lizardbrain

だらだらぼちぼち

去年の龍神市民センターライヴ

2009年12月28日 12時54分46秒 | 音楽

          

去年の5月17日、『護摩壇山ヒルクライムサイクリング』イベントの前夜祭として、龍神在住のトランペッター、唐口一之さんをリーダーとするライヴが、これまた龍神市民センターで開催された。



第1部に石田ゆうすけさんの講演があり、第2部に唐口さん登場。

          
          
メンバーは、トランペット唐口一之さん、ピアノが奥さんの唐口美江さん、京都から参加したヴォーカリスト木原鮎子さんの3人。

入場無料ということもあってか、子供連れの人もいて。
第1部の講演の時には、近くにいた見就学児童達がおとなしくしていてくれなくて、
「これじゃあ、せっかくのライヴも台無しだ、、、、」
とあきらめていたのだが、第2部のライヴが始まって、木原さんが唄いだしたとたん、さっきから隣でザワザワガサガサしていた未就学児童の女の子が
「あっ、英語の歌や
と一言発したと思ったら、きちんと椅子にお座りして静かに耳を傾け始めた。
「音楽って、いいもんだ
と思った瞬間だった。









実は、去年5月23日にアップした新緑のコントラストという記事だが、この唐口さんのライヴに向かう途中の龍神の風景を収めたもの。
予定では、それに続いて、この唐口さんライヴをアップするつもりだったのだが、できなくなってしまった。

それは、なぜか?

唐口さんライヴを報告する予定だった、去年5月24日、3年ほど前から売りに出しても買い手のつかなかったアパートから、どういうわけか出火して、ワタクシの家を焼かれてしまったからなのだ、、、、、、、、、
どういうわけか、、、、、、?





3連戦最終日

2009年12月08日 16時13分11秒 | 音楽

11月27日、突如WOWOW様からプレゼントされた服部克久50周年コンサートで、ストリングスオーケストラをバックに唄う山下達郎のシークレットゲストぶりに感涙し、
翌28日、「デジカメ持っててよかった~!』と思わずにはいられないエレック唄の市での終盤の無礼講ぶりに落涙し、
さらに翌29日と、ライヴ観戦3連チャンとなった最終プログラムは、有山じゅんじと上田正樹フューチュアリングくいだおれ太郎ぼちぼちいこかLIVE2009

このために、29日朝、のぞみ号で大阪に戻った。
元々、このぼちぼちいこかライヴは、ずいぶん前からチケ先買いに成功して予定していたもので、27,28日の東京行きは予定外の行動だった。
旅費、交通費、痛い出費をぼやいてみても、アフター・フェスティバル。
後の祭り。

          

サンケイホ-ルブリーゼの入り口で、有ヤン、太郎チャン、キー坊に出迎えられた。
この日の出演メンバーは、有山じゅんじ(ギター&ヴォーカル)、上田正樹(ヴォーカル&ギター)、中西康晴(ピアノ)、正木五郎(ドラムス)。
開演して冒頭で、なぜか、くいだおれのオカミがステージに現れてモタモタと話しだしたし、ライヴ中もステージ上にくいだおれ太郎が座っていたのが、ちょっと目障りだったのだが。
考えてみると、くいだおれ太郎を除いたこの日のメンバーに、ベースの藤井祐とも一人のギターのくんちょうを加えると、上田正樹とサウス・トゥ・サウスの完全再現となるのに、と思わずにはいられない。

しかし、ワタクシにとって、有山師匠と上田正樹の共演をナマで見るのはこれが初体験で、ワクワクした。
有山師匠が、最後までアコギ1本で通したので、つまり、完全アコースティックバージョンを楽しめたので、それはそれでまた意味ある出来事だった。
MCで、キー坊が喋っていたが、その昔、集まった観客がエキサイトして、サンケイホールのオーケストラピットの設備をぶっ壊した事があって、それ以来、「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」はサンケイホール出入り禁止になったのだが、今回は「有山じゅんじと上田正樹」だから出入りOKなのらしい。

この日のワタクシの座席位置は、まことに幸運な事に1階2列目。
2列目といって、、
これが例えば大阪フェスのようにステージの高さがあるホールだと、演奏中ず~っと見上げていなければならなくて首が疲れて仕方が無いのだが、新装なったサンケイホールブリーゼはステージの床の位置もほどよい高さで、さらに、(太郎ちゃんファンには申し訳ないが)目障りなくいだおれ太郎が有山師匠の影になってよく見えない位置にいたので、ラッキーだった。
その上、ドラムスの五郎チャンの至近距離で観察できたのも収穫。
五郎チャンは、ヴォーカルマイクを後ろ向けている時でも、ドラムをたたきながら唄っていたし、『むかでの錦三』でのコーラスの時の表情がすんごい生き生きしていた。



サンタに変装したブリちゃんに見送られながら、サンケイホールを後にする。
ブリちゃにも、いっそ、靴下くらい履かせてあげれば良いのに、、、、、



ヒルトンのツリーにも見送られながら。
こうして、11月終盤に降ってわいたような3泊4日のライヴ3蓮チャンは終了した。
ほどよく、心地よいくたびれ方だった


お祭り騒ぎに付け足して

2009年12月04日 00時21分09秒 | 音楽

九段会館でのエレック唄の市で、泉谷御大に脅されて撮った写真は、当然、各アーティストの現在の姿。

1972年、日比谷野外音楽堂で開催された唄の市のライヴ盤について、エントリーしていたことを、すっかり忘れていた。
当時の彼らのステージ写真を貼り付けているので、こちらを参照して比較していただくと、面白いかも。

それと、ピアニストの中西康晴について言い忘れていたが、先日、11月28日のエレック唄の市では、泉谷御大の伴奏ではなくて加奈崎芳太郎のソロコーナーでのピアノ伴奏としての参加だった。
といっても、泉谷御大との付き合いはず~っとあるようで、ワタクシが九段会館で買った2008年発売のアルバム『すべて時代のせいにして』でも中西康晴がピアノで参加している。





九段会館はお祭り騒ぎで無礼講

2009年12月03日 16時50分46秒 | 音楽

全く予期していなかったことに、11月27日の服部克久50周年コンサートのチケットが当たったために急遽東京行きとなったのだが、このチケットプレゼントの当選者が何人いたのか?

WOWOWサイトで調べてみたら、50組合計100人だったそうだ。
タダで入場したヤツが100人もいたとは、全く持って厚かましい限り。

元々、11月29日は、大阪サンケイホールでのコンサートを観戦する予定で、ずいぶん早くから前売りチケットを入手していたのだが、27日に文京シビックホールに招待されたため、その間に挟まれた28日の予定がポッカリと空白になってしまった。
この空白の11月28日に、今からチケットが手に入る、めぼしい出し物は無いだろうか? と、チケットサイトで検索してみると、あった
1件だけ。
九段会館でのエレック唄の市というコンサートの入場券が、まだ手に入りそうだ。
ただし、2階席。

何で今頃、エレックのイベントがあるのかについての事情は全くわからないが、わかっていたとしても、そのためだけに上京することは無かったはず。
これもなんかの縁かもと思い、滑り込みセーフでチケット購入。

そういやあ、神田川がヒットする前のかぐや姫のライヴアルバムは、この九段会館での実況盤だったはずだ。
ワタクシがまだ純情な中学生の頃、乏しい小遣いで買ったかぐや姫の九段会館ライヴだったが、貧窮のため、売り飛ばしてしまったという悲しい思い出がある。



出演者は、泉谷しげる、加奈崎芳太郎(EX古井戸)、生田敬太郎、それになんと、ケメ(佐藤公彦)。
ゲストにチャー、中西康晴(EX上田正樹とサウス・トゥ・サウス)、漫画家(今はコミック作家と呼ばなければ失礼に当たるのだろうか?)の浦沢直樹、、、、、、
出演者全員の中で浦沢直樹が一番のお金持ちなのは間違いない。
さぞかし高級なギターを手に出てくるのだろう。

どうしてエレック所属アーティストでないチャーがゲストに出るのかについては、なんとなく理解できる。
あの頃、チャーは、エレックのフォーク物だとか他レーベルでも例えばNSPのレコーディングやステージに参加しているからだ。
もちろん、まだ、ギターアイドルに仕立て上げられる前のことで、レコーディングに参加したとしても、チャーの名前がクレジットされることは少なかったはず。

中西康晴は、1975年発売の『ライブ泉谷 王様たちの夜』で、既に泉谷御大の伴奏を担当しているし、この頃上田正樹と泉谷御大の交流もあったようで、確か、泉谷御大の曲を上田正樹がレコーディングしている。

和久井光司バンドというのと、アウトローズっちゅうのは全然知らない。
泉谷御大と加奈崎芳太郎がプロデュースしているらしい。
ポスターから読み取れる事前情報は以上。

土曜日とはいえ、開演時刻が16:00というのが、どうにも気になったので、ご多忙中申し訳ありませんとひたすらペコペコ謝りながらホールの方に終演予定時刻を電話で問い合わせてみると、20:00頃終演の予定との回答があった。
晩メシの都合を考えての行動だったが、はなっから4時間という公演時間を予定しているとは、とんでもない長丁場になることは必至。

九段会館のレストランで遅めの昼飯をたっぷり摂取して、長丁場に備える。


見るからに、九段会館って、ずいぶん歴史のある建物らしい。

                               

ロビーには、懐かしのレコードジャケット達が展示されている。
ずうとるびや村八分、エレックが一部でキワモノ扱いされた証拠品も。
何度も言うが乏しい小遣いの中、レコード店でどのレコードを買おうかとジャケットとにらめっこしたあの頃。
ワタクシは、主に泉谷御大の作品を集めようとしていたが、全部集めることは到底かなわず、、、、、
今なら、クレジットカードで一気に大人買いできるのに、、、、、、、

     
こちらは、当時のアーティスト達の写真。
ロビーで撮った写真は、近くにいた会場スタッフに撮影可能かを確認済み。


前半の第1部だけで、1時間50分くらいかかった。

以下、泉谷御大の動きを中心にしてレポートする。

第2部の終盤、泉谷御大の出番では、
「今日は無礼講だ~、お前らみんな、写真撮れ~」
と、泉谷御大に観客達が脅される中、ホントに撮影していいのかどうかどうしようかとオロオロしているワタクシをよそに、1階席の観客達は遠慮なくケータイやカメラを取り出して撮っている様子が、2階席からはよ~くわかった。

ご丁寧にも客席照明が点灯されたので、ワタクシも遠慮なく、ホール入り口で預けずになぜかバッグの中にあったカメラを取り出す事にする。
泉谷御大は、弾き語ると言うよりも、ドンドン、ボコボコとギターを叩き(笑)語っている。


チャーとか加奈崎芳太郎とか泉谷御大とかケメとか生田敬太郎がどんどん出てくる。
モジャモジャ頭の浦沢直樹もギター持参。



やっと正面を向いたケメの撮影に成功。
ビジュアル面での変化は大きくても、その唄声はかつての姿をほうふつさせる。


泉谷御大に、2階席はどうしたんだ~、立ち上がれ~、とか脅されて立ち上がったものの、2階席で立ち上がると、正直なところおっかない、、、、、


観客席に乱入する泉谷御大。
トシを食っても、まだまだ動きは素早いので、ブレてしまった。

和久井光司という人のバンドが、この日のハウスバンドを勤めた。
体形といい話し方といい、ワタクシの知り合いのカーディーラーの営業マンに似ている。
後列では、黒いTシャツを着たキーボード担当者までもがステージ上からケータイで撮影していた。

泉谷御大の唄を初めてナマ聴きしたのは、2006年1月のNHKホールの木村充揮コンサートだった。
あの時は、広大な大阪NHKホールの1階席のず~っと後ろのほうだったが、2階席とはいえ、今回の九段会館の方が、う~んと近くで観賞できた。
今年は、泉谷御大にとって、つらい年だったと思う。
キヨシローが亡くなって、その上、2枚目のアルバム『春夏秋冬』をプロデュースしてくれた加藤和彦までも天に召されてしまったのだから。

それから、アウトロウズというバンドは、エレックの新人らしい。
大阪出身で、この日はETCで大阪から¥1,000でやってきました~、と挨拶していた。
2~3曲演奏したが、込み入ったアレンジをやらないストレートな4人組で、特にベースのヤツがメッチャ上手い。
「シアワセなら手をたたこう」と連呼する曲、気に入った。

もひとつ、2階席から見ると良~くわかったのだが、1階席に一人だけ飛びぬけてテンションの高い観客がいて、
「あの人の後ろの席でなくて、ホントに良かった。」
と思わずにいられなかった。

          
          
第2部が終わったのは、20:30頃。
終演後のロビー。
やはり、年齢層が高い。





上野へ

2009年12月02日 20時16分51秒 | 風景光景

全く予期していなかったシチュエーションで達郎の唄を聴いた翌日。

天気は良さそう。
とりあえず、上野公園を目指す。


ホテルを出て、通りがかりの高島屋のツリーにご挨拶して、


高所大所から街を見守るキリンさん(ですよねぇ?)にもご挨拶して、


通りすがりの地下街で、何の気なしに年末ジャンボを買う。
この
『何の気なしに』
と言うところがポイントで、
『今日は、あの売り場で買うぞ』
と鼻息を荒げて息せき切って買うよりも、あくまでも
『さほど買う気も無かったけど、ま、ついでに、、、、』
買ったほうが、絶対に当たる。
、、、、、、、、、、、、、、、、、ような気がする。

  

        
で、上野駅に到着。


美術館や博物館や動物園があることは予習していたが、いきなり、黄葉に出くわした
東京へ来て、今年初めて、秋を感じた。
なんか、これだけで、来た甲斐があったような気がして。

あ、そうそう、23年くらい前にアメ横へ来たぞ。
なんだか斬新なカットのトレーナーを買った記憶が。


大道芸(ヘブンアーティストって呼ぶらしい、東京では。都に登録しないと活動できないんじゃなかったかな?そのへんの事情は、いずれ調べてみたい)のお兄さんの妙技に、しばし見とれて。



          

                   
銀杏並木に見とれて歩き回る。


紅一点。

 

          

餃子とか焼きそばとかのたくさんのテントが出店して、なんかイベントをやっている。


上野へ来たのは、このチベット展を見るため。
このチベット展、来年になると大阪へやってくるのだが、せっかくの機会を逃さないように。
「う~ん、やはり、なんか食い足りない。」
と感じながら、展示会場終点のミュージアムショップをのぞいてみると、そこで働いているのはどうやら中国の人ばかりで、チベット民族らしき人はいない。

中国が主張するところのチベット展なのか。

             

         
チベット展入り口から通路を隔てた地点に、こういうメッセージが並ぶ。
決して拡声器を手に大声でがなり立てるわけでもなく、静かに、メッセージを発信している。



上野公園のノラちゃん達はシアワセ者。
えさにあぶれることが無いようで、誰に遠慮することなく丸々と太って、のんびりと暮らしている

          

          
ちなみに、現在、上野動物園にはパンダはいない。
ああ、そうか、そういやあ、そうだった。
それでも、パンダ関連の食べ物や土産物はあふれている。

意外と、パンダは、ワタクシの身近な地点にいたのだった。