロに関しては筆者が韓国語で原稿をアップしたところ、現地の最大ポータルサイトのサッカー面トップページに掲載されるほどの大きな関心を集めた。なんとチームに日本語通訳がおらず、初めて韓国語で本人の深い言葉が紹介されたというのだ!
アジアトップクラスの舞台で揉まれる日本人Kリーガー。彼らもまた、堂々たる海外組だ。日本人選手の新たなルートからの成功事例を生み出そうとしている。その事実だけでも注目に値するものだ。
Kリーグ・蔚山で活躍する誓志の記事である。
全38試合中35試合出場4ゴールを記録、堂々たる成績であろう。
変化を求め、活躍の場を韓国に移した誓志の行動は成功であった。
「ヨーロッパに行きたいんです。行けるのならすぐにでも、という気持ちはあるんですが来年も蔚山に残ることにしました」
と語る誓志にブレはない。
来季の契約延長を済ませ、近い将来の欧州移籍を視野に入れておる。
是非ともワールドワイドで誓志の実力を示して欲しいところ。
これからも活躍の報を期待しておる。