lizardbrain

だらだらぼちぼち

想い出のあとさき

2007年06月08日 21時41分03秒 | 音楽

陽水ライヴを振り返っているうちに、古い話を想い出してしまった



ワタクシが中学生の時、週に2時間程度、技術家庭科という科目を履修した。

今ではどうやっているのかは知らないが、当時は、男女別々の教室に別れて、男子は製図やら木工やら金属加工やら電気などを習い、女子は栄養学やら調理やら裁縫などを習っていたように思う。
家庭科担当の教師が、男子からも恐れられていたとても厳しいオバサン先生だったため、女子の家庭科の授業をのぞいた事がない。
だから、正確には、家庭科の授業で何をやっていたのかはわからないが。

男子の技術科の木工の実習では、とてもではないが大人が座れるとは思われないようなサイズの折りたたみ椅子や、何を入れればいいのかが全く想像出来ないようなブサイクな棚を作り、金属加工の実習では、ブックエンド(これは、十分実用に耐えた)を自作したりした。

3年生の技術家庭科の実習では、トランジスタラジオを作った。
FMなどは受信できない、AM専用である。
ラジオといっても、中学生の授業で使うようなシロモノなので、安い材料費の、すでに半分くらい出来上がっているキットで、あとは教師の指導に従い、半田付けや配線をチョコチョコっとやれば出来上がるシンプルな物だった。
配線図の読み方や半田付けのコツなどを習った後に、ほんの1時間ほどの作業でラジオの組み立ては完成した。
自分で組み立てあがったラジオから、実際に音が出た時には、クラス全員胸を躍らせたものだ。

その日の昼休みの教室で、ほとんどの男子生徒どもは、作ったばかりのラジオを女子生徒に見せびらかして自慢した。(バカでしょ? 笑)
せいぜい500円程度の材料費しか費やしていない安物のラジオだったし、教室の中の受信状態がイマイチ良くなかったので、ラジオ番組をきれいに受信する事ができない。
手に持ったラジオを教室の窓から外に出してチューニングしてみると、ようやくNHKのAM番組を受信できた。
偶然にも、そのラジオからは、当時リリースされたばかりの『氷の世界』に収録されている『あかずの踏み切り』が流れていたのだ。
iPodはおろか、ウォークマンも、ケータイも無く、ようやくカセットテープレコーダーが普及し始めた頃で、少し裕福な家庭の友人達の間では、ラジオとカセットテープレコーダーが合体した、ラジカセが活躍し始めたばかりの頃だった。

ワタクシが熱心に陽水の曲を聴いていたのは、この『氷の世界』前後の頃で、アルバム名で言うと、『断絶』、『センチメンタル』、『もどり道』、『氷の世界』、『二色の独楽』、そして、フォーライフ移籍後の『招待状のないショー』の頃。
その後、ワタクシにも、日本のフォーク系以外の幅広い音楽を聴いてみたいという欲求が生まれてきたからかどうか、あまり熱心に陽水の歌ばかりを聴いてはいられなくなっていたのだと思う。
それでも、陽水がニューアルバムをリリースしたというようなニュースは折に触れてインプットされてきたので、その後全く陽水と断絶してしまったわけではない。
拓郎熱は希薄だったが、陽水熱は、もう少し濃厚だったと自負できる。



ところが、

そうこうするうちに、

1977年。

我が国では摂取・吸引してはいけない物を摂取・吸引したという容疑で、陽水が逮捕されてしまった。

ウィキによると、この頃、同容疑で、60人にも及ぶ逮捕者が出たのだという。
他に同時期に逮捕された芸能人はというと、内田裕也、ジョー山中、桑名正博、にしきのあきら、内藤やすこ、、、、、、、(確か、研ナオコもいたはずだが、ウィキペディアには記載されていない。)
今ならもっと大騒ぎだっただろうが、当時としても大スキャンダルであった。

既に社会人となり、別の音楽に興味を向けだして熱心な陽水のリスナーではなくなりつつあったワタクシだったが、さすがにこれにはショックを受けた。
ショックを受けたものの、不思議と逮捕された陽水を責め立てる気にはなれなかった。
ワタクシは、陽水自身に対してよりも、この事件を報道した新聞記事に対して憤った。

当時、我が家で購読していた朝日新聞の社会面の見出しには、陽水逮捕をうけて、
「落ちた偶像」という文字が躍っていた。
記事は、
「たくさんの若者達に支持されるシンガーでありながら、何ゆえにかような愚行を犯したのか?」
という論調だったが、
その言葉の端々に、アルバムの大ヒットを連発して莫大な著作権印税を手にした若き成功者に対する、この記事を書いた記者個人の嫉妬心が渦巻いているのが見えたので、ワタクシは大憤慨したのである。
おそらく、かねがね、記者自身よりも年齢の若いシンガーふぜいが、記者自身よりも高収入を得ている事が気に入らなかったのだろう。
そして、その憂さ晴らしの絶好の好機として、逮捕された陽水を責め立てたのだろう。
犯した罪は罪である。
だが、公正中立であるべき大新聞社の社会面に、こういう低俗で個人的な偏見がミエミエの記事を書いた人物を、ワタクシは許せない。
その証拠に、いまだに、陽水逮捕を報じた、「落ちた偶像」という見出しを忘れる事ができない。

つまり、裏を返すと、この事件が起きた当時のワタクシは、まだまだ陽水寄りのポジションにいたのだと、今になって気付いた。


その後も、陽水との距離は付かず離れずといった感じだった。
決して、陽水から、すっかり離れてしまったという訳ではなかった。
新しいアルバムやシングルをリリースするたびに、それなりのニュースになってワタクシの耳に入ってきたし、何よりも、レンタルCDというシステムが定着したのが大きかった。
こうして、決して積極的ではなかったにせよ、陽水が世に送り出すアルバムには、一通り耳を傾けてきた。


先日、初めて陽水のライヴを目の当たりにして、陽水に対してこれまでず~っと持ち続けてきたイメージが、少々覆ってしまった感がある。

常々、シュールでクールな言動を見せている陽水が、まさか、こんなにも楽しいライヴを演じてくれるシンガーだとは予想だにしていなかった。
何よりも、バックで演奏しているミュージシャン達が、お互いに笑顔を交わしながら演奏していた事が象徴的だった