yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

南京・鳳陽・開封報告-7 明中都を歩き、圧倒されるの条

2009-09-29 20:23:46 | 歴史・考古情報《東アジア》-1 中国
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20090919は、

 初めての鳳陽である。日本の研究者仲間に言っても「それどこ?」と大抵不思議な反応が返ってくる。かくいう私もつい最近までよく知らなかった。今回の団長の黒衣であるHさんに以前、一緒に行こう!と誘われたことがあるのだが、その時は都合が合わず行けなかった。ところが今回はそんな噂を聞きつけた私がお願いして連れて行ってもらったものだ。


 


 だがしかし、着くまではどんなところなのかからきし想像も付かなかった。

 鳳陽の第一歩は禁垣(きんえん)の西城門・西安門跡とその外堀跡だった。この禁垣というのが鳳陽独特の言い回しであって、なかなか一般的な禁苑(きんえん)と紛らわしくて混乱してしまう。同行した仲間でさえ度々頭が混乱してしばらくはよく判らないまま遺跡の見学を進めていた。一般的な使い方からするとどうも皇城の城壁をこう言うらしい。禁垣の城壁は文化大革命までは良好に残っていたらしいが、完全に撤去されてしまい、今は道路と化している。禁垣の西側(外側)には大きな堀が南北に掘られているが、西側だけで終わっているという。これもわずか6年ほどで建設の断念が決められた中都の特徴なのであろう。



 
 禁垣外の堀跡



 破壊されてしまった城壁跡(禁垣)の道路

 この後宮城(大内と書く史料もある)の西門である西華門へ向かった。これはとてもよく残っていて、その上に上がることも可能であった。3本の門道もよく遺されており、前面には南北に幅80m、深さ6mという大規模な護城河が設けられている。城壁の高さは10m近くあり基底幅もそれに近い大規模なものである。全て磚で出来ているとの説明もあったが、俄には信じ難い。城壁に登ると城内が一望でき特に宮城の中軸線上に設けられた自然の山を利用して軸線に合わせて積み上げられたという万歳山をよく眺望することができた。風水思想に添って様々な施設が人工的に配置された可能性を実感させた。



 西華門から北に延びる城壁と護城河




 

 西華門



 西華門内から西華門から北に延びる城壁を見る



 向こうの山が万歳山



 西華門上から東に向かって城内に延びる道路を見る



 西華門から北に延びる城壁

 西華門上から南に城壁を歩くことになり、南西隅の角楼から午門付近まで辿った。たった6年で造られたとは思えない程大規模な城壁と護城河を眼下に見ながら秋の涼しい風に吹かれて城壁を進んだ。特に角角に設けられた角楼は、文革前の写真によれば南唐隅の角楼にあったという6層の塔を設けるに相応しい大規模なものであった。




 人間が米粒くらいに見える大きな角楼



 角楼コーナー部の堀の曲がり方



 羊もお散歩



 はるか向こうに午門が・・・

 午門近くまで進んでこの後はいろいろ問題があるらしいので省略。午門を遠目に眺めてもとにかく壮大!!それも650年程前のものがそのまま残っているのだから驚きである。



 午門中央門道



 午門の壮大な規模



 午門の前を現在の農道が真っ直ぐ北に延びている。その農道を200mほど進むと急に道が坂になってくる。これが奉天門跡だという。その頂点に立つと然り!!東西にその高まりが延びているのである。

 再び坂を下って300mほど進むと大きな土台が眼前に迫ってくる。奉天殿跡である。日本で言えば大極殿跡と言うべきところである。雑草が生えていて全景をうまく治めることはできないが、現地を歩くとその広大な基壇の跡を確認することができる。



 奉天殿跡

 さらに北に進むと途中に井戸跡があり、日本で言うところの内裏の中の井戸とでも言うべきものであろうか。井戸から100mほど北に進むとそこが宮城の北門玄武門跡である。両側に8m程の大きな土壇が残っている。今回は歩かなかったが、先の西華門から北に進み北西の角楼から東に折れればここに来るはずである。これも文革で破壊されたのであろうか。玄武門の直ぐ外側(北側)には西華門から続く護城河が雄大にその跡を遺している。とにかくこれだけの遺跡がつい最近までほぼ完全に残っていただけに文革での愚行が悲しくてならない。太平洋戦争の愚行によって全国に遺されていた近世城郭の大半を消失させてしまったのと全く同じである。



 玄武門跡



 北城壁に添った護城河



 龍模様の浮き彫りされた礎石





 東華門跡に立つ文物碑。ここはつい40年程前まで完璧に残っていたという。残念!!



 今はなき東華門を通行する村民

 中都の中枢部を堪能し尽くして午後の調査地に向かった。中都研究なくして宮都研究なしと言えるほど素晴らしい遺跡であった。必ずもう一度戻ってきたいものである。その頃にはいろいろな制約がなくなっていることを願い、世界中の知恵でこの遺跡を調査、保護したいものだと強く思った。



 後に誕生パーテーの会場となる鴨屋さん。

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そして

 オバマ大統領のヒロシマ,ナガサキ訪問を求めよう!!今こそ世界平和の道を!!

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