lizardbrain

だらだらぼちぼち

ぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷ

2007年06月26日 22時58分14秒 | 無駄話

Unknownという変わった名前のヘンテコなヤツが、ヘンテコなコメントを書き込みやがったので、とっとと削除してやった。
ざま~みろ



それはともかく、
ワタクシの鋭い洞察力によると、今年の梅雨は長続きしないはずだった。

ここは、やはり去年のリベンジを果たすべき、と決意して、再び旅立つ計画を立てた。

来月初旬に休暇の手配を完了したとたん、気象庁が、梅雨前線が再び活発に活動を始めるという発表をしやがった。
なるほど、週間天気予報を眺めてみると、来月初旬あたりに傘マークや雲マークが集中している。

ハッキリとという予報ばかりではなく、曇りの予報が多いのだが、例え曇りだとしても降水確率が40%もあると、信州のお山を征服するのには、いかにも心もとない次第である。

そろそろスケジュールを組んで、ホテルの手配をしなければならないと言うのに、ちっとも準備が進まない。
かすかな希望として、今日、明日あたりに、気象庁が梅雨明け宣言してくれないものかと祈っている。
だが、こういうご時勢である。
お役所など、あてにしてはいけない。

今回の信州行きはあきらめるとしても、せっかくの休暇なので、どっかで出かけたくて出かけたくて仕方が無い
これから、日本中の週間予報を調査して、少しでも晴れそうな地域を探してみようかと思う。
いっその事、どっかの屋内野球場でも探してみようか?

ここで、はたと思い出した事がある。
現在陥っているジレンマの、原因となったかもしれない出来事だ。

あれは、カワイイ小学生の頃。
近所で遊んでいたら、田んぼの中に、カエルの卵が産み付けられているのを発見した。
ワタクシは、そのカエルの卵を持ち帰って、翌日、学校へ持っていたのだ。
担任の先生に見せると、卵が孵化するまでしばらく教室で観察する事になった。
要するに、理科の授業の一環で、ワタクシがカエルの卵を持ち込んだからといって、ワタクシの理科の評価が上がる事は無かったが。
やがて卵が孵化して、オタマジャクシが生まれ、見事にカエルの姿に変身するまで、クラスで観察したのだが、その後、成人したカエル達をどうしたのかと言う記憶は無い。
たぶん、皆で田んぼか川に帰してあげたはずだが。

おそらく、あのカエルの卵を産んだお母さんカエルが、子供達をさらっていったワタクシに呪いをかけたのに違いない、、、、、



それにしても、気象庁さえ梅雨明け宣言してくれれば、天気くらいなんとでもなるのに、、、、、




悩める日々

2007年06月21日 08時19分35秒 | 無駄話
特にフクザツな家庭事情があるわけではないが、洗濯物は部屋干しする機会が多い。
というか、部屋干ししなければならない時の方が多い

かれこれ10年ほど前に禁煙に成功して以来、めっきりと臭いに敏感になった。
で、屋外に干した衣服と比べて、部屋干しした衣服からは、なんとなく奇妙な臭いがする事が気になりだした。

「部屋干ししてても臭わな~い♪」ってヤツも試してはみたが、期待したほどの効果は確認できない。

そんなある日、(プライバシーにかかわるので実名は秘するが)タカオカサキと離婚して、つい最近、出家して話題になった某俳優が、離婚後の生活についてTVで話していた。

自分で洗濯しているのだ、という話題になって、
「乾燥洗濯機を使っているんでしょ?」
と聞かれた某俳優は、
「最近は、半分くらい乾燥してくれる乾燥洗濯機が出てるんですよ。すっかり乾燥させてしまうと縮むでしょ?」
と答えていたのに、ヒントを得た。

そうか、すっかり乾燥させてしまわずに、ちょっとだけ乾燥機にかけてから部屋干しすればいいのか
と考えて、干す前に30分だけ乾燥機にかけてみた。

臭いはしなくなったが、ソックスが縮んだような気がする

こういったカテゴリーについては、さほどの探究心がわかないのだ。
お気に入りのミュージシャンのライヴ情報ならば、根こそぎチェックしまくるのだが、、、、、


キース親父の深~いシワも、特殊メイクかも?

2007年06月20日 22時25分04秒 | 映画とかTV

パイレーツ・オブ・カリビアン  ワールド・エンド



エンドロールの後に、まだ映像がありますよ~って、
TVの映画情報だとかで、あれだけあちこちで言ってたのに、それでもさっさと帰ってしまう人の多い事、、、、
もったいないねぇ、、、、

ホントのエンディングシーンで、
なるほど、この映画は、実は、複数の純粋なラヴストーリーだったのか
と気付いてしまった(そこへ行くまでに理解しろって、、、、、笑)

2本目の鑑賞後に危惧したように、巨大遊園地のプロパガンダ活動の一環だけではなかったのだな、決して。
それなら、3本に分けずに1本で済ませられなかったのだろうか?
と言いかけて、1本にまとめられてしまうとキースおやじの出番も無かったのかもしれないと気付いて、口をつぐんでおく事にした。





え~い
このさい、ネタバレなんか怖くあるもんか


解き放たれたカリプソがどんどん巨大化している時に、
「あっ、着衣が破れそう、、、、」
と、ハラハラドキドキソワソワしたというような事は、一切、無い。

まさか、あんなに伸縮性に優れた素材でできているコスチュームとは思いもよらず、、、、、、


ミイラと古代エジプト展

2007年06月18日 00時16分36秒 | 風景光景

3月からやっていたというのに、よりによって神戸市立博物館での最終日に行ってきた。

最終日だから、きっと混むだろうなぁ、、、、、
と予想して、博物館の開館時刻の10時を1分だけ過ぎた時刻に行ったのだが、さすがに最終日。
既に、チケット売り場の列が館外に並んでいた。

 

          


10時1分にして、すでにチケット買いの待ち時間が30分とか40分という立て看板が掲出されている。

この日は梅雨の気配さえ感じない、良く晴れた日で、三宮駅からずっと歩いてきたばかりなので、外で行列して待つのが暑くて仕方が無いのだけど、いくらなんでもこんな所で帰るわけには行かないので、ジ~ッと待ち続ける。
実際の行列時間は、20分ほどで、
チケットカウンターではJAF割引がきいて、¥300安くなった事に感激。
JAF会員証を持っていて良かった、と感謝しながらチケットを買い、館内に入ってから、またもや行列するハメになる。

大英博物館でミイラをCTスキャンにかけて研究したデータを元にした、3Dムービーを見る為に、さらに20分ほど待たされる。

3Dシアターに出てきたミイラは、ネスペルエンネプウという名前のエジプト人(当然)だが、さっきからこの名前を想い出そうとするたんびに、なぜかイムホテップという名前ばかりが浮かんでくる、、、、、
いかん。
いきなり、映画、ハムナプトラの記憶が蘇ってきた

3Dムービーを観終わってからの展示場も、かなりの混雑で。
きちんと列を成して進んでいく大人はまだしも、ガキどもは自分勝手に割り込んだり、泣き喚いたり、、、、、、
何もこんな混む日に子供を連れて来なくてもいいのに、と、子連れの親達にウラミ事一つ、二つ、、、、、、



前夜からの計画では、常設展の方も見ておくつもりだったのだが、喫茶室でサンドイッチとコーヒーの昼食を摂っているうちにグッタリしてきたので、この特別展だけで帰る事にした

3Dムービーの上映会場に向かう通路の壁に、エジプトの遺跡、それも良く目にするピラミッドやスフィンクスではない、神殿遺跡の写真パネルが飾られていた。
現地に行けば、本当にこの写真のような遺跡を目に出来るのならば、是非とも行ってみたいという気になってきた。
経済的な心配はさておき、現地の治安が確保されている事と飲み水の安全が保障されている事が絶対的な条件だが。


予告によると、次回の特別展は、10月3日から12月24日まで失われた文明「インカ・マヤ・アステカ」展


これまた、興味津々のタイトルではないか



なんと不便な院外処方箋

2007年06月16日 12時33分21秒 | 無駄話

よくよく考えるに、この病院へやって来るのは、母親が入院した時以来の事で、およそ8年ぶりに来た事になる。
院外処方箋という言葉を聞いた事は何度もあるが、大病院では、知らない間にこういうシステムになっているとは思いもよらなかった。

総合病院で頭痛の診察を受けた後、会計を終えて、これまでのように病院の薬局窓口で薬をもらうつもりでいたのだが、様子がおかしい。
以前には、薬を受け渡していた薬局の窓口がクローズしている。

もう一度、会計で
「薬はどこで受け取るのか?」
と尋ねると、
「病院の窓口ではお渡ししていません。そちらの院外処方箋相談窓口でお尋ねください。」
と言われた。
院外処方箋相談窓口、、、、、、というのは、元の薬局のカウンターの隅っこにあった。
窓口で、
「お住まいのお近くに、院外処方箋に対応している薬局のご指定はありますか?」
と、聞かれた。
薬局の名前が書き込まれた市内地図を広げられたので、よくわからないまま、とっさに○○薬局の名前を口にすると、
「では、○○薬局にはファックスで連絡しておきますので、この処方箋を持って4日以内にそちらでお受け取りください。」
○○薬局は、ワタクシのウォーキングコースの途中に、つい最近できた薬局なので記憶にあったのだ。

「メンドクサイなぁ、ほんま。なんで病院の薬局窓口で薬を出してもらえんのや?」
と、ブツブツ言いながら病院を出て、駐車場に向かう。
と、駐車場のすぐ外に、院外処方箋というノボリをはためかせている薬局があるではないか
それも1軒だけではない。
駐車場からグルっと見渡してみると、その周囲には、院外処方箋のノボリをはためかせている薬局が、合計して3軒もある。
こんなに病院の近くで薬を受け取れるのならば、ここで受け取るようにしておいた方が良かったのに、、、、
さっきの窓口に戻って、この駐車場の外にある薬局で受け取れるように変更してもらおうか? とも考えてみたが、今さらメンドクサイように思えたので、先ほど指定した家の近所の薬局で受け取ろうとあきらめた。

例のワケのわからないコイズミ改革とやらの成果だろうか、と、なんとなく想像できるが、どういう目的で院外処方箋薬局という制度になってしまったのだろうか?
このシステムは、患者にとって、良くないのではなかろうか

この病院は、元、国立病院だった所で、とにかくダダっ広い敷地の中に建っている。
病院の出口から駐車場に向かう途中、50mほど歩いたあたりにバス乗り場がある。
そのバス停から、駐車場の向こう側で院外処方箋のノボリをはためかせている薬局までは、目測で200~300m離れている。
例え、駐車場の外側の薬局で薬を受け取るにしても、足腰の弱ったお年寄りや怪我人にとって、この距離を歩いて薬を受け取るという作業は辛いものがあるだろうなぁ、と思った。
さらに、バスに乗って帰る人ならば、薬局からもう一度バス停まで歩いて戻らなければならない。
健康な人ならまだしも、これならば、従来通りに病院の薬局窓口で受け取った方がウンと楽で便利なのに、、、、、、

病院から家に戻る途中のなんでもないような場所に、さらに3軒ほどの薬局に院外処方箋のノボリがはためいているのを目にして、便利なのか不便なのかよくわからなくなってきた、、、、、、、

病院の相談窓口で指定した薬局へ行って、処方箋を渡すと、
「お客様は、当薬局のご利用が初めてとなりますね。安全にお薬を服用していただくために、お客様の健康状態について、少しお伺いさせていただいてよろしいでしょうか?」
と、白衣を来た薬剤師らしきオジサンが、紙切れを片手に現れた。
お伺いされた事と言うのは、他に持病があるかとか、アレルギー体質であるかとかいった事で、要するに、病院で問診表に書いた事と同じ事をもう一度聞かれたわけである。

メンドクサイ、メンドクサイ、
そればっかり感じさせてくれる、現在の投薬システムだなぁ、、、、、、

ワタクシの場合は、次回からは、病院の近くの薬局で受け取る事にしようと思っている


頭痛の種

2007年06月15日 22時44分07秒 | 無駄話
1年ほど前にこのサイトを知って以来、
もしかするとワタクシの頭痛は片頭痛なのでは?
という疑惑が日に日に深まっていった。

問診表には「7~8年前から」と書いてはみたものの、実際のところ、いつごろから頭痛が始まったのかは良く覚えていない。
1ヶ月か2ヶ月に1度くらいの間隔で、朝、起きた時から左側頭部あたりがチリチリと痛い時がある。
頭痛が始まると、特に目から受ける刺激が辛くなって、活字はもちろん、TVやPCの画面を見る事が鬱陶しくなってしまい、不快な気分に襲われるのだが、日常生活はなんとかこなす事ができる。
寝込むほどの事ではないが、できる事であれば目を閉じて横になっていたい気分になる。
仕事を休まなければならないほどの痛みでもないが、だからといって頭痛は頭痛。
気分が良いわけがない。
いったん頭痛が始まると、この状態が3日間ほど続く。
そして、エキエセドリンやタイレノールなどの市販の頭痛薬を飲んでみるのだが、その薬はほとんど効かない。
ひたすら治まるのを待つしかなく、ほとんどの場合、3日ほどで治まってしまう。
治まらずにず~っと続く頭痛ならば、もっと早く病院へ行っている。

ワタクシは、以前から花粉症人間なので、この頭痛も花粉症によるものと思い込んでいた。
今時の花粉症は、杉やヒノキだけとは限らない。
イネやセイタカアワダチソウなど、花粉症を引き起こす原因となる植物の花粉が飛ぶ季節は、その種類によって時期が異なるため、言ってみれば年がら年中花粉症の危機にさらされているので、年がら年中、花粉症から来る頭痛に悩まされているのだと思い込んでいた。

それが、片頭痛という病気に悩まされている人が、意外にもたくさんいると言う事が、このサイトに書かれている。
いつ発生するかわからずに、何日かすると治まってしまうという状況が、どうやらワタクシの場合と共通しているようだ。

という事で、おそるおそる、総合病院で脳神経科の診察を受けてみる事にした。

若い担当医に自分の症状を一通り説明してみると、
「MRIで詳しく調べる脳ドックという検査方法がありますが、これは予約制です。どうしますか?」
と尋ねられたので、
「MRI検査が必要な症状なんでしょうか?」
と尋ね返すと
「いいえ、お話から伺う限り、今のところMRIまでは必要無いでしょう。」
とのお答え。

とりあえずCT検査をしてみましょう、との指示でCTスキャンを受けた。

出来上がったCT画像をながめていた担当医から、
「特に、脳梗塞などの異常は見当たらないようですね。」
との判定。
脳の異常とまでの心配はしていなかったのだが、とりあえずホッとした。
ここで、CT画像を見る担当医の表情が、とまどったように一瞬曇ったり、急にワタクシと視線を合わそうとしなくなるというシュチエーションを、少し恐れていたので。

それはそうと、生まれて初めて自分の頭の中をのぞいた感想を。

まず、思っていたよりも自分の脳ミソが小さく見えてしかたが無い。
元々、他の人に比べるとサイズが大き目のワタクシの頭蓋骨なのだが、それにしても、もう少し頭の中身の密度が濃いものだと信じていたので、これにはちょっとばかりガッカリ。
その上、大き目のサイズのワタクシの頭蓋骨の形が歪んでいる、、、、、、
人間の体は、誰しも、完全に左右対称に出来ているとは言えないはずだが、ワタクシの場合、特に非対称の度合いが大きく、明らかに左半分と右半分の形が違う。
これだけ特徴のある頭蓋骨の形状だと、もしも、ある日、どっかで白骨化したワタクシの頭蓋骨が発見される事件が発生したとしても、その形状から、ワタクシの目にはその頭蓋骨が自分の物である事はすぐにわかってしまう。
ただ、残念なのは、その時のワタクシはすでに生存していないわけだが、、、、、

それはともかく、あの日の担当医の言葉を続けると
「ですが、あなたのお話される症状からすると、片頭痛では無いように思います。」
「片頭痛の患者さんが感じる痛み方は、ズキズキというもので、その上、心臓の鼓動にあわせてドックンドックンと脈打つように痛むというふうに訴える方は多いのですが、あなたのようにチリチリという表現の痛み方というのは、あまり聞きません。」

片頭痛であれば、最近、日本でも承認されて投薬できるようになった良く効く痛み止めがあるそうだし、頻繁に片頭痛が起きるならば、予防薬というのもあるそうで、片頭痛と診断されれば、予防薬までは必要無くても、偏頭痛用の痛み止めを処方してもらえるつもりで受診したのだが、、、、、、、

他の人がズキズキあるいはドックンドックンと感じる頭の痛みと、ワタクシがチリチリと感じる痛み方とは、違うものなのだろうか?
良くわからない。
ワタクシには、自分の頭痛がズキズキドックンドックンとまでひどい痛み方とは感じられない。
ちょっとした表現方法の違いではないかと思うのだが、、、、、、、、
医学的に見た頭痛の原因が全て判明しているとも考えられないので、別の種類の頭痛なのかも知れない。


結局、片頭痛ではないと診断されたようで、片頭痛用ではない一般的な頭痛薬を処方されたようだ。
処方されたのは、ロキソニンという頭痛薬で、エキセドリンやタイレノールなど、これまでに飲んでも効かなかった市販薬とは成分が違うので、効果はあるかも知れないが。

結局、ワタクシの頭痛の原因は、判然としなかったわけだが、
いつもの頭痛がこの次に発生した時に、今回処方された痛み止めを飲んで治まってくれれば良い。
だが、この痛み止め薬で治まらないとしたらば、もう一度、片頭痛ではないか? と、担当医に迫った方がいいのだろうか?

頭痛が始まって、何が一番辛いのかというと、モニター画面を見続ける事が出来ないために、PCを触れない事だ。
そうなると、ネットを泳げないので退屈でしかたが無い。

とにかく、もう少し様子見の必要があるとの結論が出たようである





ナスカ展 ついに関西へ

2007年06月13日 14時20分31秒 | 無駄話

去年、ナスカの地上絵をPCの壁紙に使いたくなって、ググっていると、ナスカ展なる物がヒットした。
おっ
と思ってよくよく見ると、ちょっとばかり遠方の博物館の告知だったので、ガッカリ

なんせ、昨日の事どころか、今日の昼食のメニューさえ思い出せなくなりつつあるワタクシ、、、、、、、
そんな事はスッカリ忘れていたのだが、昨日、深夜映画を留守録したビデオを観ていると、途中のCMに、再びナスカ展という文字が躍っているではないか
しかも、会場は、京都文化博物館


よしよし、京都ならば日帰りも可能。
期間は、8月4日~9月24日。
夏休み中を避けて、9月になってから行こうかな?



渡辺貞夫クインテット2007

2007年06月12日 22時01分16秒 | 音楽

渡辺貞夫クインテット 5月30日 県民文化会館小ホール


渡辺貞夫 A.sax,Flute
小野塚晃 Piano
納浩一 Bass
石川雅春 Ds
ンジャセ・ニャン Per


陽水ライヴから3日後。
まだ、興奮冷めやらないというのに、
去年に続いて、渡辺貞夫がやってきた。

主催の和歌山放送ラジオが、当日予約というイレギュラーなチケット販売方法を取ったために、開場前に一度ホールのチケットカウンターで座席指定券に引き換えなければならなかった。
一人一人が前売りチケットを見せて、だいたいの希望座席位置(通路の前だとか通路より後ろだとか)を伝えると、座席表片手に本人に確認の上、座席番号をプリントしたシールをチケットに1枚ずつ貼っていく、、、、、、
という、何と手間のかかる交換方法であろうか?
座席指定券引き換え開始時刻の前、少し早めに引き換えの列に並んだ事が大正解を呼ぶ

いったいどういう定義で、良い席と呼ぶのかについては、人それぞれの思い入れやこだわりがあるだろう。
何が何でも一番前の席ばかりにこだわる人もいるし、端っこだろうが最後列だろうがこだわらない人もいる。
ワタクシ自身としては、最前列の席よりも、ある程度ステージ全体を見渡す事ができる、前から5~6列目の真ん中あたりがベストポジションだと思っているのだが、めったな事で希望する座席に座れる機会を得る事などできない。
ただ、今回の同行者夫婦の奥方の主張は、常々、
何が何でも最前列
一本槍なので、小ホールとはいえ、後方とか端っこはできるだけ避けたい所だった。

希望はさておき、結果として、去年よりも良い席で鑑賞できたのでメデタシメデタシ、、、、、、

今年のクインテットのメンバーは、去年のメンバーのベースが入れ替わっただけで、相変わらずナベサダのサックスもフルートも若々しいプレイを聴かせてくれたし、パーッカッションのンジャセ・ニャンのリズムにも、ただただ酔いしれた一夜だった

近年、陽水が、各地のブルーノートに出演している事を鑑みるに、ナベサダと陽水のコラボレーションが実現しないものだろうか?
陽水のオリジナルにナベサダが参加するのも良いが、陽水が唄うスタンダード曲で共演するというのはどうだろうか?


どなたか、こんなサプライズを実現してもらえないだろうか、、、、、、




I氏にまつわるエトセトラ

2007年06月11日 22時07分35秒 | 音楽

降って沸いたように始まった陽水シリーズの締めくくり(まだやるんかい? 笑)として、ワタクシの秘蔵(既に広く知られている可能性もあるが)と信じてやまない、陽水エピソードというか、小ネタ集をば。
信じるかどうかはアナタ次第



その1 定期預金移動事件
アルバム『氷の世界』に収録された『白い一日』は、小椋桂の歌詞に陽水がメロディーを付けた曲で、小椋桂も自身のアルバム『残された憧憬-落書-』に収録している。
今でこそ音楽活動に専念しているが、当時の小椋桂といえば、エリート銀行員とシンガーソングライターの2足の草鞋を履き、「日本のニルソン」とまで形容された人物であった。
陽水の『氷の世界』が大ヒットして、それをきっかけに、既発の『センチメンタル』『断絶』も連鎖的に大ヒットした直後の話。
ある日、『白い一日』を共作した縁からか、小椋桂から陽水に電話があった。
小椋桂からの用件というのは、
「たくさん入ったであろう印税収入を、陽水君はどうして保管しているのか?」
という内容で、
話を続けるうちに、小椋桂の依頼というか説得により、既に別の銀行に預けていた印税収入を、小椋桂が勤める第一勧銀の定期預金にゴッソリと預け替えたという噂があった。
*この情報の信頼度=B(70年代の音楽雑誌で、小椋桂について研究した記事にこの事が触れられていた。その記事の著者は、富沢一誠だったと思うが確信は無い。)



その2 歌詞ちがいバージョン
ポリドールからのセカンドアルバム『センチメンタル』に収録された『あどけない君のしぐさ』。
この曲に、ホンの一部だけだが歌詞が違う別バージョンが存在した。
今のように積極的にTVに出ていなかった(というか、売れていなかったのでTVに出してもらえなかったのが真相らしい)昔の陽水だったが、ラジオのフォーク番にはよく出ていた。
ある日、ワタクシがNHKラジオ(AM)を聴いている時、ギター弾き語りで、陽水が唄っていた。
唄っていたのは、『あどけない君のしぐさ』と、ハーモニカでイントロを吹いた『夢の中へ』の2曲だった。
時期としては、アルバム『氷の世界』をリースする以前のはず。
その時にラジオで唄っていた『あどけない君のしぐさ』は、アルバムバージョンとは少し歌詞が違っていた。

違っていたのは2コーラス目の歌詞で、
僕のセーターはとても大きくて
の部分を
僕のセーターは厚い生地なので
と、唄っていた。
違っていたのは、この部分だけで、前後の歌詞はアルバムバージョンと同じだった。
果たして、アルバム収録後に歌詞を変更したのか?
それとも、最初から一部分別の歌詞のバージョンがあったのか?
それとも、それとも、陽水が、単にラジオ収録中に唄い間違えたのか?
その真相は不明だが。
今、現在、唄っているバージョン(めったに唄わないかも知れないが)では、どうなっているのだろうか?
どなたか、最近のバージョンを聴いた事がある方がおられたらば、是非ともご覧の宛先までご連絡いただきたい。
*この情報の信頼度=A(ワタクシ自身が、この耳で聴いたから)

ところで、この『あどけない君のしぐさ』という曲の持ち味は、カポ無しEmの陽水と、5カポBmの安田裕美の2人のアコギのアルペジオのアンサンブルの美しさだが、
一番のキモは、最初に出てくる、陽水による1弦開放のE音に尽きると推察される。



その3 前座時代
昔、CDが登場する以前のレコード全盛の頃は、アルバムは直径30センチで1分間に33と3分の1回転で再生するLPレコード、シングルは、それより一回り小さい直径17センチで1分間に45回転で再生するEPレコードという棲み分けがあった。
LPレコードとEPレコードの中間的な存在として、小さいサイズのEPレコードをLP同様に33回転(分)で再生する仕様のシングルLPレコードというのがあった。
シングルLPは、通常のEPレコードのシングル盤に比べて、録音時間が長く取れるので、今でいう、マキシシングルといった位置付けになるのだろう。
中学生の頃、同級生が、『モップス』のシングルLPを持っていた。
その収録曲が、モップスの持ち歌である『たどりついたらいつも雨降り』、『晴れ時々にわか雨』、『のんびり行こうよ』、そして何故か陽水の『傘がない』の4曲だった。

それからうんと月日がたったある日、ワタクシが徹子の部屋を見ていると、モップスのヴォーカリスト鈴木ヒロミツがゲスト出演していた
(あれは、何年前だったろうか? と思ってググってみると、97年6月19日の放送だという事がアッサリとわかってしまった。いったい、なんという、便利な時代になったものだろうか、、、、、、、これではうっかりとTVにも出る事が出来ないではないか
その中で、何故か陽水の事が話題になっていて。
(いったい、どうしてそんな名前にしたのかは不明だが)アンドレ・カンドレという名前でデビューしたが、全く売れずに、その後、本名で再び音楽活動を始めた陽水には、モップスの前座をつとめていた時期があったのだという。
陽水が、モップスのコンサートのオープニングで何曲か弾き語りで唄っている内に、モップス目当てのファンからもジワジワと人気を集めるようになったらしい。
特に女性ファンに、陽水の詞が受け入れられるようになり、メインのモップスに迫る勢いで人気が上がっていったので、やがて、前座の陽水のバックでもモップスが演奏するようになり、その後のポリドールからの再デビューにつながったのだという。

陽水がモップスの前座をしていたという話は、この時の徹子の部屋を見るまでは全く知らなかった。
だが、そういえば、モップスと陽水の間のただならぬ関係が浮上してくる。
モップスのギタリスト星勝が、陽水の初期のアルバムのアレンジを引き受けていたのはもちろん、有名な話だし、
前述した、モップスのシングルLPレコードに陽水の『傘がない』が収録されていた事も、何やら関連性がありそうだ。
友人のシングルLPレコードに収録されていたモップス盤の『傘がない』は、少々味付けが違っていたが、基本的には陽水盤と同パターンのアレンジで、ドスの利いた鈴木ヒロミツのリードヴォーカルに、サビのパートで陽水が3度上のハーモニーを付けていた。

モップス盤の『傘がない』がCD化されているかどうかを調べてみたら、
モップス/BEST
モップス 2001 Millennium+1 BEST
これらのアルバムに収録されていて現在でも入手可能なようだが、果たして陽水がコーラスを付けているバージョンなのかどうかは不明である。

さらにこの時の徹子の部屋の中で、鈴木ヒロミツが話していた事として、
ユーミンこと荒井由美がデビューするずっと前、まだ学生だったユーミンが、モップスのファン、とりわけ星勝のギターのファンだったそうで、
しょっちゅうモップスのコンサートの楽屋に出入りして、盛んに自分のオリジナル曲のデモテープを持ち込んでいたのだそうだ。

その話の流れの中で、鈴木ヒロミツは、
「陽水とユーミンという、後に、大変な成功を収める事になる2人のミュージシャンを、彼らが売れる前から知っていたわけで、もしも2人とも自分達モップスで売り出していたとしたら、自分達がどれだけ潤った事か、、、、、?」
と、冗談めかして言っていた。
ワタクシには、その言葉は
「俺達は、陽水とユーミンという大人気者のシンガーを昔っから知ってるんだぜ
という、自慢話にしか聞こえなかったが、、、、、、、、
*この情報の信頼度=A’(自慢話に聞こえた分だけ、減点対象となった)



その4 帰れない二人
日本発のミリオンセラーとなったアルバム、『氷の世界』。
このアルバムのA面に針と落とすと、『あかずの踏切り』、『はじまり』、『帰れない二人』の3曲が、切れ目無く立て続けに演奏されて、それだけでブッ飛ばされてしまう。
それまでの『断絶』『センチメンタル』の2枚のアルバムと同様に、星勝のアレンジが施されているが、懲りすぎて重苦しい感のあった前2作と比べると、透明感のあるスッキリとしたアレンジが心地良い。

この、3曲目の『帰れない二人』は、作詞、作曲とも、陽水と忌野清志郎の共作で、どちらかのアパートで、二人してああだこうだと言いながら一緒に作った曲だという。
当初、陽水は、この曲をシングルカットすべきと主張して止まなかったほどの自信作だったようだ。
だが、プロデューサー側の判断で、『心もよう』がシングルカットされて、その後の大ブレイクに繋がる。
何はともあれ、アルバムが大いに売れた事により、『帰れない二人』の共作者である忌野清志郎にも、思ってもいなかった額の収入が入り、当時はあまり売れていなかった忌野清志郎自身やRCサクセションなど、その周辺の生活に役立つ事になったという。
*この情報の信頼度=A (この情報の一部は、AERA別冊による)

このあたりで、陽水シリーズはネタ切れ、、、、


最後に、随分と参考にさせていただいたサイト、今日も井上陽水の管理人氏にごあいさつをしなければ
(この人の情報源は、いったいどこにあるのだろう?)










想い出のあとさき

2007年06月08日 21時41分03秒 | 音楽

陽水ライヴを振り返っているうちに、古い話を想い出してしまった



ワタクシが中学生の時、週に2時間程度、技術家庭科という科目を履修した。

今ではどうやっているのかは知らないが、当時は、男女別々の教室に別れて、男子は製図やら木工やら金属加工やら電気などを習い、女子は栄養学やら調理やら裁縫などを習っていたように思う。
家庭科担当の教師が、男子からも恐れられていたとても厳しいオバサン先生だったため、女子の家庭科の授業をのぞいた事がない。
だから、正確には、家庭科の授業で何をやっていたのかはわからないが。

男子の技術科の木工の実習では、とてもではないが大人が座れるとは思われないようなサイズの折りたたみ椅子や、何を入れればいいのかが全く想像出来ないようなブサイクな棚を作り、金属加工の実習では、ブックエンド(これは、十分実用に耐えた)を自作したりした。

3年生の技術家庭科の実習では、トランジスタラジオを作った。
FMなどは受信できない、AM専用である。
ラジオといっても、中学生の授業で使うようなシロモノなので、安い材料費の、すでに半分くらい出来上がっているキットで、あとは教師の指導に従い、半田付けや配線をチョコチョコっとやれば出来上がるシンプルな物だった。
配線図の読み方や半田付けのコツなどを習った後に、ほんの1時間ほどの作業でラジオの組み立ては完成した。
自分で組み立てあがったラジオから、実際に音が出た時には、クラス全員胸を躍らせたものだ。

その日の昼休みの教室で、ほとんどの男子生徒どもは、作ったばかりのラジオを女子生徒に見せびらかして自慢した。(バカでしょ? 笑)
せいぜい500円程度の材料費しか費やしていない安物のラジオだったし、教室の中の受信状態がイマイチ良くなかったので、ラジオ番組をきれいに受信する事ができない。
手に持ったラジオを教室の窓から外に出してチューニングしてみると、ようやくNHKのAM番組を受信できた。
偶然にも、そのラジオからは、当時リリースされたばかりの『氷の世界』に収録されている『あかずの踏み切り』が流れていたのだ。
iPodはおろか、ウォークマンも、ケータイも無く、ようやくカセットテープレコーダーが普及し始めた頃で、少し裕福な家庭の友人達の間では、ラジオとカセットテープレコーダーが合体した、ラジカセが活躍し始めたばかりの頃だった。

ワタクシが熱心に陽水の曲を聴いていたのは、この『氷の世界』前後の頃で、アルバム名で言うと、『断絶』、『センチメンタル』、『もどり道』、『氷の世界』、『二色の独楽』、そして、フォーライフ移籍後の『招待状のないショー』の頃。
その後、ワタクシにも、日本のフォーク系以外の幅広い音楽を聴いてみたいという欲求が生まれてきたからかどうか、あまり熱心に陽水の歌ばかりを聴いてはいられなくなっていたのだと思う。
それでも、陽水がニューアルバムをリリースしたというようなニュースは折に触れてインプットされてきたので、その後全く陽水と断絶してしまったわけではない。
拓郎熱は希薄だったが、陽水熱は、もう少し濃厚だったと自負できる。



ところが、

そうこうするうちに、

1977年。

我が国では摂取・吸引してはいけない物を摂取・吸引したという容疑で、陽水が逮捕されてしまった。

ウィキによると、この頃、同容疑で、60人にも及ぶ逮捕者が出たのだという。
他に同時期に逮捕された芸能人はというと、内田裕也、ジョー山中、桑名正博、にしきのあきら、内藤やすこ、、、、、、、(確か、研ナオコもいたはずだが、ウィキペディアには記載されていない。)
今ならもっと大騒ぎだっただろうが、当時としても大スキャンダルであった。

既に社会人となり、別の音楽に興味を向けだして熱心な陽水のリスナーではなくなりつつあったワタクシだったが、さすがにこれにはショックを受けた。
ショックを受けたものの、不思議と逮捕された陽水を責め立てる気にはなれなかった。
ワタクシは、陽水自身に対してよりも、この事件を報道した新聞記事に対して憤った。

当時、我が家で購読していた朝日新聞の社会面の見出しには、陽水逮捕をうけて、
「落ちた偶像」という文字が躍っていた。
記事は、
「たくさんの若者達に支持されるシンガーでありながら、何ゆえにかような愚行を犯したのか?」
という論調だったが、
その言葉の端々に、アルバムの大ヒットを連発して莫大な著作権印税を手にした若き成功者に対する、この記事を書いた記者個人の嫉妬心が渦巻いているのが見えたので、ワタクシは大憤慨したのである。
おそらく、かねがね、記者自身よりも年齢の若いシンガーふぜいが、記者自身よりも高収入を得ている事が気に入らなかったのだろう。
そして、その憂さ晴らしの絶好の好機として、逮捕された陽水を責め立てたのだろう。
犯した罪は罪である。
だが、公正中立であるべき大新聞社の社会面に、こういう低俗で個人的な偏見がミエミエの記事を書いた人物を、ワタクシは許せない。
その証拠に、いまだに、陽水逮捕を報じた、「落ちた偶像」という見出しを忘れる事ができない。

つまり、裏を返すと、この事件が起きた当時のワタクシは、まだまだ陽水寄りのポジションにいたのだと、今になって気付いた。


その後も、陽水との距離は付かず離れずといった感じだった。
決して、陽水から、すっかり離れてしまったという訳ではなかった。
新しいアルバムやシングルをリリースするたびに、それなりのニュースになってワタクシの耳に入ってきたし、何よりも、レンタルCDというシステムが定着したのが大きかった。
こうして、決して積極的ではなかったにせよ、陽水が世に送り出すアルバムには、一通り耳を傾けてきた。


先日、初めて陽水のライヴを目の当たりにして、陽水に対してこれまでず~っと持ち続けてきたイメージが、少々覆ってしまった感がある。

常々、シュールでクールな言動を見せている陽水が、まさか、こんなにも楽しいライヴを演じてくれるシンガーだとは予想だにしていなかった。
何よりも、バックで演奏しているミュージシャン達が、お互いに笑顔を交わしながら演奏していた事が象徴的だった


マウスだってキーになって

2007年06月06日 21時14分03秒 | 無駄話

本日は、ワタクシの休日。
先月27日に陽水ライヴ初体験を果たして以来、陽水関連の話題が怒涛のように湧き出してくるので、そろそろこのあたりで一旦シメるべく、とりあえずの完結編の入力作業に没頭していたのが、今日の午後の事。

2時間余りかかって、ようやく予定の80%の原稿が完成したので、一度下書きとして保存しておこうかと手を休めたその時、玄関から来客の声がした。
出てみると、新聞の勧誘の人で、まともにやり取りしていると長々と居座られるような予感がしたので、適当にあしらってお帰りいただいた。

再び、部屋に戻ってPCの前に
先ほどやりかけていた下書き保存作業に取り掛かったが、何を思ったのか、その手順を間違えてしまい、うっかりと違う所をクリックしてしまった、、、、、、
あわてて「戻るボタン」をクリックしてみたものの、すでに after festival、、、、、
いや、後の祭り、、、、、
午後の自由時間を目一杯使い、全力を挙げて入力した原稿が保存される事なく消えてしまった、、、、、

ち、ち、ち、ちくしょう
さっきの新聞勧誘員に、東京ドームの日本シリーズのチケットくらい要求してやりたい








ハーモニカ注意報な夜をまって(4)

2007年06月05日 22時52分29秒 | 音楽

一体、ワタクシは、今までにどうして、陽水のライヴを観戦しようとしなかったのだろうか?
と、事実を知ってしまったからには、悔しくて仕方が無い事があって。
例の今日も井上陽水の過去記事を少し探検していると、2005年5月の銚子では、是非とも飛んで行きたかったと悔やんでも悔やみきれない企画が実現していた。
銚子では、安田裕美(やすだひろみ)の伴奏による全編弾き語りのライヴが行われていたではないか

初期(ポリドール時代)の陽水の楽曲には、ほとんどの曲にアコギでバッキングしていたのが安田裕美。(ウィキペディアによると、山崎ハコの夫君なのだという。知らなかった、、、、、)
陽水が弾くアルペジオにも、もちろんセンスの良さを感じるのだが、安田裕美のギタープレイが初期の陽水世界の白眉である事は間違いない。
陽水のバッキングというよりも、陽水と安田裕美とのデュオといった感のある全編弾き語りライヴ、、、、、、、、、、、
もう一度、できれば関西圏のどっかで企画してもらえないだろうか?
せいぜい、情報収集に努めようと思う。

あこがれ』からスタートしたこの日の銚子のステージの最後に演奏された曲が、(27日には歌ってくれなかったが)『家へおかえり』だったという。
この曲は、アルバム『断絶』に収録されているバージョンのキーはB♭、そして『陽水ライヴもどり道』に収録されているバージョンのキーは、Cで演奏されていたはずで。
銚子では、どちらのキーで演奏されたのだろうか?




それはそうと、5月27日の陽水初上陸ライヴの相対的な感想をまとめてみると、意外だった事がいくつかあって、

特に、ギターに関して意外だったのは、

拓郎とのファーストコンタクトの時にも危惧していたのだが、
TVに出て歌っている時には、あんまりギターの音が聴こえていなかったような記憶があって、
もしかして、陽水が弾くギターの音は、ヴォリュームを絞っているのかも知れないとも考えていたのだが、とんでもない。
ちゃんとPAから出力されていて、アコースティックセットの時だけでなく、バンドセットになってエレキギターを手にした時も、陽水が弾くギターの音が聴こえてきたので、さらに感激した。

オープニングの『東へ西へ』の演奏を聴いて感じた事だが、
過去のライヴアルバム、例えば『陽水ライブもどり道』(ちょっと古すぎるか? 笑)の頃のコードストロークの時には、ギターの6本の弦全部を鳴らす奏法だったが、先日目にした時には、コードストロークの時は、必要な弦だけピッキングして必要な音だけを出していたように感じた。
泉谷しげるのように、常にガチャガチャとかき鳴らす奏法ではない。
(もっとも、泉谷のギターの場合は、あれはパーカッションの一部だという説もある。)
伴奏楽器の音の数が少なければ少ないほど、陽水のヴォーカルの上手さが際立つように思うので、あの歌唱力があれば、いっそアカペラで何曲か唄ってもらいたいくらいだ。

そしてもう一つ、
曲が変わってギターを持ち替える時に、その都度舞台の袖からローディーがギターを持って来て手渡す事はせず、最初からステージ上に使うギターを並べていて、持ち替える時には自ら手に取っていた事もちょっと意外だった。
拓郎や押尾コータローの場合は、持ち替えるたんびにローディーが出てきてギターを手渡していたので、ギターを交換するたびに時間がかかって、聴いている方としてはまだるっこしかった。
もっともこれは、大物ぶっているというわけではなく、ステージ上に複数のギターを並べて置くと、ごちゃごちゃとして動き難いからかも知れない。
陽水の場合、ステージが始まった時から、アコースティックセットの時に椅子に座るその近くと、立ち上がってのバンドセットの時の自分の立ち位置付近に何本かのギターをスタンドに立てていた。
バックのギタリスト、ベーシスト達も同じように自分で持ち誓えていた。

あと、ワタクシの中ではクールなイメージがあった陽水だが、ステージが進むにつれて、エキサイトしてきたのだろう、
曲と曲の間で、マイクに向かって、奇声というか嬌声というか、ローマ字的に表現すると、『uWa~Oh!』とか『Wa~Oh!』いう感じの声をあげていたのも、想像外の姿で。
何よりも、本人が一番ノっている事が十分に伝わって来たのが嬉しかった

ここで、近々、陽水のライヴに初挑戦しようという方がおられたらば、事前の心構えを伝授しておくと、

一連のツアーでは、基本的に休憩無しのブッ通しで進行する事と、
ハーモニカやピックが飛んでくる可能性が大なので、くれぐれも油断しない事。


ハーモニカ注意報な夜をまって(3)

2007年06月03日 22時57分41秒 | 音楽

『今日も井上様子』という、すばらしいサイトにたどり着けたお陰で、もう一つの疑問もすんなり解決した。
ここには、各会場での陽水ライヴレポの末尾に、バックアップミュージシャンの名前も記されているからだ。

キーボード奏者の名前は、「フジマ・ヨシキ」ではなくて、「小島良喜」だった。
「フジマ」と「コジマ」、、、、、、、要するに、ワタクシの聞き間違いだったわけだが、どうして「コジマ」を「フジマ」と聞き間違えたのかについては、心当たりがある。
実は、この日のライヴに出かける直前に、時間を持て余してしまい、ついうっかりと、久々に『藤岡藤巻オフィシャルHP』の扉をクリックしてしまったからだ。
藤岡藤巻の構成メンバーである二人のオジサンの姓に共通する、「藤」という文字が、ワタクシに呪いをかけたのに違いない。
きっと。(藤岡藤巻との馴れ初めについては、こちらを参照されたい。)
どなたか、ワタクシを藤岡藤巻の呪縛から開放していただきたい。

ここでバックミュージシャン達にも触れておくと、
アコースティックセットの1曲目からず~っとバッキングしていたギタリストが、今堀恒雄
ワインレッドの心』でのガットギターの美しい爪弾きを聴くと、この人の技量の高度さがよ~くわかった。

ゆったりとしたお腹の上にギターを乗せるかのようにして弾いていた、ロン毛で年かさのもう一人のギタリスト今剛は、元PANTA&HALパラシュートというバンドのメンバー。
陽水以外の活動でわかりやすい例としては、寺尾聡の『ルビーの指輪』のバックでも演奏していたので、当時のヒットパレード番組を観た方ならば、目にし、あるいは耳にした事があるかも知れない。

ベースの美久月千晴は、売れっ子のスタジオミュージシャン。
なるほど、これまでにも陽水のアルバムに参加してきた。
一度聞けば忘れられないようなインパクトがある変わった名前なので、間違いない。
ストラップを長めに伸ばして、最近のロック系のベーシストがよくやるように、低い位置でベースを弾いている。
こんなに低くベースを構えると、弾きにくいのではないかと思うのだが、そこはプロである、何の心配も無く左手がフィンガーボード上を自在に動いている。
会場のセットリストから欠落していた、『11:36 LOVE TRAIN』では、ベースソロをやっているらしい左手の動きが見られたが、その時の音響が最悪だったために、実際のソロプレイを耳にする事は出来なかったのが悔しい。

ドラムスの山木秀夫は、ジャズ・フュージョン・シーンでも活躍する。
震災前の西宮北口にあったコーナーポケットというジャズ喫茶の壁に、この人のサインがあった事を、何故か記憶している。
ずいぶんとキャリアの長いベテランのはずだが、とてもマッチョで若々しい。


当日の陽水のMCを思い出しながら、後半の曲目を振り返ってみる。

11:36 LOVE TRAIN』の時には、バンドの音に埋もれて一時的に聞き辛くなっていたヴォーカルも、PAオペレーターが音響設定の復旧作業を成功させたのだろう、少し聴き易くなった。

今堀恒雄の美しいガットギターのイントロに導かれた『ワインレッドの心

アルバムでは、どこか明治チョコレートのCMソングに似た雰囲気のアレンジだった『リバーサイドホテル』だが、ちょっと違うバンドアレンジになっていた。
大阪市桜ノ宮に同じ名前のホテルが実在するが、まさか、この曲との関連性はないだろうなぁ?

5月の別れ』は、なじみのない曲で。
このあたりで、ここ最近のワタクシの陽水熱の希薄さが露呈してしまったか、、、、、?

オリジナル盤では、深町純のシンセが活躍していた、『感謝知らずの女
オープニングの『東へ西へ』をはじめとした、あの頃の古い曲をいまだに演奏し続けてくれている事に、あらためて感激。

海へ来なさい』を子供が生まれた時に作ったと言っていたが、その子供が大きくなって職業選択の場面に遭遇した時にアドバイスを求められてとのMC、、、、、?
一体何の事?
あ、そうかそうか、確か陽水の娘(でしょ?)が作詞して話題になった曲があったはず。
それが『長い猫』という曲。
父親譲りのシュールなタイトル。

そして、『氷の世界』。
ここで、またもや事件が発生した。
ハーモニカを手に、おなじみの例のフレーズを吹き始めた陽水。
エンディングでも、ハーモニカの熱演で締めて、演奏が終わったと思ったら、それまで吹いていたハーモニカを客席に投げ込んできた
生涯初めての陽水ライヴに参加したワタクシには、一体何事が起こったのかが瞬時には把握できなかった。
陽水が投げ込んだハーモニカは、ほぼワタクシが座っている方向に向かって飛んでくる、、、、、、
最初の軌道では、ワタクシの頭を超えてもっと後方に到達すると思われたのだが、陽水はナックルボールの達人なのであろう、急激に球速(?)を落としてワタクシの左前方に落下してきた。
結局、ワタクシの前列の男性がナイスキャッチして、両手を挙げて大げさなガッツポーズを取る事になったのだが、前列の客の頭を押さえつけながら精一杯手足を伸ばしてすばやく動けば、ワタクシにもキャッチできない距離ではなかったのだ。
後学によると、どうやら、このハーモニカ投げ込みパフォーマンスは、陽水ライヴの恒例となっているらしい。
しかし、マジで惜しい事をしたもんだ、、、、、、、

あまりにも悔しいので、このパフォーマンスの裏側を推理してみる。

推理その1
決して単価の高い楽器ではないが、お気に入りのハーモニカを、そうやすやすと他人にくれてやるわけがない。
実は、陽水は、2つのハーモニカを持って演奏していたのだ。
吹いていない方はどうでもいい安物のハーモニカで、演奏中にはそれを手のひらの中に隠していたのだ。
そして、曲が終わった瞬間に、それまで吹いていた愛器と隠し持っていた安物のハーモニカをすばやく摩り替えて投げ込んだのだ。
客席に投げ込んだハーモニカは、ハーモニカの形をしているがハーモニカでもなんでもないダミーかも知れない。
ワタクシが落下地点を読み間違えたという事実が、投げ込んだハーモニカがニセモノだった事を科学的に証明している。

推理その2
いやいや、莫大な印税収入を得ている陽水が、そんな小細工をするわけがない。
正真正銘の本物のハーモニカである。

冷静に大人の立場に立って考えるに、推理2が正解だろうとは思われるが、この日だけ推理1の行動に出た可能性を全否定する事は避けたい。
人間、慣れというのは恐ろしいもので、
次回の当地への上陸時には、ハーモニカを投げ込まれても誰も喜ばないかも知れない。
いっその事、ストラトを投げ込んでみてはいかがだろうか?
もしも、ストラトが投げ込まれようものならば、流血をも辞さずにキャッチしてみせるぞ

その後、ほとんど何の説明もないまま『最後のニュース』へ。
ここまで2時間近く、休憩なしでブッ通しのステージ進行を考えると、この曲を聴きながら、
「最後のニュースというからには、これが今夜の最後の曲かも知れない。」
との予想通り、とりあえず、この曲がラストチューン。
曲が終わり、今度は、それまで使っていたピックを客席に投げ込みながら、いったん退場。
さすがに、ピックのようにサイズも質量も小さいシロモノは最前列にまでしか届かない。
どちらかというと、ハーモニカよりもピックの方をゲットしたかった、、、、、

ステージ上のミュージシャンの退場とともに、客席の後方入り口から、黒っぽいTシャツを着たアルバイトらしき若者達がぞろぞろと客席に入ってきた。
黒Tシャツの一団は、ステージ前とステージに続く通路上にポジションを取り、警備体制を敷き始めた。
アンコールの熱狂に備えていたのだろうが、ワタクシに代表されるように、当地の住人は純朴であるので、ハメを外して暴れたりはしない。
ちょっと過剰な警備体制ではないか? との疑問を胸に、アンコールの拍手に参加する

拍手すれどもすれども、なかなか陽水は再登場してこない。
これが女性アーティストならば、お色直しや化粧のチェックなどに時間を費やす事もあるだろうに、この日に登場したミュージシャンは陽水を含めて全て男ばかり。
随分と長く待たされて、ようやく再登場した陽水は、それまでのピンクのシャツから真っ赤っかのTシャツに着替えている。(ボトムまで着替えていたのかどうかの記憶はない)
その真っ赤っかのTシャツを見て驚いたのかどうか、客席のあちこちから一斉に
「ほぉ~~ぅぉお~!」
といったどよめきがあがったのは、どうしてだったのだろう?
陽水だって、真っ赤っかのTシャツを着てみたい時もあるのだ。

アンコールは、詞をパフィーに提供したヒット曲、『アジアの純真 』に続いて『渚にまつわるエトセトラ』。
なるほど、このあたりの曲ならば、幅広い年齢層に知られているはずだ。
渚にまつわるエトセトラ』のサビのパートで、誰かが合いの手のような掛け声を出している。
ステージ上を見回してみるが、掛け声を出しているのは、もちろん陽水ではない。
陽水の他に、ギターもベースもキーボードも、誰も歌っていないのに?
と思ったが、
あっ
いたいた、
ワタクシの視点からはシンバルに顔が隠れてしまっているが、ドラムの山木秀夫の顔の前にもヴォーカルマイクがあり、ドラムを叩きながら何やら合いの手のような掛け声をかけているのを見つけて、ワタクシ一人で大ウケしていた。

が、この2曲でアンコールが終わるとは思ってはいない。
ここまでに消化していない陽水必須アイテムの2曲が、まだ残っているからだ。

との予想通りに、まずは『夢の中へ』で場内を大熱狂に陥れる
高域にレンジが広い曲が多い陽水のオリジナル曲だが、この曲の裏声あたりがワタクシに歌える限界。
だが、負けずに大声で一緒に歌ってしまった。
(おかげで、次の日、喉がヒリヒリと痛かった痛かった、、、、、、、)

前半のアコースティックセットで、リクエストに答えて『傘がない』を弾き語りで歌ったが、もしもこの時のリクエストで『夢の中へ』を要請していたらば、アンコールのメニューを変更してでも、前半で弾き語りしてもらえたのだろうか?

熱狂の後に残る必須アイテムは、当然、『少年時代』でクールダウン。

こうして、休憩無しで2時間半近くに及んだ陽水の初ステージは、ホカホカした熱狂のうちに幕を降ろしたのだが、まだまだ言い足りない事が次から次へとたくさん出てきたので、この陽水ライヴ関連のエントリーはもう少し続く事になる


ハーモニカ注意報な夜をまって(2)

2007年06月01日 22時36分35秒 | 音楽

もたもたとブログ化に手間取っているうちに、早いもので、あれから6日が経ってしまった。
当地への陽水初上陸のステージを目にした何人かの知人達と会う機会があり、あの夜の感想を聞いてみると、
良かった
という感想が圧倒的に多く、
また
あの耳障りな手拍子さえなければ、もっと良かったのになぁ、、、、、
という声も多い。



まあ、気を取り直し、余韻に浸っているところである。
余韻に浸るついでに、ちょっとした回り道をする事になった。
ちょいとばかり、調査してみたい事柄が2点生じたからだ。

まず、



前回も画像をアップしたが、これは、終演後にロビーに出現したセットリスト・ボードである。
だが、ブログ化するために、改めてじっくりと曲名をチェックしてみると、何故か、このセットリストからは1曲が欠落しているのだ。

このボードの9曲目の『飾りじゃないのよ涙は』と、10曲目の『Make Up Shadow』の間に、確か、もう1曲演奏されていたはずなのだ。
飾りじゃないのよ涙は』の次の曲から、それまでにバッキングしていたギターの他に、ドラムとベース、そしてもう一人のギターが合流して、5人編成のバックバンドが出来上がり、ロック編成の演奏に移行して行くという流れだったので、良く覚えている。
バックバンドの音圧が一気に上がったため、(それまでリバーブが利き過ぎの感がありながらも)明瞭に聴こえていた陽水のヴォーカルが、客入り後の音響バランスが崩れてしまったためか、バックの演奏に埋もれてしまって一気に聴き取りにくなったからだ。
だが、それは『Make Up Shadow』ではない。
Make Up Shadow』は、さらにその後に演奏された曲だからだ。

できる事ならば、セットリストから欠落したこの曲名を知りたくなった。

そして、もう一つ調査したくなった事というのは、キーボード奏者の名前。

それまで、なかなかバックバンドのメンバーを紹介してくれなかったのだが、最後の最後、アンコールの段になって、陽水は、ようやくバックバンドのメンバーを紹介してくれた。
その中で、キーボード奏者の事を、
キーボード、フジマ・ヨシキちゃ~ん
と紹介していた。
若い方のギタリストを除いた他のメンバーについては、ワタクシも耳にした事がある名前だったが、「フジマ・ヨシキ」という名のキーボード奏者に心当たりがないのに、顔には、なんとなく見覚えがあるような気がしてしょうがない。
顔だけ知っていて名前を知らない、というのも寝覚めが悪くなりそうなので、そちらも調べてみる事にした。

「井上陽水」「コンサート」をキーワードにしてブログ検索をかけてみた。
あららら、皆さん、大したものである。
既に、今回の一連の陽水ツアーを観戦した方々がエントリーしたサイトが数多見つかった。
が、(どうでもいいような)ワタクシの2つの疑問が決定的に解決されるまでにはいたらない。

そうこうしているうちに、その名も『今日も井上陽水』というサイトに出くわして、大感激とあいなる
なんという事だ
ここには、最近の陽水ツアーの各会場でのセットリストが、見事にずら~っとアップされているではないか
管理人氏のコメントから察するに、どうやら、各地の陽水ツアーにず~っと同行して観戦している方のようにしか考えられない。
このサイトにたどり着いたのはいつも雨降り、、、、、ではなくて、、、、、、
このサイトにたどり着いた5月27日の夜の時点では、ワタクシが観戦した27日の分はまだアップされていなかったが、それ以前のコンサートのリストが列記されている。

しかも、本文末尾からリンクされている、『井上陽水うたのことば』というサイトでは、陽水ソングの歌詞がずらーっと収録されている。
その上、素晴らしい事に、この『井上陽水うたのことば』というサイトは、JASRACの許諾を得ているらしい。

繰り返すが、ここにたどり着いた時点では、ワタクシが観戦した27日の分のセットリストはアップされていなかった。
だが、それ以前の別会場でのセットリストを参考にすれば、27日の終演後の開場に現れたセットリスト・ボードから欠落している1曲を探す事が出来るかもしれない。
何よりも、歌詞まで読めるのだから心強い。
あの夜は、確かに、一時的にバンドの音圧に陽水のヴォーカルが埋没してしまって歌詞が聴き取りにくかったが、曲の冒頭の方に出てきた言葉の一部だけは記憶している。
そのあたりだけは、なんとか聴き取る事が出来たのだ。
聴き取る事が出来た上に今でも憶えているのは、
ベルの音
と、
君の荷物
という2つのセンテンス。
今度は、これらをキーワードにして、井上陽水うたのことばの内部を捜索してみたら、、、、、、

あった、あった
これだ
27日の現場に掲げられたセットリストから欠落していた1曲が、見つかった
それは、『11;36 LOVE TRAIN』という曲だ。
しかも、5月17日の函館でのコンサートで、9曲目の『飾りじゃないのよ涙は』の後、バンド編成で10曲目に『11:36 LOVE TRAIN』を、そして11曲目に『Make-up Shadow』という、27日と同じ流れがある。

従って、5月27日の正確なセットリストは

東へ西へ
かんかん照り
なぜか上海
傘がない
人生が二度あれば
いっそセレナーデ
いつのまにか少女は
海へ来なさい
飾りじゃないのよ涙は
11;36 LOVE TRAIN
Make up Shadow
ワインレッドの心
リバーサイドホテル
5月の別れ
新しいラプソディー
クレイジーラブ
感謝知らずの女
長い猫
氷の世界
最後のニュース

☆アンコール☆
アジアの純真
渚にまつわるエトセトラ
夢の中へ
少年時代

となる。
先ほど確認したところ、『今日も井上陽水』では、ワタクシが観戦した5月27日と、それに続く28日大阪フェスでのセットリストがアップされている。
コメントによると、どうやら『今日も井上陽水』管理人氏は、27日のライヴは観戦していないようだ。
そりゃあそうだ、こんなイナカ町まで同行しては大変だ。
では、このサイトの情報量の多さと情報源は一体どこにあるのだろうか?

まだまだ、この日のライヴレポートは中盤に差し掛かったところで、一向に進む気配が無い、、、、、、

会場のセットリストから欠落した曲名がわかったところで区切りを付けて、キーボード奏者の名前については、続編に続けることにする。
(というか、そちら方の正解も、既に出ているのだが、、、、、)