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だらだらぼちぼち

押尾コータロー アコースティック・ギター・コンサート (3)

2006年07月28日 23時31分27秒 | 音楽

といったハプニングに遭遇したり、押尾コータローの略歴などをなぞった後、ようやくライヴについてレポートする事にしよう。


          


そう、5月20日、三木市文化会館での押尾コータロー アコースティック・ギター・コンサートに日帰りで出かけたのだ。
今回の一連のライヴツアーの日程では、例えば奈良県だとか、もっとワタクシの家から近い場所でもライヴが行われたのだが、ついついチケットを買いそびれてしまったのだ。

思い起こせば、ちょうどその頃、

信じられないくらいに絶好調だったセリーグ在京球団があった。
その頃は、同一カード3連戦では必ず勝ち越していたので、3連戦を消化するたびに貯金がどんどん増えていき、絶対に今年は楽勝のはずだった、、、、、、、

イヤイヤ、その話は、もういい、
もういい、、、、、、


押尾コータローのライヴについて、
今回は、充分に楽しめた
と、ハッキリ言える。
前回は楽しめなかったいうか、なんとなく妙な違和感を感じていたのだ。

前回と言うのは、2003年12月。
この頃、不謹慎ながら、まだ母親の49日も終えていないというのに、尼崎のアルカイックホールで、初めて押尾コータローのライヴに出かけた。
その時に受けた印象からは、押尾コータローの演奏は、噂以上に素晴らしかった。
押尾コータローが作るオリジナル曲も、カバー曲のアレンジ力、演奏力も、なるほど、とても素晴らしかった。

だが、
「こういうステージングならば、しばらくは彼のライヴには行かなくても良いかな?」
とまで思いこんでしまうほどに大きな妙な違和感だった。
具体的に、一体どういう事に違和感を覚えたのかというと、ホントに細々とした、どうでもいい事だった。
説明してみたところで、果たして、ワタクシ以外の第三者の方に理解してもらえるのだろうか?

その1、曲間のギターチェンジについて感じた事

曲によってギターのチューニングを変えている事と、おそらく、その曲に合った音色のギターをセレクトしているからだろう、押尾コータローは、ほとんどの場合1曲の演奏が終わる毎にギターを替えていた。
1曲の演奏が終わると、ステージの袖から、次に使うギターを持ったスタッフ(ローディーとも呼ぶのだろうか?)がステージ中央の押尾コータローの所へ歩いていって、次の曲で使うギターを手渡し、先ほど使っていたギターを受け取ってからステージの袖に戻って行った。
プロのギタリストにとって命に代えても大事なギターを触れさせるという事は、この時、ステージ上にギターを持って現れるスタッフ氏は、押尾コータローが絶対的な信頼を寄せる人物なのだろうが、黒いパンツに黒いシャツ、上下を黒ずくめの衣装で決めて、ステージ上では黒子として立ち動いていたのだが、どういうわけだかカウボーイがかぶるようなツバの広い帽子もかぶっていた。
服装に合わせてもちろん黒いカウボーイハットだったが、そのツバの部分がやたらと大きく見えた上に、1曲の演奏が終わり、黒子スタッフ氏がギター交換のために現れる時にもステージ上の照明は落とされずに明るいまんまだったため、黒ずくめで黒いカウボーイハットをかぶったスタッフ氏の姿が客席から丸見えとなっていた。
ハッキリ言って、ワタクシにとって、ほぼ1曲の演奏が終わるたびに現れる、このツバの広い帽子をかぶった黒子スタッフ氏が目障りに感じられたのだ。
黒子スタッフ氏の帽子が目ざわりに感じ出すと、1曲の演奏が終わって次の曲が演奏される間にどうにもまだるっこしい物を感じてしまった。
これならば、初めっからその日に使うギターをステージ上に並べておいて、自分で取替えたほうがいいのに。
観客は、チューニングしている間くらい、きっと、じ~っと待っているだろうし、その方が次に演奏する曲が何なのかを予想する楽しみもあるし。

その2、一人メンバー紹介のパフォーマンスについて感じた事

ライヴの後半、盛り上がりを見せる頃、一人メンバー紹介が始まった。
エレキギタリスト押尾コータローベーシスト押尾コータロー津軽三味線弾きの押尾コータロー、はたまたフォークシンガー押尾コータロー、あるいはドラムス押尾コータロー、、、、、、、、。
実際にこのパフォーマンスを見た方は多いと思われるので、詳細な紹介は省くが、初めてこのパフォーマンスを目にした時には、正直
「やめてくれ~!」
と思った。
アリスの曲を唄ってみたり、ディストーションをかけてスモーク・オン・ザ・ウォーターのイントロを弾いてみたり、、、、、、、、
せっかく、押尾コータローのアコースティックギターの演奏を聴きに来たのに、どうしてこんな宴会芸的なパフォーマンスを始めるのだろうか?
と、不機嫌になってしまった。
ところが、押尾コータローがギターを弾きながら客席まで降りてきた事もあって、ワタクシを除いたほとんどの観客達には大ウケで、他の人達は総立ちで、ノリノリで手拍子しながらの大騒ぎとなっていた。
シラ~っとした気分で座っていたのは、ワタクシぐらいだったろう、きっと。

ライヴでのこのパフォーマンスについては、疑問に思った人もやはりいたようで、後日、インタビュー記事で、
「どうして一人メンバー紹介をやるんですか?」
と聞かれて、
「きっと、自分は、関西人だからだと思う。」
と答えていた。
つまり、観客に対するサービス精神という事だろう。
最初から最後までギター1本でのインストゥルメンタル・ライヴという事で、観客を飽きさせないよう、ライヴの流れにアクセントを付けたという事なのだろう。

こうして、2年前、主に2つの原因から感じた妙な違和感だったが、何故か今回は違和感を感じなかった。
曲と曲の間のギターチェンジには、やはり、黒子スタッフ氏(前回と同じ人物かどうかは不明)がステージ袖から現れてギター交換をしていたが、今回は、ギター交換の間は、ステージ照明は暗めに落とされたし、黒子スタッフ氏がカウボーイハットを被っていなかったので、特に気になる事もなかった。
それどころか、いまやお約束の一人メンバー紹介が始まったとたん、周りの観客達と一緒に立ち上がって手拍子してしまうという豹変ぶり、、、、、、、、、

なんたるポリシーの無さか、

と、我ながらあきれはててしまったワタクシであった

例えば演奏が終わった後のポーズなど、演奏中の(時にはキザっぽく映る)アクションにも、2年前の時とは変化が見られたし、この人のステージングは、1日毎に変化し成長しているのだなぁ、と実感した。
その変化の仕方がワタクシには好ましい方向に向かっているのだろうか、今の所は。

実は、このテーマをメインにまとめたかったのだが、
少し前、ぼくてきさんのブログで押尾コータローのライヴにおける手拍子に関するご意見ご感想を読ませていただき、押尾コータローのギターだけを聴きたくてライヴにやって来た人というのは、やはりギター演奏以外の物に惑わされてしまう傾向がある、というか、人それぞれ、どこかにこだわりを持っているものなのだなと思った。

ワタクシの場合、ステージ上で演奏者が場を盛り上げようと、身振り手振りで要求する手拍子には参加するけれど、一部の観客が勝手に始める(それもリズム乱れ気味の 笑)手拍子には参加したくない。
だが、例えば東京ドームでのローリングストーンズの時のように、オープニングから総立ちになってしまうような場合は、参加しなきゃ損だと思うようになった今日この頃、つまり、

大人になってきたのかな?

と、我ながら感慨にふけってしまうのだ



開演40分前、全席指定席だというのにまだ開場していない段階でこれだけ並んでいた。
列の長さは、この画面の5倍くらい。
CD、DVD購入者先着50名様限定で、終演後、サイン会があったようだ。
この日は、帰路は一刻を争う状況だったので、サイン会は早くも断念して、ノンビリと会場風景を撮影中。


押尾コータロー アコースティック・ギター・コンサート (2)

2006年07月26日 22時12分12秒 | 音楽

ライヴの中身に移る前に、押尾コータローのプロフィールその他について触れたくなった。

ワタクシがパソコンを手に入れて、ネットの世界を恐々とのぞき始めたのが2001年の夏頃だった。
当時接続していた回線は、48キロだったか64キロだったか、とにかく今ではとても比べようが無い低速の回線だった。
低速回線なので、特に、画像が多いページの表示の遅さには辟易させられる。
それでも、いかにもアヤシかったりアブナかったりするサイトを横目に、色んなミュージシャンのホームページを探索してみるのが面白かった。

その当時から、既に、押尾コータローの名前はあちこちのサイトに現れていた。
まだ、いわゆるメジャー・デビューをする以前で、インディーズでアルバムを1~2枚作っていたようだったが、この頃すでに『知る人ぞ知るギタリスト』といった存在だったのだろう。
ワタクシが押尾コータローの演奏を耳にしたのは、ゴンチチが登場するNHK-FMの番組が初めてだった。
おそらく、インディーズ盤からのオンエアだろう。
オンエアされたのは、押尾コータローがギター1本で演奏する第三の男のテーマだった。
この有名な映画の、これまた有名なテーマ曲のオリジナル版は、アントン・カラスがチターという弦楽器で独奏している。
こちらをクリックするとチターの画像が現れるので、ご覧いただきたい。
この画像では大きさが良く分からないが、片手に抱えられるくらいのサイズだと思う。
ハープや琴の仲間の楽器のようだが、この見るからに弦がたくさんついたチターという楽器で演奏されたオリジナルバージョンの第三の男のテーマを、たった6本の弦しかないギターで、それも、ほぼ完璧にコピーしているようで、とても驚いてしまった。
変則的なチューニングを使っているらしいという他には、どうやって弾いているのかは、ゴンザレス三上も詳しくは触れなかった。
リットーミュージック社発行の季刊誌、アコースティック・ギター・マガジン24号(2004年夏号)の押尾コータローのスペシャルインタビュー記事の冒頭には、このような略歴が記されている。

14歳でギターを始め、中川イサトに師事。
高校卒業後、東京の音楽専門学校に入学するために上京し、ロックバンドでベーシストとして活動。
7年間続いたこのバンドの解散後は、アコースティックギターに専念し、スタジオミュージシャンやサポートミュージシャンとして活動。
1999年、ソロライヴのために作ったオリジナル曲や、当時レパートリーにしていたカバー曲を集めてレコーディングした自主制作アルバム『押尾コータロー』をリリース。
この自主制作アルバムが、大阪のカリスマDJ、ヒロ寺平の耳にとまり、ラジオでパワー・プッシュされ人気に火がついた。

さらに、この後の経過について、
押尾コータローオフィシャルHPによると、2枚目の自主製作盤を発表後、2002年にメジャーデビュー。
同じ年に、毎年スイスで開催されるモントレー・ジャズ・フェスに出演して脚光を浴び、そのあたりから、さらに人気に加速が付いたようだ。
ジャズ・フェスとは言っても、このモントルー・ジャズ・フェスは、ジャズミュージシャンだけに限定して出演させるわけではない。
メインはジャズだが、ロックでもブルースでも何でも来い、のフェスティバルだ。

そのモントルー・ジャズ・フェスでのライヴのダイジェスト版が、翌年の正月頃、NHKで放映された。
たまたまこれを観たワタクシは、もう一度驚いた。
押尾コータローは、モントルー・ジャズ・フェスのステージ(メインステージではないようだったが)で、立ったまんまでアコースティックギターを弾きながら、自分の演奏するビートに乗って、ステージ上を踊るように移動しながら、HARD RAINという曲を弾いていた。
いや、ワタクシの目には、あれはギターを弾くという行為には映らなかった。
普通、ギターを弾くというのは、左手の指で弦を押さえて右手でつまびく、あるいははじく事だ。
もう少し器用な人は、右手の指でフレットを押さえたり引っかいたりするテクニックがあるある事くらいは既に知っていたが、押尾コータローの場合、右手で弦を直接叩いたり、引っ掻いたり、はたまたそれと同時にギターのボディーをパコパコ、カタカタと殴っりながらパーカッションの役目をさせてみたり、、、、、、
TV画面にアップで映った押尾コータローのギターのボディ塗装は、あちこち傷だらけでボロボロになっていた。
そのボロボロになったギターを見て、思わず、
こらっ! もっとギターを大事にせんかい!と、大きな声で説教したくなった。
高校生の時に¥60,000円で買ったK・YAIRIのギターをひたすら後生大事に磨いているがために、いまだに人前で演奏できる技術を身に付ける事が出来ないこのワタクシにとって、あそこまでボディに傷が付くような弾き方が出来るというというのが全く驚異的なものだった。
ワタクシなど、譜面台の角や何かで、少しでもギターに傷が付いたりしようものならば、明後日あたりにでも人類滅亡の瞬間がやってきそうなスケールの悲嘆にくれて、3週間は立ち直れないというのに。

前述のアコースティック・ギター・マガジンに代表されるギター雑誌、あるいは音楽雑誌では、とにかく押尾コータローのギターテクの解説にこだわりがちだが、
早い話、ここまで人気を博している押尾コータローの魅力は、技術だけではないだろう。
ライヴに行くと、一部で熱狂的でミーハー的なファンの姿も見られるし、かえってギターを弾かない人の方が、冷静に評価しているのかもしれない。
ゆったりしたバラード曲であっても、アップテンポの曲であっても、
美しく
親しみやすく
わかりやすい
と言う事が、演奏を聴いた人達の共感を呼ぶのだろう。

このところ、アコースティック・ギター1本でソロを聴かせるというギタリスト達が注目を集めて活動の場が増えているようだ。
決して、押尾コータローが売れたからでは無く、それ以前から、唄モノではなく、アコースティック・ギターのソロ演奏で勝負している人達はたくさんいた。
他のギタリストのソロギターのアルバムを聴いた事もあるが、違う曲を演奏しても、似通ったテンポの曲だと、どの曲を聴いても同じ曲に聴こえてしまって区別を付けにくい事があった。
ワタクシの感性がはなはだしく鈍い、というのも原因だろうが、押尾コータローの演奏は、その1曲1曲にはっきりした個性と表情を見せてくれるので、『どの曲を聴いても同じ曲に聴こえる』ような事は無い。



さて、
こんな話を、こんな所でバラしていいものだかどうだか、、、、、、、?
幸か不幸か、心配するほどのアクセスがあるブログではないのでバラしてしまおう。

実は、今から考えるととても惜しい事をしたなぁと悔やまれる事がある。

ワタクシとは別の町に住む年上の友人で、マサ君(仮名)という人がいる。
マサ君は、10年以上、いやもっと以前から、お気に入りのミュージシャンを招いては、自分の住む町で1年に1回くらいのペースでライヴを企画してきた人物だ。
マサ君自身のリーダーシップと、良い仲間に恵まれている事もあり、ライヴの企画では赤字を出したりはしないが、決して利益を上げることが目的でやっているわけではない。

ある日、そのマサ君のところに、押尾コータローのマネージメントサイドから、
「そちらでライヴをやらせていただけないでしょうか?」
と、オファーがあったそうだ。
その時に、先方が提示した意外な条件が2つあったという。

その条件とは、
ギャラはいりません
が、そのかわりに
ライヴ会場でCDを売らせて下さい
というものだった。

『ギャラはいらない』といっても、当然、交通費その他の必要経費は発生するわけで、経費以外のミュージシャンの取り分は必要ないという意図だと思う。
今となっては正確に記憶していないが、話の流れから言って、押尾コータローのメジャーデビューCDが発売された頃、あるいは発売が予定されている頃で、2002年の話だったと思う。
おそらく、一部では大いに注目されていたものの、いったいどれだけのCDを売る事ができるのかが未知数の時期、メジャーデビューにあたっての売り込みだったのだろう。
ある意味、ライヴで演奏さえ聴いてもらえれば、必ず押尾コータローを認めてもらい、CDを買ってもらえるという自信の現われだったのかも知れない。

こういうオファーがあるんだ、と、マサ君から聞かされた時、ワタクシは、ゴンチチのNHK-FMでオンエアされた第三の男のテーマを思い出し、
「押尾コータローって、ギター上手いんやぞ
とプッシュしてみた。
永年ライヴを企画してきたマサ君としては、あちこちに情報網を持っているわけで、ワタクシなんぞのアドバイスなどなくても、そのくらいの事はとっくに知っていた。
「でもなぁ、ギターがナンボ上手くても、ネームバリューがほとんど無いしなぁ
出身地の大阪市内ならばともかく、メジャーデビューしたばかり(あるいは、メジャーデビューを控えていた)の押尾コータローを知る人は少いだろう。
特に、イナカ町では、、、、、、限りなくゼロに近かったかもしれない。

どうやらマサ君としては、このオファーがあった同じような時期に、既に別のミュージシャンのライヴを企画していたようで、そちらを優先させる事にした。
この時に、押尾コータローのライヴが実現しなかった最大のネックは、当時の押尾コータローには、ネームバリューがほとんど無かったのが主因だ。
ワタクシとしては、是非とも実現して欲しかったが、ネームバリューの事を言われると、二の句をつげなかった。
マサ君が、いくら利益目的でライヴを企画しているのではないとはいえ、責任者としては当然の結論を出したわけだ。
押尾コータローのネームバリューが無いがゆえに実現されなかったライヴ、、、、、、、、、、
今となっては、とても信じられない出来事だった。



ギター1本を抱えた押尾コータローが、ステージに現れる。
これまでに、誰も見た事も無かった弾き方で、弦をはじき、かき鳴らし、弦を叩いたり、ボディーに平手打ちを食らわせたり、、、、
そして、何よりもギターに唄わせる押尾コータローの演奏に、さほど広くない会場は静まり返る。
「なにぃ~、コータロー? 岬めぐりかぁ~?」
などと、小ばかにしながらやってきたオジサンも、拍手する事も忘れて唖然とした表情のままフリーズしてしまう。
すっかりと押尾コータローのギターに魅せられたイナカ町の観客達は、終演後に会場で売られているCDにサインしてもらいながら、
「押尾さん、あんた、ギター上手いやないか~」
「押尾さん、また来てや~!」
「押尾さん、辛抱して頑張っったら、絶対に成功するで~! 頑張ってや~!」
とか何とかいった会話が弾む。
皆が押尾コータローと握手を交わしながら、激励してしまう、、、、、、、、、、、、、、

もしも、万一、あの時に押尾コータローのライヴが実現していたとすると、終演後には、こんな微笑ましい光景が見られたかも知れない。
実現していたとすれば、ある意味で歴史の証人になれたかも知れない、その場所に居たかった。
それとも、もしかするとこの時期、ノーギャラでCDを持ち込んだ押尾コータローの小規模なライヴが、日本のどこかで実現していたのだろうか?


マサ君に、
「5月に押尾コータローを聴きに、三木市まで行ってくるよ~。」
と話した時、
「あの時、押尾のライヴ、やっとったらなぁ~
「そうやで、あの時やっとったら、今頃は、どんな大会場のチケットでも、押尾コータローが最前列の席を手配してくれてるで、きっと
と、冗談半分に見せかけながら苦笑いを交わしたのだった。


押尾コータロー アコースティック・ギター・コンサート (1)

2006年07月20日 23時07分17秒 | 音楽

今さら、古い話になるのは承知のうえだが、

5月20日 三木市民会館での押尾コータロー アコースティック・ギター・コンサート に出かけてきた。

思い起こせば、ちょうどその頃、
信じられないくらいに絶好調だったセリーグ在京球団があった。
その頃は、同一カード3連戦では必ず勝ち越していたので、3連戦を消化するたびに貯金がどんどん増えていき、絶対に今年は楽勝のはずだった、、、、、、、

イヤイヤ、その話は、もういい

話を押尾コータローのコンサートに戻そう。
開演前の会場付近で、ちょっとしたハプニングに遭遇したのだ。

          


同じ兵庫県の三田市までは、日帰りドライブで出かけた事があり、今回も、てっきり三田市でのライヴだとばかり思い込んでチケットを買ったのだが、会場は三田市ではなくて、地図を見ると三田市より遠い三木市の市民会館だった。
三田市三木市、同じ兵庫県に属し、同じという文字が付くので、イナカモノにとっては似たような物に感じられてしまった。
このように、チケ買いの段階でワタクシのちょっとした勘違い(場合によっては大事件になる可能性もあった、、、、、笑)があったのだが、両市の距離は何百キロも離れていなかったというのが、とてつもなく幸いな事で、実際のライヴ会場の三木市へも日帰りできる距離だった。

初めて行くライヴ会場には必ず早めに到着して下見を済ませておくのが、ワタクシの主義である。
いや、チケットを買う前に、まず会場の所在地を確認する事は常識以前の問題であるが、、、、、、、

のんびりと開演時刻ギリギリに到着して、チケット片手に駐車場探しに奔走する、などと言う醜態だけは、絶対に避けなければならない。
この日も、午後6時の開場時刻よりもうんと早く、4時過ぎには到着してしまった。
いくらなんでも、早過ぎた。

会場の三木市文化会館は、三木市役所のすぐ近くにあり、500台収容という自慢の無料駐車場も市役所や周辺の市営の各施設と共用している。
無料だから、駐車場の出入り口は、いちいち駐車券を入れて現金を支払うゲート(踏み切りの遮断機みたいなやつ)方式ではなく、入り口と出口の通路の幅がそれぞれがクルマ1台分の幅で、ごく普通の駐車場の出入り口だったが、いかんせん、その出入り口は1ヶ所にしかない。
クルマは500台、出口は1ヶ所、、、、、、、、
ワタクシが1ヶ月前に買った座席が後ろから3列目だという事態から察すると、この日のライヴは、満員御礼完売のため当日券は発売しません状態が予想された。
おそらく、終演後の駐車場は、我先に出ようとするクルマで大混雑する恐れがあった。

MIー2のトム・クルーズよろしく、会場周辺の様子をひそかに観察した後、近くのファミレスで早めの夕食を済ませて、再度、先ほどの駐車場にクルマを置いたのが5時過ぎ。
(イーサン・ハントは、自ら下見などしないか、、、、?)
先ほど4時過ぎに到着した時よりはクルマの数が増えつつある駐車場の中を見渡し、さらに、終演後に、少しでも早く駐車場を出る事ができるような駐車位置を考えて、いったん停めた位置から、帰りの混雑時に一気に出口への流れに乗れそうな位置に停めなおした時、開けたままの運転席の窓越しに誰かが話しかけてきた。
知らない間に、ワタクシのクルマのすぐそばに立っていた人物は、推定年齢20代半ば~30代半ばの青年だった。
以後、初対面のこの人物の事をと呼ぶ事にする。

『失礼ですけど、コータローさんのファンの方ですか? 今日のコータローさんのコンサートにいらしたんですか?』

と聞かれたので

『イヤ、ファンと言うほどではありません。
誰のファンかと聞かれれば、綾戸智絵や、ケイコ・リーや、山下達郎や、寺井尚子のファンです。
が、押尾コータローは、ワタクシの好きなギタリストの一人でもあります。』

などと、正直に答えてしまうと話が長くなりそうだったので、

『はい、そうですが、、、、』

と、答えると、
彼は、安心したように、ショルダーバッグから何やら虹色に光るプラスティックの円盤が入ったケースを取り出しながら、こう言った。

『実は、ヤフー・オークションで、コータローさんの去年のPanoramaツアーの完全版の音源が2枚組CDで出てたんで買ったんですけど、その時にうっかりクリックし損ねてしまって、2組買ってしまったんですよ。
という事情で、1組余っているので、よろしかったら買っていただけませんか?』

と、彼はこう言いながら、四角いCDケースを開いて、どう見てもPCを使って作ったらしいジャケット写真や、収録曲目が印刷された紙切れをはさんだ四角いケースから、これまた表面に押尾コータローの写真を印刷したデータ用のCD-Rを手渡してきた。

『このクルマのオーディオは、CDを聴けますよねぇ?
どうぞ、試聴してみて下さい。』

今から思うに、この時点で、手渡された2枚組CDを奪い去って逃走するという手もあったのだが、このCDの中身が何やらわからない状態で逃走してしまうと、かんじんのライヴを楽しめなくなってしまう。

ワタクシの自慢のカーオーディオシステムは、10枚のCDを一気にセットできるCDチェンジャーを備えているので、CDチェンジャーの中のCDを入れ替えるためには、クルマのトランク部分まで行かなければならない。
(今時、i podさえ持っていれば、今時、CDチェンジャーなど必要ないなどと言われたって困る)
そのためにクルマを降りようかと思ったが、カーナビのDVDディスクを取り出してCDを放り込んでもCDを聴ける事に思い当たった。
カーナビ経由でCDを聴いてみると、予想したよりは音質は良さそうだった。
少なくとも、ライヴ会場に持ち込んだMDやカセットでこっそりと録音した物ではなさそうだった。

『これはオフィシャルな物なんですか?』

と訪ねると、
彼は、ゆっくりと首を左右に振り、手作りの曲目リストの中の1曲を指差しながら、こう言った。

『TVで放送された時に1曲カットされた曲があるんですけど、放送でカットされたこの曲も、このCDに収録されています。
ですから、完全版なんです。
僕がオークションで買った時の半値でいかがでしょう?』

ワタクシが、どうしようかと黙り込んでいたら、

『コータローさんのコンサートには、いつも来られるんですか?』

と訊ねてきたので、

『いや、押尾コータローは、今日で2回目ですね。
2年位前に、尼崎で聴いた事がありますけど。
今日のチケットは、1ヶ月前に買ったんですけどね、すっごい人気ですよね~、座席は後ろから3列目ですよ。』

と答えた。
すると、彼は、

『僕もチケットを買うのが遅くなったので、今日のチケットはオークションで買いました。
前から3列目の席なんですけど、ヤフーオークションで¥13,000で落札したんです。』

全席指定席のこの日のチケットの定価は、¥4,500だった。
果たして、3倍近いお金を出してでも前の席に座りたい、と言うのがファン心理なのだろうか?

さらに続けて、

『あ、それから、コータローさんのインディーズ時代のライヴ音源の完全版も、ヤフーオークションで買ったんですが。
これも間違って余分に買ってしまったんですが、、、、、、、、、』

と、ショルダーバッグから、別のCDを取り出そうとしだした。


なんとかやり過ごして、クルマの中で雑誌を読みながら少し時間をつぶしていると、バックミラー越しに、先ほどの彼が別のクルマをつかまえて何やら話しかけている姿が映っていた。

後日、友人にこの話をしているうちに、気付いた事があった。

まず、第1に、

この時に話しかけてきた彼は、本当に、この日のコンサートにやってきた観客だったのだろうか?
と。
オークションで前から3列目のチケットを落札したと言ってはいたが、ワタクシにそのチケットを見せてくれたわけでもない(そんな義務も必要も無いが)し、この会場の前から3列目の座席に座っている姿を確認したわけではない。
もっとも、後ろから3列目のワタクシの席からは、前の方の座席に誰が座っているかなどと確かめる事などできないし、前半後半の2部制ではなく途中休憩無しのぶっ続けライヴだったため、休憩時間に席を立つ事もできなかった。
もしや、物品販売だけを目的として駐車場を周回していたのでは?
という疑惑も生じてきた。
彼がショルダーバッグに入れていた物は、その気になれば何百枚でも焼く事ができるCD-Rだというから、なおさらだ。

そして、第2に、

TV放送の時にカットされた曲も収録しているという、去年のライヴの完全版CDとやらだが、
この去年のライヴがTV放送されたとすれば、おそらくNHKのBSだろう。
彼がカットされたという曲が、実際に放送でカットされていたのかどうか?
イーサン・ハントが気合を入れて調査活動を行えば解明される可能性もあるが、今となっては、立証する事も大変そうである。
つまり、単純にTV放送された音源をCDに録音したという可能性も、なきにしもあらず。

真偽のほどは、
いったいどこまで人間を信じる事ができるか?
という、ワタクシ自身が持つ人間性の根底に潜んでいるのかも知れない。

この日のライヴの中身については、近いうちにいずれまたエントリーする予定にしている。
本当は、5月中にしておかなければならなかったのだが、、、、、


巨人×阪神

2006年07月19日 23時14分44秒 | 無駄話


昔、昔、その昔
いや、ほんの2ヶ月前、
信じられないくらいに絶好調だったセリーグ在京球団があった。
その頃は、同一カード3連戦では必ず勝ち越していたので、3連戦を消化するたびに貯金がどんどん増えていき、絶対に今年は楽勝 のはずだった。

そんな時、
友人の会社が、甲子園球場の年間指定席を買っていることを耳にして、あくまでも冗談で
「巨人戦のチケットを、まわしていただけないでしょうか?」
とお願いしてみたらば、すんなりとOKされ、3塁側オレンジシート席をペアで譲ってもらう事ができた。
考えてみると、彼には、このところお世話になりっぱなしで、せめてものささやかなお礼として、阪神の選手の写真の1枚や2枚くらいは撮ってきてあげようかと、デジカメに1GのSDカード(約320枚撮影可能)を仕込んで、三宮に投宿した。
阪神の選手を1枚や2枚撮った残りのSDカードには、もちろん、ジャイアンツの選手達の勇姿をたっぷりとおさめるはずだった。
もしも、SDカードが足らなくなった場合に備えて、さらに256MBのSDカード2枚と予備のバッテリー1個もしっかりと握り締めて、、、、、、、

しぶとい梅雨前線が停滞したために、3連戦初日の前日のゲームは雨天中止となり、昨日もクルマで三宮に乗り込んだ時点で雨模様だった。

こうして、勇躍、甲子園に乗り込むワタクシの意気込みも天には届かなかったのか、
午後4時過ぎ、阪神三宮駅の改札口に本日野球中止の文字が悲しく躍っていた。



よくよく考えてみると、高校野球にはさほど興味を持たないワタクシの人生において、甲子園球場とやらに行った事が無いのだ。
その上、ワタクシの場合、この球場を本拠地にする球団のファンとは、全くもって相性が悪い。
だから、よほど思い切りをつけないと、次に甲子園へ行こうという気になるのがいつの事やら見当もつかない。
プロ野球界を盛り上げるためにわざと負けてみせているとはいえ、いくらなんでも盛り上げすぎている最近の我が軍の現状を見るにつけ、TV観戦のボリュームもしぼむ一方だ。
いや、ヴォリュームを絞りたくても、TV中継すらない時が多いのはどういう事だ?
だが、経営母体が変わったらしいので、来年からは何らかの変化が現れるかもしれないこの球場を、一度は見てみたい気もした。
そのためには、とにかく、甲子園駅まで行く事だ。




前日から雨が降り続く中、球場周辺はガランとしているはずだったが、そうでもなかった。
窓口でチケットの払い戻しを受ける人も何人かいたし、球場の正面の道路を通って選手達が帰るのを待ち伏せしているらしい人達もたくさんいた。




関西TVの中継が予定されていたらしい。
機材やスタッフを積んだクルマが隊列を組んで、帰って行く。
球場の前にいたのは、ほんの15分ほど。

空いた時間をつぶすため、映画館へ行ってみる事にした。
めったに乗らない阪神電車、乗り換えの要領がよくわからないため、結局、ず~っと各駅停車に乗ったまま岩屋駅で下車して、109シネマズHAT神戸へ。
ミラ・ジョヴォヴィッチ主演のウルトラヴァイオレットを鑑賞。
原作がコミックなのか、PCゲームなのか?
全編を通してCGコミックの雰囲気が充満していたので、スクリーンでアクションを繰り広げる、ミラ・ジョヴォヴィッチの魅惑的な肢体のどこからどこまでが実写なのだろうか?
などと考えているうちに、どうしてこの映画の上映期間が極端に短いのかがわかった気がした。


御在所ロープウェイ

2006年07月04日 21時53分38秒 | 風景光景

三重県菰野町、湯ノ山温泉のさらに山上に御在所ロープェウイがある。
例年、この近辺の鈴鹿サーキットまで行きながら、今まで、この御在所ロープウェイに乗った事がなかった。

          

     
往復¥2,100(大人)でロープェウイに乗車。
高所恐怖症の気が出てきたのだろうか?
動き始めて慣れるまでの間、しばらく怖かった、、、、

          

この日は、遠くの景色がかすんでいたので、こんな写真しか撮れなかった。


          

          

          


山上には、カモシカセンターもあったが、この日は立ち寄らず。
ロープウェイ山上公園は、標高1,080m。

 


ここからなら、どんなにデカイ声で叫んでも迷惑にはならないだろう。

          



ロープウェイ山上公園駅から、さらにリフトに乗って、標高1,212mの御在所岳頂上へ。
リフト区間は、冬季はスキー場になる。
一人乗りのリフトは、よく揺れる。
片道¥300。

          



さて、いつからこの状態なのか?
クイズのつもりで読んでみよう。