yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

屋島城探訪-1 阿波から讃岐へ屋島を目指しての条

2009-05-24 15:44:10 | 歴史・考古情報《日本》-2 西日本
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 「源平の 合戦の声 春風に」 義経がこの城のあることをしっていたとは思えないが、軍事に長けた者の嗅覚は同じだったのか?眼下に平氏の船を見たとき、既に勝利は決まっていたとか。屋島城の主は眼下に唐・新羅船を見ることはなかったのだが・・。 



(屋島の雄大な光景にただひたすら圧倒されていました。向こうに霞んで見えるのが女島と男島でしょうか)

 阿波国に後ろ髪引かれる思いで讃岐に向かいました。徳島駅からJRの普通電車で1時間半、屋島に向かった。古代南海道が通ったという大坂峠越えのルートを、今もJRが通っている。一駅一駅「まだ阿波か、オッツ、讃岐に入った!」と1人感動しながら屋島を目指しました。普通電車の旅もなかなか粋なもので、ゆったりと風景を楽しみながらの優雅な旅だった。若いカップルが寄り添って、徳島からずっと乗っていた。高松まで行くのだろうか。ゆったりとした時間が流れ、40年前を錯覚させる光景だった。

 屋島駅には高松市教育委員会の山元敏裕さんが出迎えて下さっていた。折角の連休の真っ直中を御案内下さるというのである。何でもこの日のために前日お子さんを実家へお預けになったとか、本当に申し訳ない(お子さんにも)。感謝以外の何物でもない。聞くところによると山元さんは学生時代京都で過ごされたとかで、京都のことはよくご存知だった。だから直ぐに意気投合して気楽な旅となった。

 心配していた観光客による大渋滞(その半分は麓の著名なうどん屋さんに来る客だとか)もなく、無事山頂の駐車場へ。そこから半日、観光客の喧噪を離れて、時には道無き道を雑木をかき分けかき分け、念願の城門に辿り着いた。もちろん現在はシートに覆われているので、本物はみられない(11月頃から発掘調査を再開するのでその頃来るとみられるらしい。是非行こうと思っている。)が、崖際にへばりつくようにして設けられた城門の立地は手に取るように判る。
 説明によると、ほぼ標高270m付近を、南嶺だけなら4キロ、北嶺も入れると7キロ屋島特有の断崖絶壁をうまく取り込みながら一周しているらしい。


(これは東城門の続きに延びる城門の基底部です。)

 これを起点に屋島南嶺をほぼ一周しました。あちこちに水門の跡や城壁の断続的に続く石塁の跡が確認できます。詳細は次回にして、取り急ぎダイジェストをお送り致します。

 屋島城見学をダイジェストでスライドショーにしておこう。まずはこれで全体像をご確認下さい。

 そうそう、もう一つお伝えするのを忘れていました。屋島の麓にあるうどん屋さんでとても美味しい讃岐うどんを頂いた後、直ぐ近くの久本古墳に参りました。高い石棚を持つ円墳で、讃岐ではここだけだそうです。私はこの地こそ山田郡海部郷だと思っています。



(久本古墳は道路に面して開口しています。中に入ると玄室に巨石を用いた高い石棚があります。見事です。調査が不十分なのが残念ですが、屋島とのシチュエーションが抜群です。この間に製塩遺跡が広がっていないのかしら?)

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「石棚を 見上げた隙間に 蝶の舞う」
「讃岐うどん 春風と飲む 汁の音」
 

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