穴の空いた大きな岩がある
旗振り山 (滋賀県野洲市)
江戸時代から大正初期までそこで旗を振っていた
Kennyの滋賀から情報発信
(この日記のTOP掲載期間:6月17日から6月23日)
旗竿を支える穴 旗振山山頂の見晴らしのいいてっぺんの岩です
通信手段として使った旗(竿)を支える穴やが、もうちょっと知りたい
滋賀の旗振り通信網は? 野洲の旗振山の前と次の山は?
日本全国に旗振り通信網が敷かれていたとのことだが
そうだったのか!
それほど広くはない山頂(283m)です。 上の左の岩に旗竿を支える穴が見えます
山頂の標識 北尾根縦走路からみた旗振山と田中山
旗振山の位置関係
国道8号線から西へ300m程入ったところから撮影
「旗振り山・相場振り山そして田中山・かぶと山とこの山並には呼び名に諸説
あるようですが、素人の日記ゆえ、取りあえずは旗振山・田中山とさせて頂
きますことをお許しください。Kenny 」
この10年: この日記のきっかけは
自宅近くの三上山やその周辺の山々、それを結ぶ北尾根やその
周辺を歩き回ってきましたが、 歩いていると、古墳の遺跡があり、
窯跡や集落の遺構なども。 その中に、山の頂に上の写真にある
穴の空いた大きな岩があります。
その山の名前は手元の地図では相場振り山とあります。これは
旗を使って米相場を知らす、その旗を振ったところだと聞いては
いました。(このブログでは書物やネットで表現の多い、旗振山を使います)
そこで今日は、旗振りの通信手段のさわりを日記に認めました。
滋賀県内の旗振り通信網は、こんな具合でした
柴田昭彦氏に感謝: 書物も出されています。 殆どを氏の情報を参考
にさせて頂きました
野洲市の旗振山の前と次の山は?
大坂(現・阪)からの相場は滋賀県内では小関山(大津市)で
受け、安養寺山(栗東市)から野洲市の旗振山へ。 更に北
へは岩戸山(八日市市)と先々と伝達されました。
全国の旗振り通信網
まさに網状に張り巡らされています。柴田氏作成の図で見る
と圧巻です。 で、ここに氏が作成の図を貼り付けたいのです
が、許可を頂いていませんし実際に氏のHPを見ていただく
方が解説もありベストです。 そこで以下をご覧ください。
↓
旗振り通信網:柴田昭彦氏のHP
この上をクリックしたください
ご参考: (以下はウィキペディアより抜粋引用)
旗振り通信(はたふりつうしん)
江戸中期から大正前期、大阪堂島の米相場情報は、見通しの良
い山から山へと大型手旗信号・火振り信号によって驚くほど迅速
に、西は九州北部、東は関東地方へと、日本各地へ伝達されてい
た。その旗振り・火振りの相場通信を行った山を旗振り山・相場振
山などと呼ぶ。大正6年頃(90年程前)まで用いられた最速通信シ
ステム「旗振り通信」です。
その伝達速度は、大阪からこの旗振山を経由して荒神山の彦根
まで約10分で伝達していたようです (これはあるブロガーさんの情報)
遠眼鏡・とおめがね(望遠鏡)も併用もされていました。柴田氏の
書物に写真が掲載されています。筒形です。
やがてその役目を終えます
1893年(明治26年)3月に大阪に電話が開通すると次第に電話に
とって代わられ大気汚染によって旗の視認が困難になったことも
あり、1918年(大正7年)に完全に廃れた。
旗振り山(相場振り山)へのアクセス
最短は野洲中学校横から。ウォーキングを兼ねてならば北尾根
縦走路を歩き、一旦林道に降り、田中山への登山道を。または
希望ヶ丘西ゲート近くの「福林寺・妙光寺山磨崖仏」の看板があ
る歩道を田中山登山口へ。
旗振山周辺の地図 クリックで拡大
(上下の地図:野洲市商工会発行より拝借)
備忘録: 手旗信号: 「右に大きく二度振られたから二円安だ」とか今日の旗
は黄色だから三円安だよ」 という具合だったそうです。
旗の大きさ:反物一反分、とか畳二畳分
「上げと下げ 一銭から一円 までの旗の振り方、他人
に見られてもばれないように、実際の数字に足す数を
あらかじめ申し合わせていたとか (これは友人が
教えてくれました)
今日(6月22日)の三上山
22日朝 午後からまた強い雨とか・・、合間を縫って
空気が澄んでいるときは 6月1日
今日もご覧下さいましてありがとうございました
旗振り山について知りたく検索して辿り着きました。
当方、大阪府交野市の旗振り山近くに住んでいます。
堂島から彦根まで10分の伝達とは!
思わず、早い!と声が出てしまうほどの驚きでした。
電話にとってかわるまで、長きにわたり大切な通信だったのですね。
とても良く分かる興味深い記事でした。
ありがとうございます。