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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史探訪:観音寺城を探る

2013-04-28 07:47:43 | 城址

 滋賀県にある観音寺城は!
こんな特徴と、なんとこんな謎もあり
         Kennyの滋賀から情報発信    
           
                 (この日記は5月31日~6月6日)

       今日のブログはかなりマニアックな内容ですが
          記録の為にと思いまして・・・ m(- -)m


         伊庭 功 講師(滋賀県教育委員会、文化財保課)

そうか、他とはちょっと違う城やったんやー
今までも何回か私のこのコーナーで佐々木六角氏の城、
観音寺城
を取り上げましたが 今回講演の副題 「全国最
大の中世山城の謎」
でこの城の新たに解明された新しい
事柄を多く学ぶ事が出来ました。ちょっとマニアックな内容
になりますがここにおさらいも含めて挑戦して見ました。講
師は伊庭 功先生です。(後で紹介)


   主郭(本丸)はこの山の最高部には築かれていない
  
   (当日の映像資料に私が文字を入れました)


        県道2号線、安土城址手前、常楽寺付近より

観音寺城(跡)の特徴:

1.全国有数の規模で日本五大山城の一つです。
  春日山城(新潟県)、月山富田城(島根県)、七尾城
  (石川県)、小谷城(滋賀県)と、その中でも最大規模
  の観音寺城(滋賀県)です。ねー、どうです滋賀だけ
  でも
二つもあるんですよ。

2.石垣を多用した中世山城
  安土城よりも先にあった中世城郭で石垣が多用さ
  れたのはこの観音寺城がほぼ唯一の例

 
      最近発見された珍しい形の大石垣

石垣の下部に段差がありますね。現時点では目的は謎だそうです。


3.城内に家臣を住まわせた。その郭跡は多数発掘済
    (下に掲げた地図の白く四角に見える多数の箇所)

     信長や秀吉も同様、家臣への伝達などを目的に城内
     に住まわせていました。
   *六角氏はそれ以前に実施していたことになります。

 
       観音寺城の縄張り図           同拡大します
                        
   (クリックしてください)

 この地図の棚田のようにたくさん見える白い部分が郭(くるわ:建物
 が有ったところ)です。主な郭には伝承される郭名が入っています。
 赤い線は
城跡散策路です。 

 
 本丸跡調査で建物の跡(でいいかな?)を発掘   同、拡大します

  
その他の郭でも同様の調査結果が報告されています
    
    
(上の二枚の絵図は過去の講座およびの今回講座で配布の
     
資料からの引用です)

4.南麓の城下町石寺に楽市を開かせた

次に観音寺城の謎とは:

1.中世の山城らしくないところがある
  ・最も重要な主郭を山の最高部に築いていない
    (上に掲げたきぬがさ山の写真でも明らかです)

  ・城に入る道(登城道)が少なくとも8ルートはある:
   下の写真 
(これでは敵の侵入を受け易いのとちがう?!)

    

          8登城ルート (講座の映像資料から)

  ・なんとも防御の策が不明確で城郭としての評は低い
   とする見方もあるそうです。
    ・ 他にも幾つか考えらえる視点から紹介がありました

2.一方、山城らしい部分もある
  ・北尾根に長大土塁があります(土塁を見学では歩く)

 
  
       その土塁の上を歩く山城探索の皆さん

 
上の写真の右側は切り立った崖、急坂です。また左側には郭
 が
雛壇のように(下の絵図の白い部分)続いています。

  
         巨大で長い土塁は城の北端(尾根)にあります

  ・城の出入口の工夫:食い違い虎口が幾つか

 
        食い違い虎口の絵図 (同、映像資料)

出っ張った石垣の所(棒で指している箇所)で方向転換しての入城
を強いられる。 侵入者は横槍を受けるなどの危険がある。
 

  
         観音寺城のその場所の写真     

  城内の道は主郭を通過しない
  ・屋敷街にも土塁や石塁で防衛

観音寺城と観音正寺の関係

1.観音正寺(西国三十三所、32番札所)
  観音寺城跡の中央に境内がある。城よりも先に建立
  (平安~鎌倉初)された。その後火災(らしい)などで山麓
  石寺へ移転。そして再び山上に復帰(慶長年間)と伝え
  られている。

2.観音正寺の遺構から:
  観音寺城跡に中世観音正寺の遺構が残る。このお寺も
    弥高寺跡(伊吹山山麓)のような中世の山岳寺院として
  の存在として解明が進んでいる。(他にも遺跡から根拠が紹
   介された)従い両者は 
共存したた可能性が高い。

  
更に寺院を城郭に改変した場所も判明したそうです。
  同様の例として滋賀県では敏満寺遺跡(名神高速、多賀
   SAはその境内に設置)、などを紹介されました。

  遺構についてはまだまだ他にも紹介がありました。

最近の調査からも言及されました

1.雛壇状の郭
  複数の出入り口を持つ屋敷地が互いに連結

2.城内石垣の随所の火災
の形跡
  観音寺騒動、元亀元年、天正十年に火災したと伝わる

3.山麓「観音谷」の古い石垣 (これはKennyには意味が??)


講演の最後にこのように締めくくられました


          講演の映像資料から


講師の伊庭 功先生です
滋賀県教育委員会文化
財保護課の専門の研究員さん
でこの観音寺城跡の発掘調査
にも従事されて来ました。
最近では巨大な、そして謎めいた
形の珍しい石垣を発
見されたと関係者からお聞きしています(上に掲げた写真)。

5年前に安土城を最初に案内して頂いたのが伊庭先生
で、その後も他の多くの専門員の先生方と共々お世話
になっています。

この講座を紹介します
滋賀県では文化財の保護だけではなくて発掘調査など
の情報を広く発信していこうと幾つかの部署がそれぞれ
の視点で講座を開催しています。今回の講座は滋賀県
立安土城考古博館
が開催する「連続講座 シリーズ近
江の城を探る」
の第10回目です。

お願いとお断わり
この講座・感想日記の掲載は伊庭 功講師のお許しを頂
いております。いつものお願いですが、内容には聞き違い、
勘違いなどにより間違いがあるかもしれませんがどうか
素人の日記とご容赦頂きますようお願い致します。

     前回の観音寺城のブログは ここを

  今日もご覧くださいましてありがとうございました

静岡県からお越しくださったお二人
今日(6月7日)滋賀県主催の安土城址、歴史探索で
お会いした
お二人、わざわざ今日の為に静岡県から
お越しくだ
さいました。昨年は神奈川県、福岡県から
同様の目的で滋賀を訪ねてくださった趣味を同じくす
る友人にお会いしています。このように遠くから滋賀
を訪問頂き、県民の一人としてとっても嬉しいです。
今日のお二人はこの観音寺城址をまだ見ておられな
いとの事でしたので この日記を紹介させて頂きました。
ご訪問頂き、ありがとうございます。
 
ようこそ滋賀へ! Kenny  (6月7日、2013)

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