lizardbrain

だらだらぼちぼち

縁は異なものアジスアベバ

2007年07月30日 00時19分55秒 | 音楽

去年の9月、山崎まさよしのライヴを観戦した件をエントリーした。

前々から、山崎まさよしが弾くアコギの和音の響きが好きだったので、初観戦する気になったのだが、
サークルKサンクスの先行抽選販売で随分と早くからゲットしていたチケットが、よりによって、後ろから5列目だったり、
オープニング1曲目から、いきなり、観客席のほとんどが総立ちとなると言う、山崎まさよしに関してまるっきりシロートであるワタクシが、全く意外な展開にうろたえとまどった様子をブログ化したところ、とある方に発掘されてしまった。
以来、とある方のブログをブックマークして、時折、こそこそとタダ読みしていると、さらにとある方に言及した箇所が何度もあった。
で、今度はそのさらにとある方のブログもブックマークして、タダ読みリストに加えた。

そのさらにとある方のブログで、村上ポンタ秀一著書の文庫版が出ている事を知った。


なんという事だ

日本人としては珍しく"ポンタ"というミドルネームを持つ西宮出身のベテランドラマー、村上”ポンタ”秀一が、いつの間にか本を書いていたのだ

文庫版で発行されたのが、去年。
本のタイトルは、自暴自伝というらしい。

ワタクシにとって、この本の存在は、全くノーマークだった。
存在を知ってしまったからには、すばやく行動しなければならない

さっそく、近所の書店に取り寄せの手配をしたところ、約36時間後には入荷していた。
ちょっと前までの本の取り寄せ作業は、こんなにスピーディーには行かなかった。
amazonなどのネット通販に対抗するための、書店側も素早く対応できるシステムを構築しているのだろう。
ワタクシのようなビンボー人が通販で買い物をする時に、一番ネックになるのが送料だが、本にしろCDにしろ、Amazonでは、¥1,500以上のショッピングで送料無料にしてくれるし、在庫さえあれば、即日で発送してくれる。
これは、書店にとっては大いに脅威である。


こうして入手した文庫本は、村上ポンタ自身が書き下ろしたというよりも、語り下ろした物を編集者が再構成して文字に転化した物のようで、そこで語られている話は全て、すっごく面白かった。



オーディションに合格して、赤い鳥に参加する4~5日前にハイハットシンバルを買ったという段にいたっては、
「ホンマかいな?」
と驚かずにはいられない。
盟友、大村憲司の話や、ナニワエキスプレスの清水興も修行したという、ジャズ喫茶デュークの話や、石田長生が17歳の頃に師事したというジャズギタリスト竹田一彦の話もちょびっと出てきた。

ザ・バンドのレヴォン・へルムについて触れた箇所を読んだ翌日、「ザ・シューター」という映画を観た。
その映画のオープニングクレジットで、主要な配役がスクリーンに現れるわけだが、その中に、何と、レヴォン・ヘルムの名前があった。
ところが、ワタクシには、レヴォン・ヘルムの顔が記憶に無い。
ストーリーを追いながら、レヴォン・ヘルムの年齢を想像しながら、だいたいこのあたりの年代の登場人物であろう、と山勘をかけたら当たっていた。
あのシーンに出てきた、オジサン、いや、オジイサンがレヴォン・ヘルムであった。

おかげで、レヴォン・ヘルムの顔を認知できたのだが、このあたりで、ワタクシの胸に、ある疑惑が生じた
偶然に存在を知って手にした本の中で、村上ポンタがレヴォン・ヘルムについて言及した翌日に、さらに偶然にも当のレヴォン・ヘルムが映画に出てきたというのも、偶然が重なったにしては出来すぎた話である。
誰か、ワタクシが知るよしも無い存在が裏で糸を引いているのに違いない。

どうやら、国際的な陰謀に巻き込まれたのかもしれない、、、、、、

”ポンタ”というミドルネームの由来が明かされていたり、プリズムのアルバムに客演していた理由や、そのプリズムのギタリスト、和田アキラの師匠が誰なのか?、、、、、、、
etc,etc、、、、、、

色んな事がたくさん詰め込まれたこの本の中身をこれ以上ぶちまけてしまって、さらに国際的な陰謀に巻き込まれる訳には行かないので、ネタバレさせるわけにはいかないが、
本文の巻末の『おしまいに』という『あとがき』に当たるチャプターから、一つだけバラしてしまおうと思う。
ここに、村上ポンタが、2002年にニューヨークでのレコーディング直後に肺炎で倒れて生死の境をさまよった事について触れられている。
この時ばかりは、さすがの無神論者の村上ポンタも、「もう少し生きさせてください」と、祈ったのだそうだ

実はこの時、ニューヨークで肺炎で倒れたためにキャンセルとなった日本国内でのホールライヴのチケットを、ワタクシは買っていたのだ。

2002年4月14日の、明石市立西部市民会館での公演であった。
村上ポンタのドラムに、クリヤマコトのピアノ、カルテットだったかクインテットだったか他のメンツは忘れてしまったが。
西明石駅の近くに安宿を取り、全席自由席の公演だった為、開場時刻よりも早めに会場にたどり着いたワタクシは、『公演中止』という張り紙を見て呆然としてしまった

まさかと思い、会場の受付らしき所へ事情を聞きに行くと、主催者の『オール』という加古川のライヴハウスの社長に引き合わせてくれた。
社長は、
「つい先日、ポンタさんがニューヨークで高熱を出して入院してしまい、ちょっと大変な状態にあるらしいのです。
本人は、とにかくやる気マンマンなのですが、とても演奏できる状態では無いようなのです。
今回のライヴはポンタさんがメインのライヴなので、他のドラマーを代役に立てるという訳には行きませんでした。
申し訳ありません。」
と、中止にいたった事情の説明と丁重なお詫びをしてくれた。
事情が事情なので、こちらとしても怒って暴れる訳にもいかず、会場を後にせざるを得なかったのだ。

予定していたライヴが中止になったためにポッカリと空いた時間は、近くの映画館で『スターリングラード』という映画を観る事で紛らわせた。
だが、いつもはこの時に映画を観たシネコンに共通する割引カードを持ち歩いているのに、まさか明石で映画を観る事になろうとは夢にも思わなかったため、割引カードを持って来ていなかったので割引が効かず、¥1,800という正規料金で鑑賞せざるを得なかった

この時の宿泊費とか交通費とかは、さほど惜しいとは思わなかった。
ライヴチケットの料金は、後日、チケットを購入したローソンで払い戻しを受けて戻ってきたのだが、この時に映画を観た時に割引が効かなかった事の方が、心に痛く感じた事を思い出した

それからおよそ1年半後、西宮で、ようやく村上ポンタの演奏を聴く事ができた。


どうやら、この本を中心に、色んな事が無節操に繋がっている気配がしてきて、ワタクシ一人で面白がっているところなのだ。

適当に時間をおいて、何度でも読んでみようと思っている。







新兵器

2007年07月27日 22時39分26秒 | 無駄話

ワタクシの愛車の原チャリは、いつも玄関横の軒先に停めている。
もう何年にもなるが、この原チャリに、歓迎できない訪問者がやってくるようになった。
そいつの名は、クモ
そう、ナマイキにも八本も足を持っているクモ
こいつがいつも、原チャリの前カゴや右のブレーキレバー周辺に、せっせと巣を作っている。
これが例えば、原チャリの足回り周辺であるとか、直接手に触れる事がない場所にクモの巣を張っているのならば、見逃してやる事も出来た。
だが、ブレーキレバーにクモの巣を張られてしまうと、邪魔になって仕方が無い。

だから、原チャリに乗るたんびに、前カゴやブレーキレバーに張られたクモの巣を、適当な棒っ切れで、クルクルクルクルと綿菓子作りの要領で巻き取って掃除している。
だが、掃除すると一応はキレイになるのだが、翌朝になると、いつの間にか元通りの場所にクモの巣が張られているのだ。

不思議な事に、いつも同じ場所にクモの巣が張られているのに、肝心のクモの姿を見た事が無い。

原チャリに乗るたんびに、クモの巣をクルクルクルクルと巻き取っていくのにも、ウンザリしていた今日この頃、、、、、

ついに、新兵器を入手した。
それが、クモの巣消滅ジェット

 



半信半疑で、いつもクモの巣が張っている場所に、こいつをスプレーしてみた。

すると、ビックリ
あれだけ毎日、クルクルクルクルと巻き取らなければならなかった、原チャリのハンドル周りのクモの巣が、翌日から完全に姿を消してしまった。

クモが嫌うらしい、シリコンを含んでいるのだそうで、スプレーした場所を触ってみると、ちょっとスベスベしているので、シートやハンドルのグリップなどには直接吹き付けない方が良いと思う。

ついでに、クモの巣の定位置だった玄関周りにもスプレー完了。
効果が弱ってきたら、再度スプレーすれば良いらしい。

クモ達も、生き難い世の中になりつつある。


そんな事、言われたって

2007年07月23日 11時36分16秒 | 映画とかTV


映画館で上映中の映画を、堂々と、ビデオで撮影して複製して売っている闇のルートがあるらしい。
暗~い映画館の中でスクリーンを撮ったって、大した画質で録画できないと思うのだが、、、、、

劇場内での映画の撮影・録音は、懲役10年以下、罰金1,000万円以下、もしくはその両方が科せられる』らしく、随分と重罪に処せられるわけだ。

不振な行為を見かけたら、劇場スタッフまでお知らせ下さい。』、と言われたって、実際のところ、自分が映画を鑑賞している最中に、座席を立って劇場スタッフとやらのところまで通報する事ができるのだろうか?
途中で鑑賞を放棄してしまうわけだから、せっかくの映画が台無しになってしまう。
それに、よほど自分の近くで行われない限り、不振な行為に気付く事は少ないだろう。
この場合、闇の撮影グループに対する牽制の意味が大きいのだろうが、これとは別に、映画館に対して、前々から突っ込んでみたかった事がある。

それは、

予告編、本編の上映前に、劇場案内のアニメとかが映されて、
「携帯電話の電源は切りましょう。」
だとか、
「上映中は、私語を慎みましょう。」
だとか、
「場内は禁煙です。」
だとか、
(さほど効果は期待できないが)映画鑑賞のマナーについてのお願いがいくつか流される時がある。

その中で、
場内が暑すぎたり寒すぎたりする時には、係員にお知らせ下さい。」
という項目があるが、これはどうなんだろう?
冷暖房が効きすぎていたり、効かなかったりして、「暑すぎる」あるいは「寒すぎる」と感じても、席を立って係員とやらを見つけてクレームをつける事って、不可能ではないだろうか?
気の弱いワタクシならば、よほどの事でない限り、席を立ってクレームをつけに行くよりも、我慢して最後まで映画を観る方を選ぶだろう。

選ぶだろう、と言えば、既に上映中のハリポタ最新作。
他の洋画と同様、ハリポタももちろん、字幕スーパー版と吹き替え版を選ぶ事ができるのだが、ワタクシの生活圏内の映画館では、吹き替え版しか上映してくれない。
まさか、ワタクシが英語に堪能であるワケではなく、字幕スーパー版で観たいという願望についての正当な理由付けは極めて難しいのだが、おそらく遠出をしてでも字幕スーパー版のハリポタを鑑賞するのだろうと推察される。


ドミノ倒し整理法

2007年07月18日 10時26分13秒 | 無駄話

愛用のプリンターは、ここんところ不調続きでスランプ気味だった。
印刷しようとすると、インク吸収マットという部品を交換せよというメッセージが頻繁に表示されるのが鬱陶しくなり、メーカーに部品交換費用の見積もりを問い合わてみると、
すぐさま、

「見積もりはできません。」

との冷酷な回答が送られてきた。

プリンターに関しては、かねてから、不満が充満していた

印刷した用紙の隅っこにインクが滲む事が多かったり、印刷用紙を1枚ずつ送れなくなり、一度に5~6枚を吸い込んでいくものだから、白紙の用紙が大量に発生してうんざりしたり、、、、、、

これらの不満点の修理代金と、インク吸収マットとやらの交換費用にいくらくらい費やさねばならないのかと言う事と、何よりも、販売店に持ち込んで、
「これこれこういう状況ですので、改善していただきたい。」
と、説明しなければならないのが極めてメンドクサクなってきた。
もしかすると、修理費用と同じくらいの価格で、今よりも高性能のプリンターを買う事ができるかもしれないのに、見積もりすら拒否するメーカーの対応に不満が爆発して、E社のプリンターからC社のプリンターに買い替える事にした。

ボーナスセール時期のドサクサにまぎれて、同じ家電量販店のウェブショッピング価格よりも安く買う事が出来た事が、自慢である。
この家電量販店は、セリーグ某在阪球団を応援しているらしい。
商品購入のおまけとして、こんなデザインのバスタオルをプレゼントされてしまった。



なんか、洗濯する度に黄色い染料が溶け出してきそうで、何よりも、我が家には不要の物体である。
「バスタオルというよりも、足ふきマットの代わりに使うしか使い道がないなぁ。」
と、思っていたらば、セリーグ某在阪球団ファンらしき友人から、
「足ふきマットにするくらいならば、引き取らせて欲しい。」
という申し出があったので、禅譲した。
我が家で足ふきマットとしての人生を送る事を思うと、他人の家庭でバスマットとしての人生を全うする方が、ヤツの幸せにつながるのだろうと思ったから。
ところが、プリンターを買い替えたために、大変な事態を招いてしまった。


というのも、ご覧のように新しい奴はプリンターとスキャナーの複合機で、これまで使っていた物よりもふたまわりほど図体がデカいために、これまでプリンターを置いていた場所には置けなくなってしまった。
で、別のスペースを確保すべく、まず、書棚代わりにしている3段ボックスをパソコン寄りに移動させて、その上にプリンターを置く事にした。
すると、移動させた3段ボックスの中に乱雑に積み上げた地図や雑誌を整理したくなってきた。
整理して、不要な物を捨てた後にできたスペースに何かを入れたくなってきて、他の引き出しに入れていた物を3段ボックスに移した。
そうすると、今度は、引き出しの方に、空きスペースが出来てしまったので、別のCD棚代わりに使っている3段ボックスに積み上げている物を引き出しに移した。
すると、CD棚代わりに使っている3段ボックスの方に空きスペースが出来て、、、、、、、、、、、

移動させる度に、そこに収容されていた本やら小物やらの物体を、一旦全て畳の上にバラ撒かなければならない。

おかげで、現在、書棚代わりの3段ボックスと、CDラック代わりの3段ボックスと、各種引き出しや、あるいは押入れの中に収容されていた物体が部屋中に広がっている。

この状態を『整理している』と表現すべきなのか、『散らかしている』と表現すべきなのかは、歴史の判断にゆだねるしかない。




妖怪ジャズフェス

2007年07月15日 11時51分08秒 | 音楽

水木しげるの出身地である境港市には妖怪たちであふれている。


その境港市で、今夏、野外ジャズフェスティバルが開催される。

題して、境港妖怪ジャズフェスティバル2007

日時は、7月21日(土) 17時開演 22時終演予定
場所は、JR境港駅前特設ステージ

出演者がこれまた素晴らしいメンツで、

日野皓正クインテット

寺井尚子カルテット

ウンサン(Woong San)グループ with TOKU

フライド・プライド

前売りチケットは、一般¥5,000で、全席自由席。

境港駅前特設ステージ、、、、、、とあるが、先日、ワタクシが、境港駅周辺を歩いた時には、ステージを設営できるような広場は見当たらなかった。
一体、どこにステージと観客席を作るのだろうか?
と、こちらが心配する必要など無いだろうな。
駅前というからには、すぐにわかる場所に設営されるのに違いないから。
もしかすると、漁港側のどこか、、、、?
イヤイヤ、勝手に決め付けてはいけない。

チラシには、小さい文字で、
当日は敷物などをご用意ください。
とあるので、客席は椅子席ではなく、地ベタに座らなければならないようだ。

境港駅は、その名の通り、境港という漁港がすぐ近くにあり、駅のホームからすぐそばに日本海の海岸が広がっている。
潮風を浴びながら、海沿いの地ベタに座っての真夏の野外フェスというのも、心惹かれる物を感じるが、お出かけの方は、どうかUV対策をお忘れなく
しかし、悲しい事にワタクシ、
この境港妖怪ジャズフェスを観戦する事はできない、、、、、、


いよいよ、渡辺香津美ライヴに突入

2007年07月13日 22時30分56秒 | 音楽

小泉八雲記念館を出ると、まだまだ時間に余裕がある。
すぐ近くの松江城を散策するというのが観光客としての正しい基本コースだろうが、この日は、城内を歩き回るほどの体力に自信が持てなかった。

空を見上げると、曇天ながら雨の気配は無さそうなので、クルマで、宍道湖を一周してみたが、曇り空のために、途中で休憩して宍道湖の景色を撮ろうという気にはならなかった。
何よりも、風が強すぎた。
やはり、海とか湖を眺めるのには晴天が一番だという結論を得て、再び松江市内に戻る。

今回のライヴは、アメリカの老舗ギターメーカーであるマーティンのユーザーを会員とするマーティンクラブが主催するもので、昼間の時間帯にマーティンギターの展示・試奏会が、夜にRebirth Tour 2007と銘打ったコンサートが開かれる。
ワタクシは、マーティンギターのユーザーではないが、この機会にマーティンギターの展示・試奏会とやらものぞいてみた。

          

展示・試奏会とライヴの会場は、ボートピア松江の地下にあるライヴハウス。
かねがね、お馬さんや船や自転車のレースには、どうにも興味が湧かないワタクシにとって、たった一人でボートピアのビルに入る日が来ようとは思ってもみなかった。
重大な転換期となるか、それとも重大な危機になるかの瀬戸際である。
ボートピアの周囲、半径300mほどの区域では、さぞや、外れ舟券や怒号が飛び交うアンタッチャブルな気配がプンプン漂う、、、、、、、
という情景を半ば覚悟して近づいたボートピアの正面玄関は、思いの外、静かなたたずまいだったので、とりあえずホッと一安心



会場のライヴハウスに降りる階段では、こんな巨大ポスターがお出迎え。

         
会場に入ったものの、予想していた以上に狭い。
そして、予想していた以上の来客数、という一目でわかる大混雑。
一昨年に吹田で開かれたギター展示会の時とは、随分と雰囲気が違っていたので、腰が引けてしまう。
それでも、グル~っと一周してみたのだが、展示されているギターを試奏させてもらおうにも、座ってギターを弾くスペースも無さそうなので、憧れのマーティンギターに指一本触れる事無く、あえなく退散。
(早い話が、松江市民の前でヘタクソなギターを披露する勇気が無かったわけで、、、、)

マーティンギターの展示・試奏会を早々に切り上げ、ホテルに戻り、夕刻からのライヴ観戦にそなえる。
いよいよ、ここからは、『MARTIN GUITAR SHOW & CONCERT』と銘打たれたライヴについての控えめなレポート


          

さて、マーティンクラブという秘密結社は、実はとても有名な存在でる。
そのマーティンクラブが主催するコンサートの告知も、過去には何度も耳にした事があった。
実際、今年の前半だったか、大阪でマーティンクラブ主催のライヴがあった時には、既に売り切れていたためにチケットを買えなかったという苦い経験もあった。

それが、このところの天候不順が原因となって、今回の松江でのマーティンクラブ・ライヴを観戦する事ができたわけである。
この松江でのライヴの情報を得たのは、この日のゲストである渡辺香津美のオフィシャルHPからであった。
つまり、渡辺香津美がゲスト出演するという以外の情報はほとんど持ち合わせないまま、ライヴ当日を迎えたのだ。

だから、コンサートが始まって、いきなりビックリするはめになった。

最初にマーティンクラブの人が、ステージ袖に出てきてご挨拶。
そして、
「では、今夜のホストは、斉藤誠さ~ん!」
と、メインつまりホスト役を努めるミュージシャンの名前を叫んでステージに呼び寄せたのだが、ワタクシは、その時、自分の耳を疑った。
サイトウマコトって誰よ?
サイトウカズヨシとちゃうんかい、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

つまり、この瞬間まで、この日の渡辺香津美の共演者は、斉藤和義だとばかり思い込んでいたのだ。

「あ、斉藤和義ね。
 CMで流れている、なんとかかんとかウェディングソングを唄っている人ね。
 高い所で、声がひっくり返ってるけど、ヒットしてるみたいやね~」
と、共演者の名前は斉藤なにがしとしか認識していなかったのだ。


「斉藤和義なら、ちょっとは知ってるけど、今、目の前に出てきた斎藤誠って誰や

と、うろたえながらも、第一部の渡辺香津美のライヴに集中する。
今回のライヴに関して、ホスト役が斉藤なにがしであり、共演者が渡辺香津美であるというのが正確なところだが、ワタクシにとってのメインは、あくまでも渡辺香津美であった。

MCから察するに、マーティンクラブが主催するこのライヴの趣旨は、昼間のマーティンギター展示・試奏会に並べたマーティンギターの中から、出演ミュージシャンが何本かのギターを選んで、ライヴ本番で演奏するというものらしい。

つまり、普段使い慣れた手持ちのギターを弾くことは許されないので、使い慣れたギターでしか演奏できないギタリストは出演不可能なのだ。
だが、言い換えると、出演するギタリストにとって、ギャラをもらった上に、心置きなく名門マーティンの最新モデルを弾き倒す事ができるという、千載一隅の機会でもある。

ワタクシは、単独ソロを含めて、渡辺香津美のライヴは過去に何度も目撃しているが、過去のライヴで渡辺香津美がマーティンギターを弾いていたという記憶は全く無い。
おそらく、めったに手にしないマーティンだろうし、使い慣れた自分の手持ちのギターではなく、当日になって初めて手にしたギターを使っての演奏のはずだが、さすがに渡辺香津美
初対面のギターを、何の苦も無く弾きこなしていく。

オープニング曲のアクロス・ザ・ユニバースから、客席の視線は、渡辺香津美があやつるフィンガーボード上に集中している。
ワタクシの周囲の団塊の世代オジサン達が、身を乗り出して火を噴きそうな熱い視線で魅入っている。
ほとんどの人にとって、渡辺香津美というギタリストのプレイを目前にするのは初めてにちがいない。
演奏中の手元に視線を集中させたい気持ちも痛いほどわかるが、そんなのはまだまだ甘い。
かくいうワタクシは、既にそういう時期をとっくに乗り越えている。
どれだけ一生懸命に華麗な指使いに見とれていても、その演奏テクを真似する事など不可能だと悟っているからだ。
と言う事で、フィンガーボード上の動きに目を奪われそうになりながらも、聴こえてくる音楽に集中する事にする。

過去のライヴで聴いた事があるナンバーも演奏されていたが、さすがにジャズに根を持つギタリストである。
聴く度に違う表情を表現して演奏してくれるのが、素晴らしい。
われながら、いかにも突発的な行動だったとはいえ、はるばる松江までやってきた甲斐があった。

天国への階段(「天国への七つの階段」ではない。ツェッペリンの「天国への階段」である。)では、事前に録音済みの自身のギターの音をPAから流しながら、自分自身との共演という、聴く方としては、渡辺香津美の演奏を一度に二人分聴かせてもらえるといううれしい仕掛けをやってくれた。
この曲は、アルバム『ギター・ルネサンス』に収録されたバージョンでは、2本ではなく、3、4本のギターをオーバーダビングしていたので、ライヴで使う音源は、CD音源とは別物のようだ。

ほぼ1時間に及ぶ、渡辺香津美のソロギターによる第1部が終わり、休憩も取らずに、斎藤誠の弾き語りで第2部が始まる。
ワタクシは、斎藤和義が出てくると思い込んでいたなどとは一切顔に出さず、小生意気にも、我らが渡辺香津美を第1部のステージに押しやった、斉藤誠のギターとヴォーカルに聴き入る。
なるほど、初めて聴いた斎藤誠の唄は、ラヴソングが多く、高いところもキレイに出る歌唱で、ふんわりとしたコードを使った曲ばかりで、好感が持てた。

第2部終了後のアンコールでは、再び渡辺香津美が登場して、斎藤誠とのセッションとなる。
たぶん予定に無かったであろうベンチャーズメドレーが、突然始まり、次から次と曲が変わり、なかなか終わりそうになかったのが、観客には大ウケだった。
実は、この二人、25年ほど前に、音楽評論家であり、ギタリストでもある萩原健太の結婚パーティーの余興でベンチャーズナンバーを共演したのだそうだ。

終演後、アンケートに答えると抽選で何やらもらえるという話だったので、アンケート用紙に記入し始めたのだが、斉藤和義と斉藤誠をまちがえてやってきたという事を書きかけたが、やめてしまう。
いくらなんでも、失礼な気がして、、、、、、

狭い会場なので、ごった返している出口で、回収したアンケート用紙と引き換えに、参加賞らしきマーティンクラブのネーム入りコースターを手渡していた。
うむ、、、、、、、、
しまった、、、、、、、、
この場でコースターをもらえるのならば、アンケートを書いておけば良かったかも


松江の人々はほんとに熱心で、ひたすらアンケートを書き続ける人達の波をかきわけて、サイン会が行われるテーブル前に陣取る。
やがて現れた渡辺香津美じきじきに、この日の会場で買ったニューアルバム、『ギター・ルネサンス?』と、家から持って来た『ギター・ルネサンス?』にサインしてもらう。
この日は、珍しくTシャツ姿で通していたが、渡辺香津美のお腹周りがたっぷりしてきたように見えたのは、気のせいだろう


次は、渡辺香津美と吉田美奈子が共演するステージを狙っているのだが、果たして無事にたどり着ける事やら、、、、、



小泉八雲記念館

2007年07月10日 23時08分10秒 | 風景光景

水木しげるロードを後にする頃には、少し晴れ間がのぞいていた空模様が重たくなってきた。

松江市内のホテルに向かう途中で、翌日のライヴチケットを予約しておいた楽器屋さんに立ち寄る。
カーナビに入力した番地を間違えていたために、一時は迷子になりながら、なんとかかんとか楽器屋にたどり着く。
対応したスタッフに名前を告げると、
「○○さん(ワタクシの事ね)、電話番号をうかがうと、ものすごい市外局番ですねぇ どちらからですか?」
と聞かれてしまった。
予約の際に、名前と電話番号を告知していたのだ。
和歌山県からだと答えると、一瞬、相手が無言になった。
信州行きの予定が松江行きに変更になった事情を、事細かに説明しようかと思ったのだが、やめた。

こうして松江市のホテルに投宿した翌日、6月30日。

今回の旅のメインである、渡辺香津美がゲスト出演するライヴは、アメリカのギターメーカーのマーティンが運営するマーティンクラブの主催。

18時半開演のライヴに先立って、ライヴと同じ会場でマーティンギターの展示・試奏会が行われるのだが、それまでの時間はたっぷりある。

空いた時間を使って、まず、小泉八雲記念館へと向かう。
記念館には専用駐車場が無いので、松江城の駐車場にクルマを置いて小泉八雲記念館まで歩く事にする。





松江城の堀を遊覧するボートが出ていた。
料金は確認していないが、ガイドが乗り込んでいるので、もちろん有料だろう。




遊覧ルートマップによると、松江城の周囲だけでなく、もうちょっと遠回りしているようだ。

 



天気が怪しかったので、今回は松江城には寄らずに、小泉八雲記念館へ直行する。

 

          

ワタクシが小泉八雲の作品を読んだのは、中学生くらいだったと思う。
少なくとも、大人になってからは全く読んでいないわけで、こじんまりとした小泉八雲記念館を歩きながら、少しでも昔の記憶を呼び戻そうとしてみたが、小泉八雲という人物について知らない事が多すぎた。

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、ギリシャ人の父親とアイルランド人の母親との間に生まれ、幼い頃に両親が離婚。
両親の離婚後に身を寄せた大叔母も、やがて破産するという、幼い頃から随分と苦労を味わった人だったんだ。
日本に渡り、島根県尋常中学校に英語教師として赴任したのが明治23年(1890年)。
亡くなったのは明治34年(1904年)、54歳という若さであった。
八雲が日本にやってきた時(横浜に入港したのだったと思う)に手にしていたトランクなども展示されていて、この時代に長い船旅の果てに異国にやってきて、ましてや日本で生活して行くという事がどれだけ大変な事だったのだろうかと、考えてしまった。


記念館の中では、アイルランドのミュージシャン、エンヤの音楽が流れていた。



松江城の周りで、レトロなバスが走っていたのでシャッターを押す。
レイクラインバスと呼ぶらしい。









勇気あるもの

2007年07月05日 21時27分27秒 | 風景光景

雨は、いよいよ本格的に降り出してきた

国道9号線に沿って、島根県から鳥取県へ抜け、さらに京都府へ向かう途中の事
バッグの中の目薬が、残り少なくなっている事に気付いた。
あと3~4日ほどはもちそうにも思ったが、クルマでのやや長距離の移動の最中だ。
慌てる必要もないのだが、気が付いた時に買っておく事に、こした事は無い。

この日のドライブには、特に目的は無い。
夕暮れまでに、目的地のホテルにたどり着ければいいのだ。

目薬を買うために薬局を探しながら走る。
薬局は、9号線沿いのあちこちで見かけるのだが、どうしたわけだがどの薬局も全て閉まっている。
これだけ、何軒もの薬局が閉まっているとなると、単に店を閉めていると言うよりも、廃業した店ばかりにも思えてきて、
「鳥取県と言うところは、どうしてこんなに倒産した薬局が多いのだろうか?」
と、いぶかりながらハンドルを握り続けるうちに、突然、その理由がわかった。
そう、この日は、日曜日だったのだ。
なるほど、院外処方箋を中心に扱う薬局ならば、日曜日に休んでいても不思議ではない。

「薬局が定休日でも、いわゆるドラッグストアならば日曜日でも開いているだろう。」

とターゲットを変更して、いわゆるドラッグストアの看板を探しながら走り続ける。

と、

あった

(この写真では、ドラッグストアの看板は写っていないが、この店舗の国道側にはドラッグストアの看板がりりしく自己主張していた。)

鳥取県東伯郡琴浦町、という町だった。
え~っと、どう読むのだろうか、、、、、?

車を停め、少し小降りになるのを待ちかねて、入店。
スーパーのテナントらしきドラッグストアで、目薬を買って目的を果たす。

薬局の隣のテナントが、パン屋さんだったので、この日の昼食はパンとコーヒーに決める。

パン屋さんといっても、どのパンにしようかとかえって悩んでしまうほどにパンの在庫は少なめで。
少ないパンの中から、ワタクシの目を引いたのが動物パン



ワ、ワ、ワ、ワ、ワ、ワ、

ワタクシには、似合わない、、、、、、

このパンをトレーに乗せて、若いお姉さんが待ち構えるレジまで運ぶのが、どうにもこっ恥ずかしかった。

一緒にホットコーヒーもオーダーして、隅っこのテーブル席に付く。
カウンターやレジにいるお姉さんの店員さんに見つからないように、このパンの写真を撮るのも、とてもとてもこっ恥ずかしかった。