lizardbrain

だらだらぼちぼち

潮岬

2011年07月24日 23時15分31秒 | 風景光景

一瞬、晴れたのだがこの日の基本はずっと曇り空。
旧潮岬有料道路を周遊して大島方面へ行くのは、次回に。



これまでに何度ここを通った事だろうと思ってはみるが、遠足の時以来じっくりと滞在した事がない。
高速道路の整備が進まないのが、和歌山県のイチバンの自慢であるからして、いつでも行けると思いながら、、アクセスに時間がかかるのが歯がゆい。
もしも、万一、田中角栄がわが県に生まれていたとしたらば、今頃は、高速道路も新幹線もフル装備だろうに。

というのは、仲間内でかわすホンのジョークである。

2011年6月撮影


橋杭岩

2011年07月15日 21時10分52秒 | 風景光景

          

「橋杭岩」と書いて
「はしくいいわ」と読むのか?
「はしぐいいわ」なのか?
一般的には前者の読み方だと思われるが、ごく一部では後者を主張する声もあるらしい。

ワタクシにとっては、子供の頃から見慣れた景観だが、初めて目にする人はビックリするのだろうかな?
やはり。

2010年2月撮影


鬼が待つ

2011年07月13日 21時57分45秒 | 風景光景

          

時間が無かったので、今回は、鬼ヶ城への入口まで。
この先は、いずれ探検しよう。



ネタ探しの旅にこういうオブジェを見つけると、撮らずにはいられない。
ワタクシの本能が、シャッターを押せ押せと囁きかける、、、、、

200年10月に、生まれて初めて鈴鹿サーキットへF1観戦に出かけた。
鈴鹿に向かう途中、鬼ヶ城あたりのどっかの喫茶店でカレーライスを食した。
同行者達と
「これは缶詰のカレーやね」
と囁きながらも平らげたチープな美味さのカレーライス。
あの時の喫茶店を探してみたが、結局わからなかった。

2011年7月撮影


ダブルエラー

2011年07月11日 22時03分25秒 | 音楽

ラジオというヤツは、ワタクシに時々とんでもない偶然の出来事を運んでくれる。
つい最近も、そんなふうに感じる事が起きた。

いつも、FMラジオをMDにタイマー録音して、そいつをwav.ファイルに変換して、iPodに取り込んでは、ウォーキングしながら、あるいはクルマの中で聴いている。
4月の事、そうやってiPodに取り込んだNHK-FMのジャズ・トゥナイトという番組を聴いていた。
その時の放送は、コルトレーン研究家の藤岡靖洋さんという方がゲストに出ていた。
恥ずかしながら、高名なコルトレーン研究家とは知らなかったが、藤岡靖洋さんという名前には覚えがあった。
というのは、中平穂積写真展に出かけた時に、その写真展の会場に贈られた花束の送り主の名に、藤岡靖洋という名前があったからだ。

なるほど、今、FMラジオで話している藤岡さんが中平さんに花束を贈った人なんだな、という事が見えてきた。
だが、それだけではなかった。

藤岡さんのコルトレーンの話が進むにつれて、藤岡さんが大阪で和服を扱う商売をしている事に触れていた。

そこで、ピンと来た。
ワタクシが去年、中平穂積写真展に出かけた時、写真展の会場には、中平穂積さんと甚平姿の男性が談笑していた事は、あの時の記事にも書いている。
その時の甚平姿と和服という言葉が一瞬でつながってしまった。
その上、写真展の会場は大阪市内である。
で、藤岡さんについて調査してみると、『コルトレーン・ハウス』というタイトルの藤岡さんのブログにたどり着いた。
そのブログ内をうろうろしていると、藤岡さんの写真が見つかった。
間違いない。
去年、中平穂積さんの写真展に行った時に、甚平姿で中平さんと談笑していたのは、この人だ。

何という事だ、

あの時、世界的にも高名なコルトレーン評論家が目の前にいたのに、気付かなかったとは、、、、
気付いたとしても、ワタクシの音楽的ボキャブラリーでは、話しかける事もできなかったろうが、、、、、

顔を洗って出直しか、、、、、
出直す事には、慣れているが、、、、、、


ラリー・カールトン in シアターBRAVA! 

2011年07月10日 21時51分00秒 | 音楽

20代の初めに、それまで持っていたアコースティックギター(当時は生ギターと呼んでいたが)に追加して、エレキギターを買った。
SA-1000という、ヤマハのセミアコギターである。
恐ろしい事に、ギターの販売価格は、当時のワタクシの1ヶ月の手取り収入よりも高かったが、飢え死にしない程度に精一杯背伸びして買ったのだ。

今もその傾向はあるが、良くも悪くも一流海外ブランドの模倣に熱心な国産ギターメーカーが多い中、ヤマハのギターには、デザインを真似るにしてもどっかにオリジナリティを感じていた。
といっても、ワタクシが買ったギターの外見はギブソンESー335にそっくりだった。
そのギブソンES-335というのは、当時憧れていた、ラリー・カールトンやリー・リトナーが使っていたモデルだ。

リー・リトナーのライヴは、本人名義のもの、渡辺貞夫のバックも含めて、何度か体験したのだが、どういうわけだが、ラリー・カールトンのライヴは、これまで一度も観戦していなかった。
といっても、ラリー・カールトン自身は何度も日本でライヴをしている。
だが、そのライヴは、たいていの場合、ブルーノートなどの高級ライヴハウスでのもので、ホールでのライヴ情報をつかんだ記憶が無い。(ライヴ情報をつかんだとしても、ワタクシ自身のスケジュールと合致しなかったのかも知れない)
どいういうわけなのか説明するのは難しいのだが、ライヴハウスに対してイマイチ苦手感を持っているワタクシにとって、ブルーノートという場所は夢のまた夢、ひたすらあこがれるだけのスペースであった。

いつの日か、ラリー・カールトンのライヴを、
それも、ライヴハウスではないホールでのライヴを観戦してみたいと思いながら、なかなかそのチャンスに恵まれないまま、30年以上が経ってしまった。

それが、ついに、今年4月6日、シアターBRAVA!で、ラリー・カールトンのライヴ観戦の機会を得たのだ。

だが、震災の影響で、音楽のジャンルを問わずに海外アーティストの来日中止が相次いでいた。
原発事故の影響でセルジオ・メンデスの来日が中止になってしまったとがっかりしていた、大のセルメンファンの知人がいたので、果たして予定通りにラリー・カールトンが日本に来てくれるのかが、前日まで心配でならなかった。
というのも、今回のラリー・カールトンのライヴスケジュールを見ると、東京ブルーノートでの公演が中心となっていたからだ。

中止、あるいは延期になっても仕方ない状況だったが、

約束した日、約束した場所に、ラリー・カールトンはやって来た。

                    

大阪城の近く、という事は大阪城ホールの近く、船で行くにも便利な場所にシアターBRAVA!はある。



ワタクシにとって、待ちに待ったラリー・カールトンのライヴだというのに、当日券が出るとはどうした事か、、、、、、?
チケット発売当日に売切れてしまって当然のアーティストだというのに。

今回のツアーの主催はブルーノートで、大阪ではブルーノートが撤退してしまったので、大阪地区ではこのホールでの公演になったのだと思われる。

そのためかどうか、ステージの構成は、通常のホールライヴとはちょっと趣が違っていて、
まず1時間余りにわたって、最新アルバム『Plays the Sound of Philadelphia』収録楽曲をぶっ続けて演奏して終了。
まさか、もう終わり?
と思いきや、すぐにアンコールが始まった。

アンコールで登場したラリー・カールトンは、それまでは曲紹介とメンバー紹介以外には話さなかったのに、

「30年以上、私の音楽を応援していただいている日本の皆様に感謝しています。」
といった意味の事を話し出して、
そうそう、『ROOM 335』というラリー・カールトンのアルバムを初めて買ったのが30年位前だった。
などと、思い出していると、

続けて、

「これまで応援してくださった日本の皆様を、この先ずっと応援します。」
といった意味の事を話してくれた。

本当に来てくれてありがとう、の想いで胸が一杯になった。

アンコールではギターソロ曲が2曲、続けて、息子トラヴィス・カールトンのベースとのデュオ、最後に『ROOM 335』(フルバージョンではなくてショートバージョンで、すぐに終わってしまったが)。

この日のライヴのセットリストは、TAKAO FUJIKURAのジャズグラブログの4月7日のエントリーに載っているのでご参照のほどを。

ところで、

この翌月、5月に、同じホールに、同じ主催者で、ジョー・サンプルのライヴがあった。
ラリー・カールトンとジョー・サンプルといえば、一時はクルセイダーズで一緒に演奏していた仲ではないか?
1ヵ月ごとに顔ぶれを変えないで、いっそのこと、二人が一緒に来てくれればなぁ、、、、、、

と、5月のジョー・サンプルを聴く事ができないワタクシは、ちょっとだけそう思ったりもした。


ようやく確認

2011年07月06日 22時15分50秒 | 無駄話
昨夜、震度5を超える地震があったらしい。

「らしい」って言うのは、地震が起きたその時刻に、ワタクシは地震を感じる事ができない状況にいたからで、
夜になってケータイを開いて、心配してくれた方からいただいたメール文で、状況を知ったというのがちと情けない。

和歌山県で震度5を超える地震があったのは、阪神大震災の時以来だという。
その割に、今朝の新聞報道では大した扱いになっていない。

先ほど、ようやく我が家に戻ってきた。
我が家の外見も、室内も、全く異変が起きていないのでやっと安心した。


綾戸智恵 神戸朝日ホール

2011年07月03日 08時41分15秒 | 音楽

4月に観戦した2本のライヴは、期せずして、4人の必須アーティストのうちの2人が立て続けに神戸でライヴする機会をキャッチしたわけで、

新神戸オリエンタル劇場での寺井尚子のライヴの翌日、4月3日、神戸朝日ホールでアヤド姉さんのライヴに参戦。



神戸のホールといえば、松方ホールこくさいホールと、前日行った新神戸オリエンタル劇場しか知らなかったので、『神戸朝日ホール』とは聞きなれないホールだと思ったら、どうやらしばらく休館していて最近再開したホールらしい。

          

入場してみると、その神戸朝日ホールはキャパ500人ほどの小さなホールだった。
ステージに向かって横方向に長い印象の、その4列目ほぼ真ん中という好位置をキープ。
ライヴ内容については全く調査せずに出かけたので、ステージにはピアノしかセットされていないのを見て、ようやく、アヤド姉さんのピアノ弾き語りソロライヴらしい事がわかった。

アヤド姉さんのいつものMCをはさんでの、いつものライヴだったが、やはり、3月の震災の影響はこの日もホールの空気に及んでいた。
オープニング曲は、アヤド姉さんのライヴに欠かす事が出来ない『アメイジング・グレイス』。
だが、この曲も、この日はこれまでと違う思いを運んでいた。

アヤド姉さんのMCによると、

3月11日の地震が起きた頃には、東京で車椅子のお母さんと散歩中だった事。

その1週間ほど前に、福島県いわき市でライヴをやったばかりだった事。

地震から1週間ほどして、都内で最初のライヴがあったのだが、ライヴが始まっても泣き出してしまい、ちゃんと唄えなくて、なんというプロ根性の無いシンガーだろうと、自分に腹を立てた事。

地震の後、東京のレストランで夕食中に声をかけてくれた方がいて、お話してみると福島から東京に避難してきた方だった事。
その方が、アヤドさんがライヴで福島にいる時に地震が起きなくて本当に良かった、と話してくれた事。

もちろん、明るくポジティブなMCも健在。



終演後、アヤド姉さんも参加して、CD販売会と募金活動があったようで、終演後には人だかりがしていた。
神戸の人たちは、やはりやさしい。



だが、ワタクシはというと、帰りの電車の時刻が迫っていた。
募金の方は必ず別のどこかで、別の方法で、との思いを残して帰路に着いたのだ。


寺井尚子 新神戸オリエンタル劇場

2011年07月02日 11時15分29秒 | 音楽

寺井尚子

2011年4月2日 新神戸オリエンタル劇場

 

曜日かまわぬ不規則労働は、当然ながら、その休日も曜日かまわぬ不規則休日となるわけで。
毎週キッチリ土日が休みで、その上、国民の祝日振り替え休日盆暮れ正月にたんまりと休みがある生活をネタみつつ、不規則にやってくる我が休日に合ったライヴを探しては行きつ戻りつ、
そんな僕の生活の柄が夏向きなのかどうかはともかく、
いきあたりばったりのライヴ観戦を始めて幾星霜。
いつのまにか、ワタクシの年間ノルマは、何人かのお気に入りアーティストへの偏重が現れて、定型化してきたように思う。
つまり、渡辺香津美寺井尚子ケイコ・リー、そして、綾戸智恵の4人が必須となっている。
ただその中でも、ワタクシの都合とケイコ・リーのスケジュールがなかなか合わないので、ここんところケイコ・リーとは疎遠気味なので、なんとかしなければと焦る気持ちが無いわけではない。

いっそのこと、この4人の必須アーティスト達を一堂に集めたライヴを、どなたか企画していただけないだろうか?
などと、常々考えていたところ、この必須アーティストのうちの2人が、日替わりで神戸でライヴする情報をキャッチしてチケ取りに成功した時は、すんごくラッキーだったので、1泊2日の日程を組んで神戸に宿泊した。

まず、その初日の4月2日、新神戸オリエンタル劇場での寺井尚子のライヴについて。

三宮の駅に着いてビジネスホテルに行く途中、歩道橋を降りた所に、とあるラーメン屋さんがあった。
だが、どうしたことか稼ぎ時のはずの土曜日だというのに閉店していた。
店の入り口には
『東北への炊き出しのため、本日お休みします』
との張り紙がされていた。
神戸の人たちは、本当にやさしい。

この公演の企画者も、会場となったホールも、(ワタクシを含めて)訪れた聴衆も、そしてミュージシャン自身も、

まさか、前月にあんなに大きな出来事が起こるとは予想もしていなかったわけで。
どことなく、皆、静かで、
これから楽しい事が始まるんだという予感はあるのだが、どこか遠慮がちで開演前のざわついた雰囲気はあまり感じられなくて、
演奏が始まってからも、ミュージシャンがステージ上で手拍子して煽ると、観客達も手拍子で答えていて、それなりに楽しんでいる雰囲気が充満しているのだが、ノリの良い曲で立ち上がったりその場でステップ踏んだりする人はいなかった。

かといって、演奏プログラム自体には特に変化はなく。
演奏活動の継続でバンドにとっても練りこまれている、いつもの寺井尚子のレパートリーが演奏されていく。


その中で、触れずにいられないのは、
曲紹介で、寺井尚子が、
『祈りましょう』
と言葉を添えて演奏した
『アヴェ・マリア』
演奏者達の心にも、観客達の心にも、おそらく同じ風景が浮かんでいたと思う。
今まで何度か聴いたはずの寺井尚子の『アヴェ・マリア』が、
今までとは全く違う思いを動かして行った。
祈りながら涙が滲んできた。




日本へそ公園

2011年07月01日 19時28分47秒 | 風景光景

岡之山美術館や、経緯度交差点のそのすぐ近くに、日本へそ公園があった。

          

           

          

          

                  

        
この日、公園内では草刈作業が行われていたので、作業の邪魔をしないように遠くから眺めた。

2011年5月撮影。