鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

さらば、中後

2009年12月23日 | Weblog
中後選手がジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍
ジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍中の中後雅喜選手が、同クラブに完全移籍することが決まりましたので、お知らせいたします。

■選手名:
中後雅喜(ちゅうご・まさき)
■生まれ:
1982年5月16日、千葉県千葉市出身
■経 歴:カッコ内は加入年
あやめ台FC(1989)─ジェフユナイテッド市原ジュニアユース(1995)─ジェフユナイテッド市原ユース(1998)─駒澤大学(2001)─鹿島アントラーズ(2005)─ジェフユナイテッド市原・千葉(2009)
※2003ユニバーシアード金メダル(決勝イタリア戦で決勝ゴール)
■公式戦成績:
J1リーグ通算 88試合4得点(アントラーズで69試合4得点)
ナビスコカップ通算 20試合0得点(アントラーズで18試合0得点)
天皇杯通算 9試合1得点(アントラーズで8試合1得点)
AFCチャンピオンズリーグ 1試合0得点(すべてアントラーズ)
ゼロックススーパーカップ 1試合0得点(すべてアントラーズ)
※07、08J1リーグ優勝、07年度天皇杯優勝(すべてアントラーズ)
■ポジション
ミッドフィルダー
■サイズ
178センチ、73キロ
<コメント>

アントラーズには本当にたくさんの思い出があります。優勝を経験できたといういい思い出もあれば、なかなか試合に出られなかったという悔しい思い出もあります。今回、完全移籍という形でアントラーズから離れることになりますが、そういう思い出は自分の宝物としていきたいと思います。選手、スタッフ、関係者、何よりサポーターの皆さん、本当にお世話になりました。

JEFの降格が決定した瞬間にJEF残留を表明した中後のことである、完全移籍は既定路線だったと言えよう。
否、今年初めに移籍の意思を表明し、クラブの慰留にも首を縦に振らなかった時から、この結論は見えておった。
優勝を争うチームから残留を祈るチームへの移籍には疑問も残った、しかも開幕時にはポジションがあり、正当なレギュラー争いに勝利さえすれば、ポジションは継続して得られたはずである。
その様な状況下で中後は移籍を望みクラブを去っていった。
そして、JEFを降格に導いたのである。
これもお互いの為であったのであろう。
今となっては、歴史の一部である。
とはいえ、2008年の優勝は中後の力がなければ成し得なかった。
大宮戦のFK二つのアシストは伝説であろう。
また、アウトゥオリ監督が最後に使った2006年後半の中後システムは圧倒的であった。
中後のパスが両SBにビシビシ通り、田代がゴールを決めまくっておった。
このときはこの二人が鹿島を、日本を背負って立つと思ったものある。
彼は偉大なる貢献者の一人である。
しかしながら、ここから同じ道を歩くことは無いと思われる。
が、一時的にも我等と同じ方向を向いていたことを中後には誇りに思って欲しい。
我等も茶飲み話には話題とさせてもらうことも有るかと思う。
この先も元気に生きて欲しい。

田代、山形移籍へ

2009年12月23日 | Weblog
鹿島慰留も田代は山形移籍決断
 J1鹿島FW田代有三(27)が、オファーを受けていた山形への移籍を決断したことが22日、分かった。鹿島側は、田代を来季も戦力として考え慰留したが、先発での出場機会を求めていた田代を、翻意させられなかった。期限付きで、山形へ移籍する見込みだ。

 史上初の3連覇に貢献した充実感の陰に、田代は先発がわずか1試合に終わったストレスも感じていた。昨季リーグ戦は27試合に出場したが、今季はFW大迫の加入もあり、リーグ戦の出場は16試合まで激減した。福岡大時代の03年に、特別強化指定選手として大分に所属した経験がある。当時の監督だった、山形小林監督の戦術を理解しているのも決め手の1つだったようだ。

 [2009年12月23日8時56分 紙面から]

田代は移籍を決断したとのこと。
契約を延長し、レンタル移籍で山形へ行く様子である。
優勝の決まった翌日に山形からのオファーが報じられ12月11日には山形の小林監督が獲得に好感触のコメントが報じられた
田代としては苦渋の選択であったであろう。
優勝を争うか、出場機会か、難しい問題であったことは容易に想像出来る。
ここは田代の出した結論を尊重したい。
サッカー選手の寿命は短い。
山形で小さく輝くも悪く無かろう。
逆にここは大迫とよよにはチャンスである。
特にフィジカル・ライティのよよには期待が掛かる。
今季のホーム京都戦の同点弾など重要なゴールを決める男である。
来季は多くの出場機会が期待出来る。
我等の心を熱くさせてくれるであろう。
楽しみである。

FW四人体制

2009年12月23日 | Weblog
鹿島が大迫育成シフト
 鹿島は来季に向け「大迫育成シフト」を敷く。田代有三(27)の移籍が決定的となり、残るFW4人でリーグ、ACLなどの過密日程を戦い抜くことが濃厚。だが、クラブ幹部は「FW4人で戦えば若手の出場機会も増え、実力アップにつながる」と話し、少数精鋭で勝利と育成を追求する方針だ。この日の契約交渉で約300万円アップの年俸1000万円(金額は推定)を提示された大迫勇也(19)は「評価? 良かったと思います」と笑顔で話していた。
 [2009年12月23日8時57分 紙面から]

田代移籍もFWの補強はせず、FW4人体制で挑むとのこと。
2008年も4人で優勝しており、問題は無かろう。
そこで比重の掛かってくるのが大迫である。
今季は先発にも名を連ねたが、リーグ後半はベンチに追いやられたままであった。
来季に賭ける思いも強かろう。
大迫ターンに磨きを掛けるのだ。
更なる飛躍を期待しておる。

大迫、年俸43%アップ

2009年12月23日 | Weblog
鹿島大迫初の契約交渉は「変な感じ」
 鹿島のFW大迫勇也(19)が22日、茨城県鹿嶋市内のクラブハウスでプロ初の契約交渉に臨んだ。約1時間の交渉を終えると、笑顔で「初交渉?そうですね。変な感じでした。でも、堅い感じじゃなかったですよ」と笑顔を浮かべた。来年1月6日のアジア杯予選イエメン戦(サヌア)に臨む日本代表にも招集されており「(これから)鹿児島に帰郷します。少し休んでから体を動かします」と前向きに話していた。
 [2009年12月22日22時10分]

鹿島・大迫ニッコリ!年俸1000万円
2009.12.23 05:00
 19歳の鹿島・新人FW大迫が22日、初の契約更改に臨み、年俸1000万円の大台突破で基本合意した。今年1月の入団時は年俸480万円でスタート。4月のA契約で700万円に上がり、さらに300万超のアップ。初体験の交渉にとまどいながら「評価はしてもらった」とにっこり。21日に発表された来年1月6日のアジア杯予選・イエメン戦でのA代表初招集に「練習から自分を出せれば」と、先発もアピールした。(鹿嶋市)

これぞ大物!?大迫ジャージー姿で交渉の席に
 1月6日のアジア杯予選イエメン戦の日本代表に招集されたJ1鹿島のFW大迫が22日、初めて契約更改交渉に臨み、大物ぶりを披露した。

 ジャージー姿で交渉の席に着いたが、報道陣から大半の選手はスーツ姿で臨んでいることを聞かされ「えっ、スーツ着るんですか」と驚いた表情。クラブ側は服装に関しては「自由」としているが、自主トレを終えたままの姿で交渉に臨んだ大物新人は「スーツを着た方が良かったかな」と最後は反省していた。

[ 2009年12月23日 ]

大迫、笑顔の更改「不思議な雰囲気だった」…鹿島
 日本代表に初選出された鹿島のFW大迫が22日、1回目の契約更改交渉に臨み、来季年俸1000万円(推定)で仮契約を交わした。リーグ戦22試合3得点と1年目から主力に定着。5月、2014年1月末までの長期契約を結び直しており、アップ幅は数百万円となったが、「初めての交渉で不思議な雰囲気だった。評価? 良かった」と笑顔。
(2009年12月23日06時01分 スポーツ報知)

大迫が年俸更改に挑んだとのこと。
契約年数については春に延ばしており、今回は年俸交渉だけである。
そのせいか、気軽にジャージで登場とのスポニチの報。
流石は大物。
また、スポーツ選手らしい。
交渉はジャージでなんの問題もないが、報道陣が集まることを忘れてはならぬ。
大迫はスターなのである。
常に周りの目を気にしなければならないのである。
とはいえ、無頓着でいるのも大物の印と言える。
小さくまとまるよりは、細かいことを気にせず、更に大きくなって欲しい、と願うのである。