5人の爺さん、自転車を漕いで
夕日が丘城址
(向山城址)
第5回
今は 城址巡り をしています
Kennyの滋賀から情報発信
野洲市とその近郊の城址:六角氏家臣の城がほとんど?
市内のお城(址)はほとんどが六角氏の家臣の城(館)です。というか、
滋賀県、特に江南(近江の南半分)がそうなんです。
今、安土城考古博物館で「近江の城を掘る」と題して企画展を開催中
です(9月18日まで)。そこで紹介されている城址も多くは、(佐々木)
六角氏に纏わるお城です。
5爺が颯爽と自転車を漕いでお城址に向っています
夕日ケ城址
そこで今日訪ねるこの城址は、六角氏が信長の襲撃から甲賀市にあ
る、現在の表現で言う忍者屋敷(郡中惣)への逃走ルートで設けた星
ヶ崎城(と過去の講座で習いました)の支城(枝城)だったのでは、とネット
検索での情報です。
郡中惣: 小領主でその地の領主層。甲賀市には300位の中惣があったそうで、
今も遺構が残っています。
城址が残る向山 野洲市成瀬
ところが・・・ お城という文字がない! 唯一 ↓ (この案内板) 古墳
お城の記述がここに。 城の名称は向山城と
なんとっ! 古墳の窟(空間)を兵糧倉庫に利用したと
しっかりと読まないといかんですな~ そんなことがあったので
すね。 再度眼を凝らすと、中世に古墳を開口して窟を倉庫代わ
りにしたと。
実は歴史にも造詣の深い写真仲間が「へー、古墳を倉庫に・・、
驚きよ」とeメールでコメントをくれた。 私、慌てて自身のブログの
この案内板をじっくりと読んだ次第。てっきり兵糧基地を併せ持つ
支城、との先入観でした。(7月24日 追記)
山頂部にある古墳 その他この山には多くの古墳が
さて、山に登り城址見学です
この看板が登山口です
この写真を撮っている私の背後は田んぼをはさみ新幹線の高架です
登山道はしっかりと整備されています
足元をしっかりと見て慎重に登っていく爺さん
登山口から15分で山頂到着です 土塁かな、これは?
城に関する解説板はありません。 この向山は城としてよりも多くの
土器が出土したことにより渡来人の遺構として、また多くの古墳が残
っており管理当局はそちらに重きをおいているのでしょうかね。
掘切? 空堀?
上下は曲輪(くるわ)跡でしょうか
古墳の解説板に見入る MRYさん
中世城郭について語る? お二人 KAKさん(左) YASさん
信長の攻撃をここから監視してなー・・ 、と語るのか? TAMさん(左)、KAKさん
Kennyは?って この背後におりますよ
お城跡見学という感じはしなかったけれど、間違いなくお城址との事です。
Kennyの知ったかぶりとチャンペラ丸読みの解説ですが、まあまあの満足を
頂いたようで(このお城探訪はKennyの担当です)次の木村館(城)へ、
気分ようペダルを漕いでいきます
木村館(城)は近々UPします
以下ご参考
滋賀県内の40のお城(跡)と二つの遺構が紹介されています。
発掘調査を主とした企画展で土塁だの、掘切だの。 また出土
品からお城のこと、そのお城での生活の様子がよく分かります。
今日もご覧下さいましてありがとうございました
(7月22日、17 UP)