lizardbrain

だらだらぼちぼち

香港セットは謎だらけ

2010年11月22日 19時34分46秒 | 無駄話

特に名を秘すが、かつて電電公社と呼ばれていて、現在はアルファベット3文字の社名となった電話会社のプロバイダーと契約をしていた事がある。
その後、これまた特に名を秘すが、関西の電力会社の光ケーブルを導入したので、アルファベット3文字の社名となった電話会社とは縁が切れたはずだが、その電話会社関連のプロバイダーが運営するネットコミュニティには、いまだに籍を置いている。

今でも、旧プロバイダーのネットコミュニティにはしょっちゅうログインして、めぼしいプレゼント企画を見つけては片っ端から応募している。

「どうせ当たるもんか」

と、全く期待せずに応募しているので、いつ頃、どんなプレゼント企画に応募したのかはほとんど記憶に無い。

で、先月、旧プロバイダーのネットコミュニティから、当選通知メールが届いた。
どうやら、『香港セット』プレゼントとやらに当選したらしい。
当選したらしいが、例によって、いったいどんな代物が賞品だったのか、全く記憶から消失している。

届けられた『香港セット』とやらの中身は、


まず、それぞれ60ページくらいのガイドブックらしき冊子が3冊。
これは、たぶん必要ないだろう。


そして、これは点心ストラップ。
この写真では大きく見えるが、実際は直径3センチほどのが3個入っていて、上が焼売、左下が餃子かそれとも小龍包で、右下のが豚饅なのか、、、、?
誰もが持っているストラップではなさそうなので、こいつをワタクシの旧型ケータイにぶら下げれば、世界中の注目を一気に集めてしまうかも知れない
だから、しばしの間、大事に保管する事に決めた。


そして、これが、すべてのセットを収納していたバッグ。
一見してトートバッグ風であるが、ビニール製の、ショッピングバッグと呼ぶべき代物。
今回の戦利品の中で、こいつが一番安っぽいのだが、こいつが一番実用的かも知れない。

この中で、一番上の写真、たぶん使わないであろうガイドブック冊子だが、ご所望の方がいるならば差し上げようと思う。
遠慮なく、ご覧のあて先まで応募いただきたい。

ネット懸賞の当選は、これまでにも何度かある。
が、なかなか、本当に欲しい物や実用に耐える物をゲットできないのが悩みの種であるが、こいつがなかなかバカにはできない。
何にも知らないで出かけて行ったらば、行ってみたらば達郎がシークレットゲストで登場するコンサートのチケットが当選したという、信じられない幸運を射止めたこともあるからだ。

そろそろ、この世で一番実用的な賞品をゲットしても良い頃だと思う。
究極の実用的賞品を狙って、ひたすら、せっせとtotoBigを買い付ける日々が続いているのだ


Twelfth sense

2010年11月13日 21時15分52秒 | 無駄話

ハーレイ・ジョエル・オスメントという、いつも弱気そうに困った顔をしている少年(天才子役なのだそうだ)とブルース・ウィルスが共演した、『シックス・センス』という映画がある。

この映画を小説化した文庫本を読んだ。
巻末の解説文によると、映画の原作ではなくて、映画のシナリオ製作にかかわったというジム・デフェリスという作家が、映画の世界を小説にしたものらしい。
だから、映画のストーリーを踏襲しているはず、(たぶん)である。
まず原作小説があって映画化されたわけではなく、映画から小説を作り出すというのはどういう事なのか、ワタクシにはちょっと想像がつかない。
だが、あのTV版『スタートレック』の原作でもないのに、SF小説のコーナーには『スター・トレック』シリーズの小説がたくさん並んでいる。
しかも、スター・トレック小説の場合、同じ小説家が書いているわけではなく、複数の小説家が書いている。
個々の登場人物はもとより、地球人やクリンゴン人やバルカン人の文化や科学、人種としての性格や性質の違いやそれぞれの惑星の歴史など、基本となる部分をしっかり押さたうえで複数の作家が物語を作っているから許されるのだろう。
タイトルは忘れたが、一度だけこうしたスター・トレックから派生した小説を読んだところ、そこではカーク船長が死んでしまい、再び蘇るというストーリー展開だった。
TVドラマや映画や小説では、カーク船長もミスター・スポックも何十回死んでは蘇った事だろうか?
その上、SF物だから、タイムトラベルやらパラレルワールドやらが当然のように展開されて、マジメに考えるとワケがわかんなくなる。

話をシックス・センスに戻すと、

オリジナルの(映画の)シックス・センスの日本公開は1999年10月らしい。
公開から1年以上経ってから、この映画をレンタルビデオで初めて観たワタクシは、終盤のストーリー展開に思いっきり騙されてしまった。
「そんなもの、オイラにゃぁ、最初っからお見通しさ」
という方もたくさんいるだろうが、ワタクシは完璧に騙されてしまった。
料金を惜しんだためにビデオの返却期限が迫っていて、1回観ただけですぐに返却してしまったが、騙された悔しさはどうにも収まらず、それからさらに1年後に、京都の映画館でシックス・センスが上映される事を知って、この映画のために京都まで日帰り旅行までしてしまった。
もう一度、ビデオをレンタルすれば良いのに、、、、、、
2回目を観た後は、シャマラン監督という人は、確かに良く出来た映画を作ったもんだと感心したのだ。
(でも、シックス・センスに続いてシャマラン監督が手がけた、『アンブレイカブル』にはあきれ果てて、はたまたそれに続いてシャマラン監督が手がけた『サイン』にはズッコケてしまった。)

映画の方は『シックス・センス』1本でとどまっているはずだが(間違ってもどうか続編など作らないで欲しい、日本版でつまんないリメイクなんかしないで欲しい)、小説の方は映画を小説化した『シックス・センス』に続いて、『シックス・センス 生存者』、『シックス・センス 逃亡者』、『シックス・センス 密告者』という続編が出版されている。
2作目以降の小説は、デビッド・ベンジャミンという作家が書いている。

小説化2作目の『シックス・センス 生存者』も続けて読んだのだが、小説の中のコール少年(ハーレイ・ジョエル・オスメントという、いつも弱気そうに困った顔をしている天才子が演じた)が、すんごくしっかり物に描かれてしまって、どうだかなぁ~と疑問を感じながらも、小説化2作目の『シックス・センス 生存者』も読み終えた。
この小説のトリックは、映画に騙されたワタクシにも充分に想像のつく展開だった。
手元に、もう一冊、古本屋さんで購入した小説化第3作目の『シックス・センス 逃亡者』があるので、せっかく買ったんだから続けて読んでみようと思った。
その第3作目を積み上げた中古文庫本の山の中から引っ張り出そうとすると、おかしな事に気づいた。


どういうわけだ

ついさっき読み終えたばかりの小説化2作目、『シックス・センス 生存者』と同じのがもう一冊あるではないか
別の店で別の日時に買ったのは、それは間違いない。
だが、いったい、どうしてこんなヘマをやらかしてしまったのだろうか?
そういえば、6月には、うっかり同じ雑誌を重複して2冊買ってしまったし、、、、、、、、

今回は、古本だったので、経済的には最小限の被害ですんだのが幸いだが、、、、、
いよいよ、来てしまったのだろうか、、、、、、
その時が、、、、、、
ワタクシの身にも、、、、、、、、

もしかして、重複した2冊の本のストーリー展開が左の本と右の本とで違っていたならば面白いのになぁ、、、、






中平穂積写真展

2010年11月11日 17時21分06秒 | 音楽

ご存知のように、中平穂積(なかだいらほづみ)さんは、新宿で長年、『DIG』や『DUG』というジャズ喫茶を経営し、さらには高名なるジャズフォトグラファーである。
ジャズ好きな人ならば、おそらく誰もが中平さんの写真を目にした事があるはずだ。
たとえ、中平さんが撮った写真とは気付かなくても

最初に中平さんをお見かけしたのは2004年6月。

長浜市での浜田博行と古谷充の双頭クインテットのライヴに行った折、たまたまそのライヴに合わせてジャズ展が開かれていて、その一環として中平穂積写真展も開催されていた。
写真展のことは事前に全く知らなかったのだが、例によって、会場に早く着き過ぎて、ライヴ開演前に時間を持て余したワタクシは、これ幸いと写真展を鑑賞した。
写真展の会場内で、地元の人だろうか、来客者に要請されて一緒に記念写真に応じている中平さんのお姿を見た。
この時、中平さんのお姿を拝見したのが初めてだったが、情けないことにさほどの持ち合わせも無かったため、写真集を買うことができなかったのがやや悔しかった。

その日のライヴの途中で、中平さんは古谷充にステージに呼び出されてしばし対談する一幕もあった。

それから4年後、つまり2年前の5月、ようやく中平さんの写真展に出かける機会があった。
その初日のオープニングパーティーを兼ねた、グレース・マーヤのライヴの開演前に購入した写真集に目の前でサインをしていただいた。

だが、それから約2週間後に、予想もできない事態に巻き込まれた。

売りに出しても3年間買い手のつかなかった、極めてアヤシ気なヤツ等が所有する隣のアパートから出火して、ワタクシの家も類焼してしまったのだ。
消火活動の放水のせいで、中平穂積さんの写真集も被害に遭った。
ビショビショのグシャグシャになってしまったのだ、、、、、
写真集のページをめくる機会は、ほとんどないままに、、、、、、

火元のアパートの所有者からは、いまだに一言の謝罪も無ければ連絡も無い。
それどころか、オンボロのミツオカから、これみよがしにベンツに乗り換えてふんぞり返っているらしい。
インテリアショップやらエステやらなんやらの失敗で抱えた借金は、返済したのだろうか?
火の無い所に煙は立たず、、、、、、?

さて、そんな輩にめちゃくちゃにされてしまった中平さんの写真集だが、絶版になっているわけではないので買い直すことはいつでもできた。
書店で取り寄せる事も、ネット通販で購入する事も可能だった。
が、どうせならば中平さんにサインしていただかないと、意味が無いのだ。

なにしろ、中平さんは本宮町出身の方で、同県人のワタクシにとっては郷土の偉人の一人である。

だから、いつかどこかで、ワタクシが行く事ができるエリアで中平さんの写真展が開催されたならば、是非とも行かなければならない、是非とももう一度写真集にサインをいただかねばならないと思いながら、なかなかその機会をつかめなかった。

だが、ついに、つかんだのだ。
中平さんの写真展が、大阪で8月17日~22日にかけて開催された。

(あ、既にあれから3ヶ月経っている。またもや、ナマケモノの本領発揮である。まあ、このまま黙っていては伝えられないので話を続けるが、)

事前に会場のワイアートギャラリーに電話して、中平さんがギャラリーに滞在されている日時を確認した上で、大阪北区堂山町へ。
たまに気まぐれを起こして博物館や美術館へ行くことはあるが、ワタクシにとってギャラリーという所はどうにも敷居が高くて、入り口に立つだけでドギマギしてしまう。


          
しかし、この日は待ちわびた『中平穂積写真展』の初日なので、何があっても入場しなければならない。

ギャラリーに入ると、大きな写真パネルをたくさんレイアウトした店内のテーブル席では、中平さんは甚平姿の男性と談笑中で、


          

 

                    
         
お二人を遠巻きにしながら、2度目の購入となる写真集と並べて販売されていた高平哲郎氏編集の『新宿 DIG DUG 物語』という本を購入して、サインをお願いした。
サインしていただきながら、ワタクシの居住地と2年前の写真展で手に入れた写真集が火事でダメになった事をお話しすると、随分と驚かれたようで、何かを探している様子で、一旦、奥のオフィスに行ってしまったのだが、奥から手にしたポストカード(もちろん中平さん撮影)を1枚おまけにつけていただいた。

せっかくだから、展示されている写真について何か感想を述べるなり質問しなければ、と思いながら、ワタクシの口をついた言葉というと
「これらの写真は、ステージからどれくらいの距離で撮影するのでしょうか?」
という、我ながら全くもってつまらん質問をしたものだと思うが、展示されている写真パネルを指差しながら、
「撮影する距離はその時によって違いますが、あの写真やこの写真はステージのすぐ前あたりで、あそこのカウント・ベイシーの写真は、東京厚生年金会館の2階席から撮ったんです。」
とのお答えをいただいた。

そうかぁ~
カウント・ベイシーがステージ上で3輪車をこいでいる、あの有名な写真は東京厚生年金会館の2階席から撮った物だったのか~
と、勉強させていただいた。
そして、2年前に写真展とライヴをやった会場で、再来年に再び写真展とグレース・マーヤのライヴを計画しているという予定も教えていただいたのだが、あまりゆっくりする時間が無かったのでこの辺でおいとまとなった。
どうかいつまでもお元気で写真を撮り続けていただきたいと思いながら、ギャラリーを後にしたのである。

この時の中平穂積写真展は、TAKAO FUJIKURA のジャズグラブログにも紹介されている。


黄金のリクエスト・ドンドン

2010年11月07日 12時06分08秒 | 無駄話


そう、これが、あの、
言わずと知れた、ドンドンバッグ(Don Don Bag)である。
早とちりしないでもらいたいが、あくまでもドンドンバッグ(Don Don Bag)であって、決して、ロンドン・バッグ(London Bag)ではない。

はるか過去を振り返ってみると、

中学生の頃、WBS和歌山放送の強力番組『リクエストドンドン』の第2回放送のプレゼント抽選に勝ち上がって、見事ゲットしたドンドンバッグである。
リクエストドンドンは週末の放送で、番組に寄せられた葉書の中から、毎週2名に厳選なる抽選のうえプレゼントされた賞品である。
ドンドンバッグのプレゼントは第2回目の放送から始まったので、ドンドンバッグプレゼント企画の、ワタクシが栄えある初代当選者のうちの1人となったわけである。

部分的に何やら黒ずんだ箇所があるのは、焼き討ちにあったためで、我がドンドン・バッグは直接焼かれる事は無かったものの、火災時に家の中に充満していたであろう煤煙でこのように一部が黒ずんでしまったのだ。
一応、洗濯してみたものの、黒ずみは消えなかった。

このバッグを手にして以来、遠足の時には、他の生徒達がリュックサック(当時はデイバッグなどというしゃれた呼び名ではなかった)をかついで来るのに対抗して、弁当や菓子類を、この赤いドンドンバッグに詰めて担いでいったものであった。
弁当と菓子類だけを収納するには、このバッグは大き過ぎて、現地ではかなり邪魔な存在であったが、他人と同じ事をするのがイヤだったワタクシには、絶好の自己主張の場を与えてくれたドンドンバッグであった。
社会人になっても、しばらくは、泊り込みの外出時には、このドンドンバッグを大いに活用したものであった。

しかし、大いに活用しすぎたらしく、バッグの裏側で紐を留める金具が破損して以来、修理を怠って使わなくなってしまった。

このドンドン・バッグは、ご覧のように、ごわごわした赤いデニム生地のずん胴のバッグで、底面だけがビニール系統の素材を使っている。
周囲ぐるっと裏地の無いデニム生地なので、雨にはめっぽう弱い。
だから、普段使いではなくて旅行の時には、中に入れる物はビニール袋に入れてからドンドン・バッグに入れたほうが良い。
内部には、ポケットは全く無いので、普段使いの時にはとても使いにくい。
バッグのサイズは計ったことは無いが、上の写真は100ccのスクーターのハンドルにぶら下げて撮ったものなので、スクーターのサイズを想像していただければ、ドンドン・バッグのサイズも想像できると思う。

デイバッグであったりショルダーバッグであったり、バッグの形状は別として、最近のワタクシのバッグに対するこだわりというのは、

こだわりその
 外出中に悲しい雨に打たれても大丈夫なように、適度な防水性がある事。
こだわりその
 最近ケータイとかデジカメとかiPodとか、サイズは小さいが重要な携行品が増えてきたので、それらをいつでも取り出しやすいように、バッグの内部に小さめのポケットがいくつかある事。
こだわりその
 肩紐部分の、ワタクシのか弱い肩に接触するあたりには、ぜひともクッション性のある素材が使われている事。

となっている。

つまり、このドンドンバッグは、現在の保安基準を全く満たしていない

しかし、押入れに放り込んでいたままとはいえ、40年近く処分できずに保管していたドンドンバッグである。
コーナンあたりへ行けば、留め金具の交換部品が手に入るのではないか、と考え出した今日この頃である。

何を思ったかつい先日、このドンドンバッグの写真を、リクエストドンドンのパーソナリティーだった小林睦郎さんに送ってみたら、ワタクシのつたない便りを読んでいただけるだけでも幸いだというのに、あろうことか丁重なる手書きの返信を賜った。

睦郎さんには、感謝の思いでいっぱいである。

ところで、このドンドンバッグは、毎週2名ずつの当選者にプレゼントされたものであるからして、ワタクシの他にもドンドンバッグの保有者がいるはずである。
どなたか、ドンドンバッグに見覚えのある方がいたらば、ご連絡をお待ちしている次第である