中後選手がジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍
ジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍中の中後雅喜選手が、同クラブに完全移籍することが決まりましたので、お知らせいたします。
■選手名:
中後雅喜(ちゅうご・まさき)
■生まれ:
1982年5月16日、千葉県千葉市出身
■経 歴:カッコ内は加入年
あやめ台FC(1989)─ジェフユナイテッド市原ジュニアユース(1995)─ジェフユナイテッド市原ユース(1998)─駒澤大学(2001)─鹿島アントラーズ(2005)─ジェフユナイテッド市原・千葉(2009)
※2003ユニバーシアード金メダル(決勝イタリア戦で決勝ゴール)
■公式戦成績:
J1リーグ通算 88試合4得点(アントラーズで69試合4得点)
ナビスコカップ通算 20試合0得点(アントラーズで18試合0得点)
天皇杯通算 9試合1得点(アントラーズで8試合1得点)
AFCチャンピオンズリーグ 1試合0得点(すべてアントラーズ)
ゼロックススーパーカップ 1試合0得点(すべてアントラーズ)
※07、08J1リーグ優勝、07年度天皇杯優勝(すべてアントラーズ)
■ポジション
ミッドフィルダー
■サイズ
178センチ、73キロ
<コメント>
アントラーズには本当にたくさんの思い出があります。優勝を経験できたといういい思い出もあれば、なかなか試合に出られなかったという悔しい思い出もあります。今回、完全移籍という形でアントラーズから離れることになりますが、そういう思い出は自分の宝物としていきたいと思います。選手、スタッフ、関係者、何よりサポーターの皆さん、本当にお世話になりました。
JEFの降格が決定した瞬間にJEF残留を表明した中後のことである、完全移籍は既定路線だったと言えよう。
否、今年初めに移籍の意思を表明し、クラブの慰留にも首を縦に振らなかった時から、この結論は見えておった。
優勝を争うチームから残留を祈るチームへの移籍には疑問も残った、しかも開幕時にはポジションがあり、正当なレギュラー争いに勝利さえすれば、ポジションは継続して得られたはずである。
その様な状況下で中後は移籍を望みクラブを去っていった。
そして、JEFを降格に導いたのである。
これもお互いの為であったのであろう。
今となっては、歴史の一部である。
とはいえ、2008年の優勝は中後の力がなければ成し得なかった。
大宮戦のFK二つのアシストは伝説であろう。
また、アウトゥオリ監督が最後に使った2006年後半の中後システムは圧倒的であった。
中後のパスが両SBにビシビシ通り、田代がゴールを決めまくっておった。
このときはこの二人が鹿島を、日本を背負って立つと思ったものある。
彼は偉大なる貢献者の一人である。
しかしながら、ここから同じ道を歩くことは無いと思われる。
が、一時的にも我等と同じ方向を向いていたことを中後には誇りに思って欲しい。
我等も茶飲み話には話題とさせてもらうことも有るかと思う。
この先も元気に生きて欲しい。
ジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍中の中後雅喜選手が、同クラブに完全移籍することが決まりましたので、お知らせいたします。
■選手名:
中後雅喜(ちゅうご・まさき)
■生まれ:
1982年5月16日、千葉県千葉市出身
■経 歴:カッコ内は加入年
あやめ台FC(1989)─ジェフユナイテッド市原ジュニアユース(1995)─ジェフユナイテッド市原ユース(1998)─駒澤大学(2001)─鹿島アントラーズ(2005)─ジェフユナイテッド市原・千葉(2009)
※2003ユニバーシアード金メダル(決勝イタリア戦で決勝ゴール)
■公式戦成績:
J1リーグ通算 88試合4得点(アントラーズで69試合4得点)
ナビスコカップ通算 20試合0得点(アントラーズで18試合0得点)
天皇杯通算 9試合1得点(アントラーズで8試合1得点)
AFCチャンピオンズリーグ 1試合0得点(すべてアントラーズ)
ゼロックススーパーカップ 1試合0得点(すべてアントラーズ)
※07、08J1リーグ優勝、07年度天皇杯優勝(すべてアントラーズ)
■ポジション
ミッドフィルダー
■サイズ
178センチ、73キロ
<コメント>
アントラーズには本当にたくさんの思い出があります。優勝を経験できたといういい思い出もあれば、なかなか試合に出られなかったという悔しい思い出もあります。今回、完全移籍という形でアントラーズから離れることになりますが、そういう思い出は自分の宝物としていきたいと思います。選手、スタッフ、関係者、何よりサポーターの皆さん、本当にお世話になりました。
JEFの降格が決定した瞬間にJEF残留を表明した中後のことである、完全移籍は既定路線だったと言えよう。
否、今年初めに移籍の意思を表明し、クラブの慰留にも首を縦に振らなかった時から、この結論は見えておった。
優勝を争うチームから残留を祈るチームへの移籍には疑問も残った、しかも開幕時にはポジションがあり、正当なレギュラー争いに勝利さえすれば、ポジションは継続して得られたはずである。
その様な状況下で中後は移籍を望みクラブを去っていった。
そして、JEFを降格に導いたのである。
これもお互いの為であったのであろう。
今となっては、歴史の一部である。
とはいえ、2008年の優勝は中後の力がなければ成し得なかった。
大宮戦のFK二つのアシストは伝説であろう。
また、アウトゥオリ監督が最後に使った2006年後半の中後システムは圧倒的であった。
中後のパスが両SBにビシビシ通り、田代がゴールを決めまくっておった。
このときはこの二人が鹿島を、日本を背負って立つと思ったものある。
彼は偉大なる貢献者の一人である。
しかしながら、ここから同じ道を歩くことは無いと思われる。
が、一時的にも我等と同じ方向を向いていたことを中後には誇りに思って欲しい。
我等も茶飲み話には話題とさせてもらうことも有るかと思う。
この先も元気に生きて欲しい。